第39話  運命の日(★)

「久しいですね、ギルバート。先触れもなしに押し掛けて申し訳ないけど、どうしても早急にこの方々の話を聞いてもらいたいの」


 すべてにおいて完璧なシェセリアーナには珍しく、マナーを無視して室内に入り込むと、ギルバートに人払いをするよう要求した。


「何事ですか? その方々は一体…?」

「陛下からあなたに会わせるよう、内密に託されたのよ。さあ」


 警戒を滲ませて彼女の連れを見遣ると、彼ら・・は慌てて腰を折った。


「大変な失礼をいたしまして申し訳ございません。私はバルティス・オクトール、西方辺境の地を治めております。そしてこれは私の妻でクラリスと申します」

「クラリスだと?」


 聞き覚えのある名前に、思わずく言葉尻がきつくなる。頭を下げた姿勢の彼女を凝視していると、グイードが背後から耳打ちしてきた。


「殿下、王妃様の前です。とにかく立ったままにしてはいけません。奥へ」

「…わかった」


 グイードの注意を聞き入れてシェセリアーナに椅子を勧め、恐縮してなかなか座ろうとしないオクトール夫妻にも席に着くよう強要した。


「話をするなら座ってもらわないと困るんだが?」

「そうですよ。わたくしたちに見上げながら会話せよというの?」


 外見は違えど口調はよく似た母子に座るよう求められた二人は、漸くそれに従って恐る恐る席に着いた。

 ギルバート付きのメイドによってお茶が出されると、シェセリアーナの要求に従いグイード以外の侍従たちには部屋を下がらせた。


「さて、求めに応じて人払いした。そろそろ本題を聞かせてもらおうか」


 湯気の立ち昇るカップを手に取ることもせずそう切り出すと、緊張の面持ちで向かいに座るバルティスが、青褪めた顔色の妻を一瞥した後、居住まいを正して口を開いた。


「実は———


 *


「妻とは六年前に出会いました」


 バルティスの話によると、王都から領地へと帰る際、野盗に襲われていた乗合馬車を見つけて助けたところ、乗客の中に一人、行く先はないと告げる女性がいた。


「聞けばこれまで孤児院で手伝いをしていたが、どうしても出て行かなければならない理由ができ、カバン一つで出てきたと言ったのです」


(六年前に孤児院を出た。―――やはり彼の妻クラリスは、フィンを孤児院へ連れてきた”クラリス”と同一人物のようだな…)


 夫にやさしく促された彼女は、覚悟を決めた顔で話の続きを引き継いだ。

 そもそも彼女は十一年前、アデルオルト公爵家の侍女として働いていたが、当時の婚約者にある相談事・・・・・をされたことで人生が一変したと言った。


「婚約者はワンツ伯爵の次男でした。真面目な人柄の彼は騎士として王城に勤め、それなりに認められていたようです。ですがある日、父親である伯爵様に呼び出され、彼は重大な秘密を打ち明けられました」

「重大な秘密?」

「はい。決して誰にも…母親や兄弟にも言わないことを約束させられた上で聞かされた秘密。それは、彼の父親が格上の貴族の奥方と関係を持ってしまったということでした」


 夜会に招待されたロドリゲス・ワンツ伯爵は、珍しく酒に酔ったのか途中からの記憶があやふやで、気が付けば半裸の女性とゲストルームのベッドの中にいたという。

 慌てたロドリゲスは相手の女性に謝罪したが、彼女は強引にベッドに連れ込まれたと泣き、夫に話すと告げたそうだ。


「その女性の夫は、社交界でも有名な評判の悪い方で、その妻と関係したなどと知れてしまえば、どれほど誇張して世間に触れ回るか、慰謝料という名目でどれだけの金銭を要求をされるかと想像し、伯爵様は愕然としたそうです」


 最悪な未来を想像して絶望するロドリゲスに、女性は待ち構えていたように交換条件を提示した。


『このことはなかったことにして差し上げますから、一つだけ、わたくしのお願いを聞いてくださいな』

 

「その”お願い”は直接伯爵様にするのではなく、アデルオルト公爵家で働く次男の婚約者である私に協力するよう説得しててほしいことだと言ったそうです。そしてその”お願い”の内容に彼は大変なショックを受けつつも、父の名誉を守るため、生家の存続のため、自身の理念も騎士としてのプライドも捨て、私に頭を下げて頼んだのです」

「なにをだ?」


 真面目な男が矜持を曲げてでも頼まなければならなかったこと。それは、———―――公爵家に賊が侵入する手助けをしろというものだった。


「もちろん断りました。そんなことはできないと…すぐに所属する騎士隊の上司に報告し、そのような恐ろしい計画を立てている犯人を捕まえるべきだと、懸命に説得したのです」


 だが願いは聞き入れられなかった。どうしても協力できないのならば、婚約は解消し、そのうえ両家で提携している織物事業も解散するしかないと告げられたという。


「私の実家はしがない男爵家でした・・・。提携しているとは言っても事業の約八割を担っているのは伯爵家で、残り二割ですでにいっぱいいっぱいの我が家は、解散され借金が残ると、家族も領民も路頭に迷うことになります」


 協力せざるを得なくなったクラリスは、決行当日の深夜に使用人用の出入り口の鍵を掛け忘れる・・・・・だけでいいという頼みを、とうとう聞き入れてしまった。


「あの日、私は何度も何度も思い留まろうとしながらも、皆が寝静まった夜更け、恐怖に震える足で勝手口に向かい、鍵を……外しました。そして急いで自室へ戻ると、シーツに包まり震えていたのです。何も起きなければいい、そう願いながら。その後どのくらい経ったでしょうか。部屋の外が騒がしくなり、間もなく邸中が地獄のようになったのです」


 響く悲鳴と破壊音。自分がどれだけ非道で取り返しのつかない事をしたかを眼前につきつけられたクラリスは、あまりの恐ろしさにガタガタと震えベッドの陰に蹲っていたそうだ。するとドアの向こうを通り過ぎた賊らしき男が、アデルオルト公爵の娘、フィリアの名前を呟いていたのを拾い聞き、彼女は息を潜めながら子供部屋へと向かった。

 辿り着いた子供部屋には、幸いにもまだ賊はおらず、クラリスは急いですやすやと眠るフィリアをシーツやブランケットでぐるりと包み込んで抱き上げた。


「その瞬間、子供部屋に剣を持った兵士が飛び込んできました。その方は公爵家の私兵隊の副隊長で、彼の先導でお嬢様を抱いた私は邸の外へ脱出し、雪深い森の中へと逃げ込みました」


 夜着にガウンを羽織っただけの薄着で、クラリスは力の限り走り続けた。背後を副隊長が護ってくれなければ、クラリスは早々にフィリアと共に真っ白い雪上で骸となっていたことだろう。


「だが調査書には、森の中には血だまりが発見されたとあるが?」

「はい。逃げるにも限界がありました。ましてや足元は膝ほども積もった雪の中、私たちはとうとう追いつかれ、副隊長様は賊を迎え撃ち……相手を屠ると共に自身も命を落としてしまったのです」


 体力が底をついた上、護ってくれる者もいなくなった。あまり考える時間がない中で必死に知恵を絞り、クラリスは遺骸となった男たちに雪を被せて隠すと、落ちていた剣で自分の腕を傷つけて血を流し、うっすらと雪が被さり始めた血だまりを、もう一度赤々と浮かび上がらせた。

 そして仕上げはフィリアの髪。柔らかい月光のような銀色の髪を切ってばら撒き、あたかもその血だまりがフィリアのものであるよう見せかけた。


「そして私は血の跡をわざと残しながら崖へと向かい、滑落したように装って、立ち枯れた古木のうろに身を隠して時が経つのを待ったのです」

「追手が完全に引き上げるまでか?」


 雪が積もる夜の森で。

 何も持たず怪我をした状態で。

 シーツで包んだ赤子を抱きしめて。


「はい。…気が遠くなりそうでした。いつまでも賊が私たちを探しているような気がして、怖くて、怖くて。そして空が白み始めた頃、私は木の洞から出ると、お嬢様を抱いて邸とは反対側へと歩き出したのです」


 どれだけ歩いたのかわからない。とにかく前へ前へと足を運び続けた。雪で感覚が麻痺した足の指は紫色に変色して膨れ上がり、ずっと赤子を抱き続けている腕も肩も疲労で痺れていた。

 もう駄目だと意識が途切れそうになった時、たまたま近くを通りかかったコリンナに拾われ、彼女が院長を務める孤児院へと連れて行かれたのだ。


「怪我の手当てをしていただいた上、行くところがない私に孤児院に住むようにと仰ってくださいました。名を捨てて世間と縁を切るともう元の世界に戻れなくなるからと、見習いという肩書まで作って置いてくださったのです」


 その時のことを思い出しているのか、クラリスは懐かしそうに目を細め、微笑を浮かべていた。





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