第37話 報告(★)
馬車で王都の中央に伸びる大道を駆け抜け、深い堀によって隔離された丘に聳え立つ王城へと到着すると、着替えの時間さえ惜しいと汚れた旅装のまま、ゼオンと共に国王でありギルバートの父でもあるヴォルターの待つ彼の執務室へと足早に向かった。
扉を守る衛士によってすぐに室内に通されたギルバートは、王の執務室とは思えないそれほど広くもない部屋で、重厚な執務机に小高く積まれた書類と戦うヴォルターへ、腰を折った姿勢で帰城の挨拶を述べる。
「父上、ただいま戻りました」
「ああ」
暫くぶりに会うにも拘らず、ヴォルターの対応は素っ気ないもので、一瞬だけギルバートを書類越しに見たものの、すぐに手元に視線を戻した。
「この度は貴重な経験ができる機会をいただきましたこと、心より感謝い…」
「そのような堅苦しい挨拶など不要だ。それよりもっと大切な話があるだろう?」
手にしていた紙面にサラサラッとサインしてから、隣の机で書き物をしていた側近にそれを手渡したヴォルターは、椅子から立ち上がって机を回り込むと、目線だけで人払いをした。
部屋の中に残ったのは、ヴォルターと彼の乳兄弟で右腕でもある侍従長のハクセン、ギルバート、ギルバートの迎えにまで行ったゼオンの四人。他者の目が無くなった途端、ヴォルターは威厳という鎧を脱ぎ去り、行儀悪くも机の角に腰をかけ、砕けた口調で話し出した。
「よく帰ったな、ギル! お手柄だったじゃねぇか!」
腕組みをしてニカリと笑ったヴォルターの顔の左側、顳顬から頬、首筋に渡り、蔓のような痣が巻き付くように広がっているが、当人を含め、その場の誰もが気に掛ける素振りはない。
部屋の隅に置かれていた茶器でお茶の準備をしながらハクセンが言葉遣いが悪いと窘めるが、彼は子供のように頬を膨らませ、拗ねた口調で文句を言った。
「陛下、気を抜きすぎですよ」
「少しくらいいいじゃねぇか。ここには誰も近づけねぇんだから」
王を護るために城全体に結界魔法が掛けられている上、寝室やここ執務室には一際厳重な防御結界が施されており、何人たりとも許可なくこの区域に立ち入ることはできない。
「そういう問題ではありません。次代となる殿下に悪影響です」
「そうですよ、兄上…いえ、陛下とお呼びした方がよろしいでしょうか」
お茶を淹れたカップを机に置きながら窘めるハクセンに続き、ゼオンが姿勢を正し口調を臣下らしく改めると、ヴォルターは降参だと両手を上げ、苦笑いしながら言い分を受け入れた。
「わかったわかった。次からは気を付けるから、そう苛めるんじゃねぇよ。とにかく今は俺の態度よりお前の娘の救出の方が優先だろう。んで? どこにいるかわからねぇ
策はあるのかと訊ねるヴォルターに、ギルバートは自信を持って頷いた。
「ヒューが持ってきた情報では、ケーマスはいつも以前に養女を融通した家の別邸を借り、そこで少女の教育をしているようです。フィンもすぐにどこかへ売り渡しはしないでしょうから、出来ればその間に取り戻したいと考えています」
闇属性に特化したヒューの能力で、影を通じて彼らがどの方角へ向かったのかはすでに掴んでいる。だが真正面から王太子の身分を翳してジョルジュを匿う領地に強引に押し入れば、王家に反発を覚える者が増えることは必至だ。
それに何より、厄介な人物が背後にいることが一番のネックとなっている。
「その顔を見りゃわかっていると思うが、相手の後ろにゃあの狸ジジィが
ギルバートを試しているのだろう。ヴォルターは腕組みをし、虚無的な視線で問い詰める。
ヴォルターが狸ジジィと呼称したトランティオ公爵は、先々代の王とは腹違いの兄弟…いわゆる祖父の弟という面倒な立場にあたる人物だ。
武器商を主な生業としているため、隣国と折り合いが悪く諍いが続いていた頃は顧客も多く、随分と儲けを出していたようだが、王がヴォルターに変わってからは隣接する国々とは講和を結んで平穏な均衡状態となったため、以前に比べれば彼はだいぶ力を落とした。
しかし平和な世の中になったとはいえ、王家も各領地でも防衛のための備えは必要だ。それぞれの貴族の家には多かれ少なかれ私兵隊がおり、有事に備えて日夜鍛錬に励んでいる。
もちろんそれは民間も含まれる。ギルドに所属する冒険者やフリーの傭兵、各町や村の青年たちが団結して作り上げた自警団など。―――そう、彼らが使用する武器は、少なからずトランティオが関与するルートから入手したものなのだ。
人の世が続く限り完全に争いを失くすことはできない。それはトランティオの商いに金を払う客が途絶えないということであり、ある程度の力を保有しているということでもあるのだ。
それに老獪なトランティオのこと、真正面からぶつかったところでそう簡単に引き渡すとは思えないし、下手をすると時間ばかり稼がれ、その間に裏で証拠隠滅とばかりに、ジョルジュ・ケーマスや彼が飼っている人材たち、それどころかトランティオが結婚しては離婚した多くの元妻たちやその生家も一掃されてしまうかもしれない。
危険に見舞われる中にフィンが含まれないと言い切れない以上、慎重に事を進めなければならない。
「トランティオ公爵にフィンの情報が届いているか否かによって、取れる手段が変わる…」
もしトランティオにフィンの本来の身分が知られれば、彼は自身の足場を強固なものし、更には有利になるよう便宜を図れと要求するための人質にすべく、今すぐにでも彼女を自分のものにし、決して手放さないだろう。
命があっても
難しい顔でそう呟いたギルバートに、ソーサーごとカップを渡しながら、ハクセンが同意するように頷いた。
「そうですね。…そもそもジョルジュ・ケーマスはフィリア様の本当の身分を知っているのでしょうか?」
「知っている…可能性はある。フィンの左肩にあるという王家の血筋を示すヴァラの刻印は、随分前にアマンダによって焼かれ、今はその姿を認めることはできないそうだが、わざわざ焼いたということは、それが何か知っているということだ」
アマンダの非道な行為を告げると、ゼオンの目が細められた。表情を変えることなく平静を装ってはいるが、フィンと同じ紫紺の瞳の奥には怒りの炎が燃え滾っている。
「確かに。貴族の家に生まれ、きちんと教育を受けた者が、それを知らないわけがない。ならば刻印の存在を、ジョルジュに明かしているかもしれないね」
アマンダからジョルジュに伝わり、そしてジョルジュからトランティオへ。重要度の高い情報は金を齎すのだから。
「ですが肝心の刻印は潰れてしまっているのでしょう? あの疑り深く用心深いトランティオ公爵が、自身の目で確かめられないことを、おいそれと信じるでしょうか?」
「あのクソ狸のことだ、すぐには信じねぇで自分でも調べるだろうよ。そして真実だとわかりゃぁ、後は回りくどいことなんざしねぇで、直接ジョルジュから取り上げるだけだ」
ハクセンの疑問に対し忌々し気にそう言ったヴォルターは、再びニカリと悪童のように笑って一同を見回した。
「まあジジィのこたぁ俺に任せろや。あいつを確実に黙らせられる最良の方法があるからよ」
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