第35話 明かされる恨み
壊れ物でも扱うかのように、丁寧な手つきのトーマスによって彼の上着を背中に掛けられたフィンは、消耗して立っているのもつらい中、支えられたまま睨み合うアマンダとジョルジュの声に耳を傾けていた。
「何を根拠に…」
「今更誤魔化さなくともよろしいのよ。わたくし、長い年月を掛けてじっくりと調べ上げましたの。まあ父の性分に関しては調べる必要などございません、母もわたくしも知っておりましたから。父は厳格な方でしたけど、
もともと社交界でのカーベリーの評判は最低なものだったという。口が悪く、素行が悪く、能力は低い。しかしそんなクズな男でも一人の女を愛し、その女との間に授かった子供を愛したそうだ。
だから愛人との間にできた子供をカーベリー家の正式な跡取りにすべく、アマンダと婚姻を結んだ後に正妻の実子として戸籍を書き換えるつもりだったのだろう。いつの時代もどこの世界にも、金さえ出せばいくらでも手を汚す者はいるのだから。
「あなたの思惑通り、ゼオン様の婚約者に選ばれなかったわたくしは、父が命ずるままにカーベリーの妻になりました。既に夫や家人たちに女主人と認められている阿婆擦れがいる家の、ね。王太子妃…ゆくゆくは国母となるかもしれない王妃候補に選ばれ、厳しい教育を受けたわたくしが! 由緒あるウィンチェスター家の尊き血を引くこのわたくしが、元メイドの、たかだか男爵家出の女の身替わりのような扱いをされることなど、決してあってはならないのですわ!」
興奮したのか、次第にアマンダの声が大きくなってゆき、石壁に反響する。
圧倒され怯んだ様子のジョルジュに気が付いたらしく、些か上がってしまった呼吸をコホンと咳払いして整えると、彼女は自分を見ているフィンに焦点を合わせた。
目が合った途端、フィンはビクッと体を震わせる。
「ねえ、フィン。わたくしって可哀そうだと思いませんこと? 名のある家の出なのに、皆に忌避される男の元に嫁がされて、散々な扱いを受け、そのうえ夫が死んだら家から追い出されて、最後には修道院に入るまでに堕ちたのよ。…本当、酷い人生ですわ」
同情を求めるアマンダの声に、フィンは以前ギルから聞いた彼女の生い立ちを思い出した。
夫を喪った後、子供と共に家を追い出され、生家にも受け入れてもらえず、寂れた別邸に追いやられた母子。挙句の果ては子供も亡くし、修道院へ身を寄せるしかなくなった、と。
知ってしまった彼女の過去が、フィンから憎しみの気持ちを削ぐ。これまであんなにも虐げられ罵られてきたというのに、胸を占める感情は恨み辛みではなく、絞られるような痛みを伴う哀れみの感情。
無意識に向けた憐憫の視線。しかしそれは彼女の気を悪くしただけだった。
「なんです? その目は。わたくしを負け犬だとでも思っているのかしら?」
「おいっ!」
ひゅっと空を切る音がして、容赦なく与えられた左頬への痛み。じわじわと熱を持ってゆくその感覚に、また叩かれたのだと遅れて認識した。
「やめろ!
再度振り上げられた短鞭を、すんでのところでジョルジュが止めた。痛む頬を押さえてビクビクと窺うと、眦を吊り上げたジョルジュの横顔があった。
「あら、刻印を目の当たりにして怖気付いたのかしら?」
「違う。こんな厄介者はさっさと手放すに限るからな、予定通りの家に卸す。その後の扱いは御大の考え一つだ。だからこそ傷物では困る。あなたから譲られたポーションは少ないのだから、怪我をしてもおいそれと使用できないだろう?」
「そう? この子供は魔女の元に通っていたのですもの、設備と材料を提供すれば、ポーションくらい作れるかもしれませんわ」
「そ、そんな素人が作ったものなど使えるわけがなかろう!」
些か迷ったような素振りを見せつつも、ジョルジュは裏業界とて信用あっての物種なのだとアマンダを諭した。
「……そう、では仕方がありませんわね」
彼の言い分に一応納得したのか、アマンダは渋々の体で鞭を引いた。つい先ほどまでの昂った様子は落ち着き、いつもの凛とした佇まいの彼女に戻った。
警戒を隠さないジョルジュに、淑女らしい微笑みで先に退室する旨を告げたアマンダは、使用人の一人が開けたドアをくぐる際、何かを思い出したように立ち止まった。
「そうそう、ジョルジュ様。一つ言い忘れたことがございましたわ」
「なんだ?」
険のある刺々しい声で訊ねる彼を意に返すことさえなく、アマンダはドレスを抓んでお辞儀をした。
「今更ではございますが、お礼を申し上げますわ。カーベリーの頃から幾度もジョルジュ様の
ジョルジュの裏家業は、人身売買まがいの養子縁組の他にも、娼婦や暗殺者などの日陰に生きる者の貸し出しもしていて、アマンダはカーベリーにいた頃に数度、暗殺に長けた者の貸し出し依頼をしていた。その際何人かが命を落としたと報告はあったが、どうせ替えはいくらでもいる雑魚ばかりだと気にしていなかった。
彼女の言う通り今更過ぎて、何の意図があるのかとジョルジュは訝しむ。
「ふふふ。”他言無用”って雇い主に対しても有効ですのね。さすが躾が行き届いておりますわ」
「他言、無用?」
「ええ。だってわたくしが何のために人を借りたか、あなたはご存じないでしょう? 依頼料として提示された額の三倍のお金を口止め料として握らせて、あなたには黙っているよう約束させましたけれど、まさか本当に報告しなかったとは思いませんでしたもの」
十年も前の話をわざわざ掘り返す理由がわからず、ジョルジュの眉間のシワは深くなる。
ニコニコと人好きのする笑顔で気さくに接する時の彼は実年齢に比べてかなり若く見えるけれど、アマンダに対して疑心に顔を歪ませる彼は一気に十は老け込んだ感じがする。
大人たちの会話について行けないフィンは、ポーション使用後の副作用である酷い眠気と戦いながら、必死に足を踏ん張っていた。
「それと、雇われている者が犯した過ちは、雇い主の責任ですわよね。そして依頼が完璧に履行されなかった時も、やはり雇用主に責務が発生するはず。―――それを踏まえた上であなたに裏の人間を借りた理由を教えて差し上げましょう。それは……とある高位の貴族邸から赤ん坊を攫い、その命を奪うということだったのですわ」
驚愕の依頼内容が明かされた瞬間、部屋の中にいる者たちの視線が一斉にフィンへと向けられた。
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