第34話  消されていたもの

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…っ‼」


 窓一つない石壁に囲まれた地下室に、耳を劈かんばかりの少女の悲鳴が反響する。

 真っ赤に熱せられた焼き印を押し付けられた瞬間、左肩に…左肩から全身へと、突き刺すような…抉られるような…いや、例えることができない激しい痛みが襲い掛かり、フィンは喉が裂けるほど絶叫した。


「あああああっ! がぁぁぁぁぁぁぁっ‼」


 強制的に与えられる激痛から逃れたくとも、フィンの腕は年季の入った角柱に両腕を回した状態で手首を縛られているため、どんなに藻掻いてもこの残酷な状況から逃れることができない。それどころか暴れれば暴れるほど柱にぶつかる額や縛られている手首までもが傷つき、怪我を増やすばかり。しかし激痛に苦しめられているフィンには、それを気にしている余裕など砂粒ほどもなかった。

 ジュジュゥゥゥゥと間近に聞こえる自身の肌を焼く音と共に、肉の焦げる嫌な臭いが漂ってくる。

 あまりの苦痛に意識が遠のくが、痛みが意識を縛り付け、気絶することを許さない。


「よし、それくらいでいいだろう。トーマス、ポーションを掛けろ」


 ジョルジュの合図で押し付けられていた焼き印が離れて行く。本来その焼き印はジョージの裏商売である人身売買…いわゆる奴隷の売買契約に使われているもので、フィンのように体の小さな子供に使用するものではない。

 過大な激痛が与えられたのは、時間にすればほんの一瞬だった。だが何をされるのかを解ったうえで、身動きを封じられ、抵抗できぬままに肌を焼かれた少女の精神は、もはや体以上にボロボロの状態だ。

 はぁはぁと荒い息を吐きぐったりと柱に寄り掛かるフィンの肩に、とぽとぽとポーションが掛けられる。それは確かに怪我を治す薬ではあるが、焼けて皮膚がめくれ神経が剥き出しになった傷口に、無造作に掛けられた落水の感触は、更なる痛みを齎した。


「あぁぁぁ…っ」

「ほう…」


 朦朧とした意識の中であげたフィンの弱々しい悲鳴など気にすることなく、見る見るうちに塞がり癒えてゆく火傷を感心した顔で見つめるジョルジュに、部屋の隅で見物していたアマンダは満足そうに微笑んだ。


「ね? 申し上げた通りでしょう」

「ああ。どんどん傷が癒えてゆく。こんな方法があったとは。それにそのポーションの効き目も素晴らしいな!」


 トーマスが持つ薬瓶に目を向けたジョルジュが、商売に用いる計算をしながらポーションの出所を訊ねる。すると彼女は困ったようにふるふると首を横に振り、もう手に入れることはできないと告げた。


「今回わたくしがお譲りしたポーションは、クズのような冒険者に金を握らせてギルドで購入させたものですの。効果が大きいため転売目的の輩が売ってくれと押し寄せるとかで、ギルドで厳しく管理されていてそう簡単には買えないそうですわ。まあ、そもそもそれを作っているのはその子供が慕う魔女なのですけれど」

「魔女? 薬屋で手伝いをしているのではなかったのか?」


 疲弊し霞がかった意識の中、聞くともなしにフィンの耳に二人の会話が流れ込む。その間もじわじわと癒えつつある左肩は、まるで大量の地虫が這い回るような不快な感触があり、フィンは必死にそれに耐えていた。


(魔女? ジューンさんのこと…?)


 もう会えないだろう、大好きで尊敬する薬屋の主人。そして対等だと言ってくれた気のいい青年二人。ジョルジュの邸に連れてこられてから意識して思い出さないようにしていた、大切な大切な心の拠り所だった人たちだ。

 思い出すと無性に会いたくなり、痛みで自然に込み上げるものとは違う種類の涙が、フィンの視界を滲ませた。


「ええ。その手伝い先である薬屋の店主の老婆が魔女なのですわ。昔からギルドとは提携関係にあるとのことで手が出せなくて、とても厄介でしたの」


忌々し気に眇めたサファイアの瞳で力無く項垂れたままのフィンを見下ろしたアマンダは、漸く完治した左肩を認め、キュッと口角を持ち上げた。


「さあ!ともかくこれでわたくしとあなたは一蓮托生、裏切りは許されなくなりましたわ!」

「? 何を急に…」


 突然両手を広げた芝居がかった仕種で不穏なセリフを叫んだアマンダに、ジョルジュは訝し気に眉を顰める。悪戯が成功した少女のような無邪気な笑みを浮かべる彼女が白くほっそりとした指で指し示す先を追うと、それはトーマスによって拘束を解かれたばかりのフィンの、未だ剥き出しのままの肩が……


「なっ‼」 


 醜い火傷の痕はすっかり癒えていた。骨の浮き出た細い肩は、子供らしく瑞々しい白い素肌に様変わりしている。が、その肩の後ろには、こんな薄暗く黴臭い地下室には不釣り合いの、―――――― 一輪の青いヴァラが咲いている。


「なぜこのようなものが…!」


 この国の貴族ならば、誰もがその”刻印しるし”が何を意味しているかを知っている。もちろん子爵位を持つジョルジュも然り。

 あまりの驚愕に青白い顔でふらふらと後退るジョルジュに対し、アマンダは心底楽しそうに声を上げて笑う。


「あら、おわかりでしょう? ヴァラの刻印を持って生まれてくるのは、王家の血を継ぐ者だということを」

「お前は知って…っ」

「ふふふっ。わたくしが知っていようがいまいが、あなたがその子供を買った事実は変わりませんわ。このザイザル国で人身売買はご法度。しかもヴァラの刻印を宿す娘ですもの、表沙汰になったらどんなお咎めがあるのかしら?」

「俺を嵌めたのか⁈」


 今にも掴み掛らんばかりに怒り狂うジョルジュに恐れることなく、彼女はくるりと舞うように身を翻してジョルジュとの距離を開ける。


「嵌める? いいえ、先にわたくしを嵌めたのはあなたですわ。裏の商いの客であった実父ちちに、わたくしをカーベリーに嫁がせるよう唆したのはあなたでしょう?」


 頬に手を当て微笑むアマンダだが、その瞳の奥には恨殺の青い焔がゆらゆらと燃え盛り、決して逃すまいとジョルジュを射抜いている。





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