第25話 影の従者(★)
———時は少し遡る。
フィンがジューンの弟子になれないかもしれないと泣いた日の翌日、ギルバートたちは再びギルドを訪れていた。
朝早い時間のせいか、掲示板や受付には人集りができていたが、彼らが目的としている奥のカウンターには一人もいない。
ギルバートたちは依頼書に目を向けることなく、先日知り合った初老の男の元へ直行した。
「よう」
先日同様、丸メガネをかけて書き物に集中している男――テッドにギルバートが声を掛けると、彼は眼鏡の上からこちらを見上げ、声の持ち主が誰だかわかった途端にぱあっと破顔した。
「やあ、君たちか!」
眼鏡を額までグイッと持ち上げると、わざわざ立ち上がってお礼を言った。
「この前は貴重な情報をありがとう。おかげで町の近くでうろついていたハティは
冒険者パーティーが討伐してくれたよ」
この近辺を拠点に活動しているAランクのパーティーが、領主の出した依頼を受け、凶暴な魔狼ハティを退治したらしい。
「前々から群れを追われたはぐれもののハティによる被害が続出していてねぇ、本当に困り果てていたから助かったよ」
もともとハティはBランク以上の冒険者でなくては倒せない魔獣なのだが、普段は森や山奥を縄張りにしているため、町の近くで被害が出ることは少ない。しかしごく稀に群れを追われた…所謂ボスの座争いに負けて住処を失くした敗者である雄が、今回のように町の近くで人や家畜を襲う事件が起きるのだという。
前回訪れた時にそう説明され、知る限りの情報を提供したのだが、代わりに孤児院にまつわる話や頻繁に手伝い依頼をしている店の名前、ついでに薬師ジューンとギルドの関係を聞かせてもらった。
ジューンについては、この辺りでは魔女として認知されており、町民やギルドに登録している冒険者相手に商売をしているらしい。なんでも昔この地の領主と約束したとかで、この町から離れられないそうだ。
本来なら高額なポーションを破格の値段で卸してもらい、大変助かっているとテッドは言っていた。
「いや、こちらも話を聞かせてもらったから。お互い様だ」
「そうかそうか。で、今日は?」
「ちょっとマスターに用事があって」
「マスターと? なんかあったのか?」
深刻な様子で聞いてくるものだから、思わず苦笑が漏れる。今回はとある人物から秘密裏に、些か込み入った話を聞かなければならないため、決して内容が漏れない秘匿の術が掛けられた部屋を借りることになっているのだが、彼は知らされていないようだ。
返答を待つテッドを前に、どう説明すべきか難しい顔で悩むギルバートの後ろでは、グイードが笑いを堪えて肩を揺らしているのだが、本人には気づかれず幸いである。
「おい、なんだか楽しそうだな」
そんな三人の間に、野太い声が割って入った。
カウンターの奥の部屋から姿を現したのは、スキンヘッドの左側頭部に剣と鎖鎌の入れ墨を刺した、老齢の一歩手前くらいのガタイの良い男。歳にそぐわないムキムキの筋肉と猛禽類のような鋭い目つきが、若かりし頃の彼の活躍を容易に想像させる。
この男はここ、ギルドのブロウト支部を任されているマスターのガイスト。彼はこちらに近づくと、テッドの座る椅子の背凭れに手をつき、大仰に嘆息した。
「約束の時間になっても来ねーから、様子を見に来てみりゃあ、ここでつっかかってたのか」
「ああ、すまないマスター。じゃあテッド、また後で」
テッドに一声掛けてから、遊んでないで早く来いと顎をしゃくったガイストの後をついて行く。
「お連れさんは随分早くから待ちぼうけしてますぜ」
他に誰もいない廊下でガイストにそう告げられ、やれやれと頷いた。
先日はグイードが大怪我を負ってしまったが、ギルバートたちもギルド登録会員で、ランクは”A”だ。しかし高ランクではあるものの、ギルドマスターの許可が必要な特別な部屋を借りるには、ギルバートたちは正体を明かす必要があった。
基本的にギルドは身分の隔たりはなく、単純明快実力社会なのだが、ギルバートの場合は高位などと一言で片づけられる身分ではない上に、ハティの件でも助けられているためガイストは協力を快諾した。
突き当り左側の、一見ごく普通の応接室のような部屋に入ると、先に来ていた”客人”なる男―――黒いフード付きのマントをすっぽりと被った小柄な人物が、すでに跪いた体勢で待っていた。
「ご無沙汰しております、ギルバートで…ギルバート様。先の失態に対し、挽回の機会を与えていただきましたこと、ありがたき幸せにございます」
真っ先に始まったのは、大袈裟な感謝の言葉だった。
テッドや他のギルド職員には言わなかったが、あの日、本当はハティはもう一頭おり、不運にも二頭による激しい争いの最中に遭遇してしまったギルバートたちは、二手に分かれてハティと戦う羽目になった。
マントの彼が引きつけた方のハティを倒し、ギルバートの元へ駆け付けた時には偶然出会ったフィンによってハティは撃退された後で、大怪我を負ったグイードが癒される一部始終を木陰から見ていたらしい。
その後、ギルバートたちがジューンの家に居候している現在に至るまで、彼は人知れず主の近くに控え、その指示に従い調査に動いていた。
「立て。堅苦しい挨拶もいらないから、調べたことを聞かせてくれ。ヒュー」
グイードが引いた椅子にどかりと腰を下ろしたギルバートは、彼に頼んだ調査結果を急かした。
「はっ! ではまず例の人物について———」
「ちょーっと待った!」
ギルバートの言葉に従い立ち上がった青年が話しを始めようとした途端、まだ部屋の中にいたガイストが、慌ててストップをかけた。
「待ってくれ…いや、待ってクダサイ。アンタ方の内密の話だってんなら、一般人の俺が聞いちゃあいけねえんじゃねーですかい?」
ここは秘匿の術が掛けられた部屋だ。ここでの会話は外に漏れないが、部外者が聞いていたのでは意味がないとガイストは言う。
だがギルバートは彼の言葉に反し、同席してほしいと願った。
「いや、話はこの町に関係することでもある。だからマスターにも聞いてほしい」
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