第26話 疑問(★)
「始めはシスター・アマンダについてご報告いたします」
ヒューが一人目の調査結果を話し出す。数年前に修道院から赴任してきたと聞いていたため、ギルバートたちはアマンダは元々爵位ある家の令嬢だったのではないかと推測していたが、その読み通り、建国以来代々続く由緒あるウィンチェスター伯爵家の娘だった。
「陛下や王弟殿下の婚約者候補だったとは、些か驚きました…」
報告を一通り聞いたグイードは、彼女の経歴に驚き、そして哀れんだ。
「だが自分がどんなに辛い人生を送ろうとも、何の罪もない他人に…それも庇護を必要とする子供に対し、自身と同じ苦痛を強いるのは間違いだ」
きっぱりと言い切ったギルバートとて、アマンダの過酷な生い立ちには同情する。しかしそれとこれとは全く話は別で、フィンを攻撃する理由にはならない。
ギルバートは二度目に会った時のフィンを思い浮かべる。目ばかりがギョロリと目立つほど頬は痩け、腕も脚も骨の上に皮を被せただけのように細く、顔色はひどく悪かった。
「そうですね。フィンの様子を知っている身としては、彼女の行為を許すことはできません」
グイードの言葉に、ヒューも頷いた。
ガリガリでいつもボロボロの小さな少女。健康状態が悪いのもそうだが、それ以外にも、衣服はいつも男児のお下がりと思われる、着古してヨレヨレの継ぎ接ぎを当てたシャツとズボンばかりで、町の娘たちのようなスカート姿は見たことがない。本人は動きやすいからと言っていたけれど、本心はどうなのかわからない。
痛んで艶のない灰色の髪はフィンが自分で切るせいで不揃いなのを、見兼ねたジューンが毎回切り揃えているらしいし、子供のものとは思えないほど荒れた手指は水仕事のせいだとしても、裾や袖から覗く素肌の部分に傷跡が多いのが目につく。
過酷で劣悪な環境だ。でもフィンは腐らずちゃんと前を向いている。いつかジューンの弟子になって、薬師になるという夢に向かって頑張る少女の姿は、とても眩しく感じた。
「それとあの孤児院には良くない噂があることを掴みました。今でこそ子供たちを手伝いに行かせることで足りない運営費を補ってはおりますが、以前は増えすぎる孤児をまるで人身売買のように廉価で娼館や鉱山へ譲っていたらしいと」
裏社会の一部の者しか知らないらしいが、まったくのガセというわけではないようだと言う。
数年前に水害と干ばつが重なったせいで、一時期親を失ったり捨てられたりした子供が増え、国内のどこの孤児院も飽和状態に陥った。国や領地からの補助は少なく、子供たちはほとんど具の入っていない薄い粥でギリギリ命をつないでいた状態だったらしい。
院長としても苦肉の策だったのだろう。
「少なくとも娼館や鉱山で働ければ、メシは食わせてもらえるからな。飢えて死ぬことはないと考えたのだろう」
「はい。私もそう思います。―――続きましてジョージという貴族らしき男のことなのですが…」
ヒューの言葉尻が詰まる。ギルバートが訝し気に先を促すと、彼は深く深く頭を下げた。
「大変申し訳ございません。その男についてはまだ正体が判明していないのです」
「わからない?」
「はい。おそらく偽名なのだと思われます。唯一の手掛かりであるトランティオ侯爵の周囲から調べたのですが、ジョージという名の貴族籍の男はおらず、庶民は出入りの商人から末端は邸で働く下男まで一通り調べましたが、その名と風貌が一致する者はおりませんでした」
彼自身の部下も総動員して虱潰しに調べているが、なかなかその人物に辿り着かないらしい。
「アマンダの生家から嫁ぎ先であるカーベリー侯爵家の周囲にも調査の手を伸ばしておりますので、今少々お時間をいただきとうございます」
「…わかった。それとこれまでトランティオ侯爵家に娘を嫁した家も調べよ。もしかすると”ジョージ”が仲介して養女を迎え入れた家があるかもしれん」
「かしこまりました」
ギルバートの指示にヒューは恭しく首肯すると、御前を失礼いたしますと挨拶を残し、速やかに退室していった。
「……」
部屋の中に沈黙が下りる。
なにやら考え事をしているギルバートと、主の邪魔をしないよう気配を消して控えるグイード。
そしてこれまで彼らの会話をただ黙って聞いていたガイストが、とうとう疑問を投げかけた。
「…なぜ密偵を使ってまで、その孤児院のことを調べるんだ? いえ、調べるんですかい?」
いずれは国の中心となろう雲上の人物が、こんな辺境の小さな村の、貧しい孤児院の子供の一人を、そこまで気にする理由がわからないと、ガイストはあからさまに顔を顰めた。
確かにそうだ。本来であればギルバートやグイードがこれほどまでに気に掛ける相手ではない。それが例えグイードの命の恩人だとしても、だ。
国の要人としがない孤児。建前はともかく、彼らと少女の命の重さには天と地ほどの差がある。
もちろんギルバート自身理解している。しかしなぜか放ってはおけなかった。あの少女を放って何食わぬ顔で旅に戻り、見分を広げてきたと大腕を振って城に帰ることなどできないと、彼の本能が強く訴えている。
決して逸らされないガイストの視線を真っすぐに受け止め、ギルバートはきっぱりと告げた。
「きっと後悔するからだ。あんな小さな少女一人を救えずに、国を守ることなどできようか」
ギルバートの瞳には、あの日夕焼けを受けて輝いていたフィンと同じ、確たる決意が込められていた。
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