第8話 メアリー
(あのイドって人、大丈夫かなぁ)
半地下の小さな窓から空を見上げ、フィンは先日会った旅人二人のことを思い出していた。
三日前、ジューンの手伝いに行った日、森へ薬草を摘みに行った際、魔狼に襲われてケガを負った旅の男たちと出会った。
幸いにもジューンに作り方を教えてもらった、獣撃退用の辛子袋を持っていたため大事には至らなかったが、男の怪我はかなり酷いものだった。
ジューンに森に行くときは必ず携帯するように言われている傷薬で応急処置を施すことが出来、その男二人を連れ、フィンは薬屋に戻ったのだ。
店に着いた頃には既に東の空は濃紺色に変わり、チカチカと星が瞬き始めていた。心配して外で待っていてくれたジューンは、フィンの顔を見るなりホッとした顔の後にゲンコツを見舞い、痛がるフィンから籠と小物入れを取り上げると、急いで孤児院へ帰るように言った。
二人の遣り取りを唖然と見ていた男たちのことは任せなさいと請け負ってくれ、いつもより多い手伝い賃を入れた袋を押し付けられたフィンは、ジューンにお礼を言って全速力で孤児院まで走った。けれど、
『フィン! 一体こんな遅くまで何をしていたのです? 手伝いの後は道草を食わず、まっすぐ帰ってくる決まりでしょう!』
汗だくで息を切らすフィンを待ち構えていたのは、眉を吊り上げたアマンダだった。遅くなった理由を話したが彼女は聞く耳を持たず、お仕置きと称して両手の甲を鞭打たれた上に手伝い賃を全部取り上げられ、引き摺るように反省室へと連れてこられた。
冷たい石床の狭い部屋に放り込まれ、ガチャリと鍵を掛けられる。
『規則を守れない子は、そこできちんと反省なさい』
聞き分けのない子供に諭す口調に反し、ドアの覗き窓からこちらを見下ろすアマンダの目元は、微かに笑っているように感じた。
それから昼と夜を交互に迎え、朝に差し入れられるいつも以上に貧しい食事と手洗い以外、ずっとフィンは固い床の上で小さな窓を見上げて過ごした。
独りは慣れてる。大勢の子供がいる孤児院の中でも、フィンは常に独りだから。
小さな頃はそうじゃなかった。メアリーやサリアとも仲が良く、少しお兄さんのロイやディックも体の小さなフィンを本当の妹のように可愛がってくれた。
こうして振り返ると、フィンへの態度が変わったのは、アマンダが赴任してきた頃からだ。アマンダは規律を重んじるタイプで、院長のコリンナのようにいつも笑顔で子供たちの自主性に任せるタイプとは正反対だ。
フィンは内気なこともあり、決して規則を破ったり和を乱したりしないのだが、事ある毎に注意を受け、罰を与えられた。
初めの頃は心配して気にかけてくれていた友達も次第に気持ちが変わってゆき、今ではアマンダ同様に冷たくあしらわれるだけになった。
寂しくないと言ったら嘘だ。けれど十歳を過ぎて手伝いに行けるようになり、ジューンに良くしてもらうようになってからは、ちょっとだけ寂しくなくなった。
早く成人したい。早くジューンの弟子になりたい。早く一人前の薬師になりたい。
「そしたらオジ…オニイサンの怪我も、もっと治せてあげられたかも」
彼らを思い浮かべると、薬屋に帰る途中でのやり取りもいっしょに思い出し、フィンはくすりと笑う。フィンに比べたらとても大きくて逞しい大人の男たちをオジサンと呼んでいたが、イドじゃない方の男はそれがずっと引っ掛かっていたらしく、ムスッとした顔で指摘された。
『おいこら! さっきからオジサンオジサンってなぁ、俺はまだ二十歳だぞ』
オニイサンと呼べと注意され、フィンは小首を傾げつつも素直にオニイサンと言い直すと、彼は満足そうに頷いていた。
ちょっと子供っぽいなと思ったのは内緒だ。
けっきょく名告り合うこともなく薬屋に到着し、慌ただしいままに別れたけれど、帰り際に男はフィンを呼び止め、「ありがとう」と言った。
それはフィンにとって一番大切な言葉だったから、とてもとても嬉しかったのだ。
そんな過ぎた時間をぼんやりと思い出していると、ドアを小さくノックする音がした。
「フィン。起きてるの? 手洗いに行く時間よ」
声を聞いてフィンは驚いた。ドアを開けてくれたのはメアリーだったから。
一日に三度行かせてもらえる手洗いの時間はいつもアマンダで、フィンの顔を見るたびにまだ反省が足りないと言って、トイレまでの行き帰りの間ずっと小言が続く。
だからアマンダでないことが不思議でメアリーの顔を凝視していると、彼女は眉を顰めて「行かないの?」の訊ねた。
「ううん。行きたい」
フィンは急いで立ち上がろうとするが、もともとガリガリに痩せていた体が、反省室に入れられてから一日一食になったせいか、たった三日で更に痩せこけて骨と皮のようになってしまった。当然力も出ないので、立つだけでも時間がかかる。
ヨロヨロとふらつきながらメアリーのそばまで行くと、彼女はぎゅっと顔を顰め唇を噛んだ。
トイレを済ませ再び反省室に戻る。するとそれまでずっと無言で付き添っていたメアリーが、急に怒ったような顔でフィンを睨みつけた。
「…なんで何も言わないのよ?」
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