番外編
全てを知った姫君の話
――――すべてを知った彼女は今もひとり、彼を想う。きっとどこかで、彼がまだ生きていると信じて。あなたは今、どこにいるの?
私の祖国が滅んでから一年が経った。冬吾さまに連れられてあの屋敷を出ていなければ、今ごろ私はここにいないだろう。
この一年で、私はいろいろなことを学んだ。
滅んだ祖国のこと。
祖国が滅んだ経緯。
私がどういう立場にあったのか。
彼はどういう立場にあったのか。
今、私はかつて祖国を滅ぼした国のはずれにある村に一人で住んでいる。
冬吾さまは私がこの地で暮らしていく手はずを整えると、自分はたまにこっそりと様子を見にいらっしゃるくらいでどこへ行ってしまったのかは分からない。
それでも確かに感じる、自分が守られているという気配。きっと、冬吾さまも近くで見守ってくださっているのだろう。
私の名前は
冬吾さまも、この地では
偽名を名乗り、危険を冒してまで私を守ろうとしてくださる冬吾さま。私はいつも彼に感謝している。
一人で暮らすことにもだいぶ慣れたころ、この辺境の村にもある噂が届いた。
それは、滅ぼした敵国の総大将を捕らえているという内容だった。
滅ぼした敵国、つまりは私の祖国。
貴史さまが生きているかもしれない。
そう希望を抱いた私は、続く言葉に絶望の淵へと落とされた。
この国の王は自分の娘と捕らえた総大将を結婚させ、新たに国を建てさせるつもりらしい。
貴史さまは見目がよい。この国の姫君が恋に落ちても仕方がない。
それに総大将という地位は娘と結婚させて、国を建てさせるには十分な身分。新たな国を
だが、それを知ったところでなにが出来る。
この地では、私は有力貴族の娘ではなく、辺境の村に流れ着き住み着いた一人の無力な小娘にすぎない。
私では貴史さまを救い出すことは出来ない。
いや、そもそもあれほど迷惑をかけた私のことなど、貴史さまはとうに忘れている、もしくはひどく恨んでいるかもしれない。
噂話を教えてくれた村人になんとか笑顔を返すと、私はふらふらと一人住処へと戻り、泣き続けた。
その夜、冬吾さまが私の元を訪れた。
私が泣いているのを見た冬吾さまは、驚いたように口を開く。
「史姫、もしかして噂を聞いたのか」
「ええ。あの方が生きていると。だけどもう……」
「史姫はそれでいいのか?」
泣きはらした目で冬吾さまを見上げると、冬吾さまのお顔は辛そうに歪められていた。
「俺は奴に史姫のことを頼まれたんだ。もし史姫が望むのなら……」
「それはなりません」
何度も考えた。
もしかしたら、冬吾さまなら私を貴史さまのもとへと連れて行ってくださるかもしれない。
もしかしたら、貴史さまを連れ戻してくださるかもしれない。
だけど、今さら何が出来る。
貴史さまにとって、またお荷物になるしかない私のもとへと連れてこられるよりも、傀儡になるとはいえ、祖国を復活させる方が良いかもしれない。
貴史さまは誰よりも祖国の民を愛し、誰よりも心を痛めていたはずだから。
押し黙る私を見た冬吾さまは一つため息をつくと、静かに出て行った。
きっと悲劇のヒロインよろしく悲嘆にくれる私に見切りをつけたのだろう。
それから冬吾さまが私の前に姿を見せることは二度となかった。
冬吾さまが姿を見せなくなってからさらに一年が経った。
私は十九になり、村にもだいぶ馴染んでいたため、身寄りのない身ながら村のみんなに結婚を勧められるようになっていた。
だけど私はいつも首を横に振った。
私には忘れられない人がいる。
そんな私が結婚するなど、旦那となる人に失礼だと思ったから。誰のためにもならないならば、私は一人でいることを選ぶ。
だから私は、その日も一人佇んでいた。
雪がちらつく、とても寒い日。
私は特に理由もなく、ただ一人で立ち尽くし、はらはらと空から舞い降りてくる雪をひたすらに眺めていた。
――――変化は唐突だった。
白銀の世界に一点、染みが広がるように落ちた紅。
見覚えのある色にはっとして視線を移すと、そこには忘れたくても忘れられなかったあの人の姿。
真っ白な雪に紅色を塗り広げるように倒れているあの人を、私は慌てて抱き起こした。
傷を確認すれば、それほど深くはない。
ほっと一息ついて、辺りを見回す。彼のそばにはいつもあの人がついていたはずだから。
案の定、僅かに足を引きずるようにしてこちらへ歩いてくる彼の付き人。
私は溢れ出す涙を止める術を、まだ知らなかった。
それから自分の住処に彼らを連れ帰り、問答無用で寝かしつけ、付きっきりで看病した。
おかげで一週間後には二人ともぴんぴんとしていた。
「そろそろ教えてくださいませんか。この一年のこと」
私が静かに二人に問えば、二人は顔を見合わせてゆっくりと話し始めた。
「姫は僕が捕らわれていたのは噂で知っていましたよね? 一年前、捕らわれていた僕のもとに冬吾さんが来てくださったんです」
「んで、貴史と合流したあと、二人で脱出する計画を立てたんだ。時間もそれほどなかったし、ほとんど強行突破。その結果があの様だ」
二人が顔を見合わせて苦笑する。
「相手もなかなかしつこくて、ここにたどり着くまでかなり時間がかかってしまいました」
「こいつとの二人旅は、史姫との二人旅よりムサいしキツいし……」
「僕だって姫と旅したかったです」
どこか拗ねたように言う貴史さまはちょっと新鮮で、可愛らしいと思った。
何も知らなかったころには見えなかった、彼の本当の姿。
私は嬉しくなって思わず笑みがこぼれた。
「姫、何を笑っているんですか」
彼が少し照れたように笑う。
そう。彼が笑っている。私のすぐそばで。
「おかえりなさい、貴史さま」
抑えきれない笑みを浮かべて言えば、満面の笑みを浮かべた貴史さまが言う。
「ただいま」
そっと抱きしめられると感じる、自分とは異なる堅い身体。
でも、なんだかほっとする気がする。
「おい、いつまでいちゃついているんだ。ったく、独り身の俺にも気を使え」
口ではそう言いながらも、冬吾さまの口許はゆるんでいる。
貴史さまの腕の中から彼を見上げると、貴史さまは微笑みながら口を開いた。
「隣の国なら一緒に暮らせそうなんです。僕と一緒に来てくれますか?」
一緒に?
ぽかんとして見上げていると、少し不安げに顔を歪めて私を見つめ返す。
「それとも僕のことなんてもう……顔も見たくないですか?」
「そんなことないです!」
慌てて力いっぱい否定する。
「私の方こそ、愛想尽かされてると思ってましたから」
「僕が姫に愛想を尽かすなんてありえません」
間髪入れずに貴史さまが答える。
その顔がなんだか焦る子どものようで、私は思わずくすりと笑いをこぼす。冬吾さまもすぐ傍で笑っていて、からかうように言葉をかける。
「自分が死にかけても守ろうとするくらいだもんな、貴史は」
にやにやと笑う冬吾さまに、貴史さまは耳まで赤くした。
「それくらい好き、なんだよ……」
顔が火照る。
きっと私の顔は貴史さまに負けず劣らず真っ赤になっているだろう。
「とにかく、来てくれますね?」
私をぎゅっと抱きしめて、照れを誤魔化すよう少し乱暴になった言葉。
私は少し身体を捻って貴史さまから離し、顔をしっかり見つめて口を開く。
「はい。どこまでもお供します」
たとえ身分が変わっても、裕福じゃなくなっても、住む場所が変わっても、時が移ろっても。
貴方が一緒ならば、そこにはきっと幸せがあるから。
だからずっと……
「一緒に、いさせてください」
全てを知った今だから、私は心の底からそう願う。
最大級の笑顔を浮かべ、いつまでもあなたのそばにいる。
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