4.とある総大将の話

 ――――愛する者たちの未来を守るため、命を賭して戦場に立つ。それが俺に与えられた唯一の使命だから。






 俺が生まれたのは九宮くみやという代々総大将を排出する、いわゆる名家だ。


 そこの長男として生まれた俺は、やはり父親と同じく総大将という地位に着いた。


 家族構成は父に母、三つ年上の姉。


 姉は十七で結婚したが、最初の子供が生まれたのは二十歳の時だった。当時俺は十七歳。初めて出来た甥は可愛くて仕方がなくて、訓練の合間を縫っては足繁く姉の家に通った。


 その頃からやれ身を固めろだのやれ後継者をだのいろいろうるさく言われたものだが、俺はまったく気にせず、当然結婚する気も全くなかった。


 のらりくらりと親戚をかわすうちに、気がつけば二十歳。


 子供を遅く授かった両親は、俺が二十歳になったことをいいことにさっさと引退し、隠居した。


 それともう一つ、その頃から隣国との国境がきな臭くなってきたこともあるのだろう。戦術に関しては全く才能がないと言いきっていた父のことだ。これ幸いと俺に押し付けたのだろう。


 幸運なことに、俺はそのあたりの血は受け継いでいないらしく、戦術に関するセンスは国内一と言われていた。


 俺が総大将の地位を受け継いだ翌年、姉が待望の第二子を産んだ。


 早々に結婚しないと言いはっていた俺は、ならばせめて姉の子を養子として後継者にしろと言われ、生まれたばかりの次男を引き取った。


 名前を、貴史たかふみとした。


 貴史はやっぱり可愛かった。周囲が呆れるくらい、あちこちに連れまわした。


 どうだ、俺の貴史。可愛いだろう。


 俺が二十二、貴史が一歳になったとき、あれほど断った俺の婚約話が持ち上がった。お相手はどうしても九宮の家と縁続きになりたいと躍起になっている大貴族、藤宮の姫さん。生まれたてほやほやの0歳児だ。


 当然反対した。息子となった貴史よりも年下の姫と婚約なんて、姫のほうが可哀そうだ。こんなおっさんと婚約するくらいなら貴史と婚約したほうがいいだろう、と。


 だが、藤宮は総大将の地位をもってるやつに嫁がせたいらしい。確かに、姫が結婚できる歳になるころはまだ俺が現役だろう。貴史にはまだまだ練習期間をあげたいころだ。


 とりあえず、姫が五歳になったときに顔を合わせ、詳しいことはそこで話し合うということになった。






 ――――五年後。


 俺は六歳になった貴史を連れて藤宮の屋敷を訪れた。貴史は六歳児とは思えないお行儀の良さで俺の後ろに座っている。貴史可愛い。


 二人で待たされること数分、ようやく目の前の襖が開いた。


 目の前には藤宮の当主と、一人の少女。彼女が藤宮の姫なのだろう。真っ白な肌と対照的に真っ黒な髪と瞳がとても美しく、可愛らしい少女だった。


 うん、貴史にお似合い。


 このとき俺の心は決まった。なんと言われようと、この子を貴史の婚約者としよう。要するに、この子が結婚する歳になるまでに総大将の地位を貴史に譲ればいいというだけのことだ。


 内心ではそんなことを考えながら、表面上はにこやかに婚約の話を受け入れた。


 ただ、何故だろうか。この頃から貴史の様子が変わった。








 それから四年が経った。貴史は何故か藤宮の姫の世話をしている。小さいころから貴史と姫が仲良くなっておくことには大賛成だったから許可は出したものの、相変わらず貴史の表情が冴えない。


 どうしたものか、と考えながら訓練場へと歩く。


「うわっ! ご、ごめんなさい……って、暁人様!?」


 どん、と軽い衝撃がして視線を下げると、まだ少年と呼んでも差し支えない年頃の男の子。


「君は?」


「はい! 冬吾と申します」


「冬吾……ああ、五十嵐いがらしの三男坊か」


 俺が口に出した途端、強張る冬吾の顔。


「そ、そんなに有名ですか」


 ほう、そういうことか。冬吾は武官を排出することで有名な五十嵐の家の出だということを気にしている、というわけだな。


「冬吾、来い」


「はい!」


 後ろを振り返らなくても冬吾が強張った顔のままついてきていることは想像に難くない。


 くく、と思わず笑いが漏れる。我ながら人が悪いと思う。


「練習用の剣、借りるぞ」


 俺が冬吾を連れてきたのは軍の訓練場。

 くるりと振り返れば、そこには訳が分からないと顔に書いている冬吾。


「お前、剣技は得意か」


「はい、まぁ、少しは」


「よし。やるぞ」


「はい?」


 未だによく状況が飲みこめていない冬吾に練習用の剣を押し付け、自分は少し離れたところで構える。


「さて、では手合わせを頼むとするかな」


「え、ちょっと、総大将!? こんな子供相手に酷な……」


 周りがぎゃいぎゃいと煩いが、目の前の冬吾はしばらく手元の剣を眺めた後、ゆっくりと構えた。意外と肝が据わっているらしい。


 お願いします、と一言口にしてから仕掛けてくる冬吾は真面目なのだろう。


 最初の一撃をにこりと笑いながら受け止める。


 冬吾も最初から本気で打ちこんできてなどいないのか、あっさりと身を引くと二撃目、三撃目と打ちこんでくる。


 何度か剣を合わせながら俺は考える。


 結論を出すと、ぴたりと動きを止めた。と同時に動きを止める冬吾。


 訝しげにこちらを見る冬吾に、俺は笑顔を見せる。


「冬吾、お前今いくつだ」


「十四になりますが……」


「よし。お前は明日から俺の副官な」


「え……?」


 冬吾の驚きに見開かれた目を見て、俺はにやりと笑う。そして話は終わったとばかりに背を向け、歩き出す。


「ちょ、ちょっと待ってください! 俺を副官にするのは、俺が五十嵐の出だから……」


「いーや、冬吾くん。君の太刀筋、俺は好きだよ」


 呆気にとられる冬吾の間抜け面を見て俺はくすりと笑うと、今度こそ背を向けてその場を立ち去った。


「そ、総大将! こんな子供相手に副官など、おたわむれがすぎますぞ」


 俺が練習場を後にすると、後ろからついてくるのは古臭い考えに凝り固まったおっさん、もとい俺の部下たち。まだ年若い俺を尊重してくれているだけでもまだましだと思っていたけど……。


「お前らさ、そんなんじゃ大局、見逃すぞ」


 俺が声を低くして言えば、ごくりと唾を飲み込むおっさんたち。普段から温和な表情と態度を崩さないようにしている俺が態度を変えたことに何かを感じとってくれればいいのだが。


 特に未来を見据えるならば、柔軟な思考を持つ年配者は必要不可欠だ。このおっさんたちは知識だけはある。あとはもう少し柔軟な思考を身につけてほしい。


 そんな思いを胸に、俺は再び歩き出した。


 それからの二年間、冬吾は面白いほどにいろいろなことを吸収し、すさまじい勢いで成長していった。最初は年若い冬吾に対して馬鹿にしたような態度をとっていた者も、この二年の間にすっかり認めさせられていた。まあ、陰に俺の暗躍もあるわけだが。


「暁人様、冬吾です。お呼びですか」


「ああ、冬吾か。入れ」


 今年十六になった冬吾は、周囲が放っておかないほど優秀だ。それでいて、その才を周りにひけらかすことはない。


 俺は冬吾の成長ぶりに頬を緩ませながら、口を開く。


「冬吾には教育係をやってほしいんだ」


「教育係、ですか。誰のですか」


「貴史」


「は?」


「だから、貴史」


 にやりと笑う俺と、不満を顔全体で表現する冬吾。


 見つめあうこと数分、先に陥落したのは冬吾だった。


「……分かりました。で、貴史様にはいつからつけばいいんですか」


「もちろん、今日から」


 冬吾は今度こそ絶句すると、意味が分からない、とぼやきながらも部屋を出ていった。


 俺はね、冬吾にも貴史にも幸せになってもらいたいんだ。きっとお前がいれば貴史もこの先大丈夫だと思うんだ。

 ……そう、この先に戦が起きようとも、俺がいなくなろうとも、ね。


 窓の外から遠くを見やる。昨年から国境の小競り合いが頻発するようになった。まだ総大将である俺が出るほどの規模ではないにしろ、隣国と全面戦争になるまではそう遠くないだろう。


 俺にもしものことがあっても、二人が生きていけるように。


 まだまだくたばるつもりはないが、猶予はあればあるほどいい。


 俺は戦術書を引っ張り出しながら、実の息子同然に思っている二人の少年の顔を思い浮かべた。








 姫が十七になった。とうとう俺と姫の結婚が本格的に決まってきた。


 俺は三十九になっていたし、貴史は十八になった。

 

「そろそろ頃合いだな」


 俺もそろそろいい歳になってきたし、貴史と冬吾はもうあとを任せてもいいと思えるほど成長した。隣国との国境も今のところは安定している。しばらくは俺が隠居してもなんとかなるだろう。


 そう思っていた矢先だった。


 ――――国境の砦が陥落した。


 ――――はずれの街が攻め落とされたらしい。


 ――――隣国の兵が都のすぐ側まで攻めてきている!


 やられた。


 情報が遅すぎる。慌てて軍内部を調べてみれば、隣国の間諜はすでに脱出した後だった。


 こちらが情報を止められている間にいったいどれほどの兵が命を落としたのだろうか。俺はすぐさま装備を整えさせ、迎え撃つために出立した。


 辿りついた先、そこにはおびただしい量の死体が積み重なっていた。ここまで酷かったのか。援軍としてきたはずの俺たちは言葉を失った。


 視線をその先にやれば、そこには陣を構える敵国の軍団。これほどの死人が出てもなおあれだけの量がいるとすると、一体どれほど我が国の兵は命を失ったのだろうか。


 悔しさと自分の不甲斐なさに、ぎりりと歯を食いしばる。


 しょせん俺は本物の戦なんて経験したことのない、ただの若造にすぎないってことだ。こんな若造のために命をかけている自国の兵たちに対して申し訳ない気持ちがいっぱいになる。


 しかし、いつまでも悔しがっているわけにはいかない。俺はすぐさま都から冬吾を呼び出すため、使いを出した。


 どれほど戦況が回復するかは正直分からない。だが……


「やるしか、ないだろ。兵たちのために。……あいつらのためにも」


 ただの若造だとしても、俺はこの国の総大将だ。俺だけは現実から目を背けることも、逃げだすことも許されない。それだけが今の俺に出来る唯一のことだ。


 それから冬吾が俺の隣に立ったのは、使いを出してから五日後のことだった。あらかじめ冬吾に戦況を見せておけば、後から貴史を呼び寄せたときに力強い助けとなるだろう。


「なぁ、冬吾。貴史の様子はどうだ」


「貴史様、ですか」


 ちらりと冬吾の顔に目をやれば、そこにはでかでかと何を今更、と書いてあった。相変わらず分かりやすい奴だ。


「貴史様は日々訓練に励み、勉学も怠らずに過ごされています。あれほど完璧な人間は今まで見たことがありません」


「そうか」


 嬉しさに口元が緩むのを抑えきれない。やっぱり、冬吾を貴史つけたのは正解だった。二人は兄弟のように楽しそうに、仲良く日々を過ごしているらしい。もちろん、冬吾の能力の高さを買って貴史の教育係を任せたことに違いはないのだが、本心としてはこのように二人が心から信頼しあえるようになることを望んで いた。



 こんな時期に、二人に総大将とその副官という役目を負わせてしまう代わりに、せめて二人が互いに心から信頼しあい、心安らげる存在となるように。



 ふと、変な動悸がした。


 冷や汗が吹き出し、激しい頭痛に襲われる。


 何故か冬吾をこの場に留めてはいけないような気がした。


「来週の初めを貴史の初陣とする。あいつはまだ十八だが立派にやるだろう。お前は一足先に戻り、貴史の準備を手伝ってやれ」


「了解しました」


 冬吾は来てすぐに都へ帰されることに訝しげな表情を浮かべながら、しかし俺の命令にすぐさま了承の意を示す。


 途端に治まる動悸。


 ああ、やっぱりな、なんてただの格好つけだろうか。


 闇に乗じて都へと馬を走らせる冬吾を見送りながら、俺は覚悟を決める。きっとこれが彼の姿を見る最後になるだろう。出来ることなら、もう一度貴史の顔を見たかった。



「奇襲だ!!」


「総大将、お逃げくだ……ああああああああ」


 せめてもの救いは、冬吾がここを立ち去ってから十分な距離が開いているであろう頃合いに敵が来たことだろう。


 最後に冬吾だけでも守れたことに僅かな満足を覚える。俺の直感もたまには役立つもんだな。こんな状況だというのに口元には微かな笑みが浮かんだ。


 響き渡る怒号と悲鳴に耳を傾けながら、俺はすらりと刀を抜く。


「簡単に、死んでたまるか、よッ!」


 暗闇から襲いかかってくる斬撃を躱し、跳ね返しながら一心不乱に刀を振るう。


 濃厚な血の匂い。


 むせかえるような死の芳香にだんだんと身体の機能が麻痺していく。


「ッが、ァああああああああああ」


 一瞬の隙に、肩に突き立てられる敵の凶刃。


 反射で刀を突き出すも、簡単に撥ねられる。


 ああ、ここまでか。


 やけにゆっくりと見える敵の刃を眺めがら、俺の脳裏に浮かぶのは二人の愛しい息子たち。


 もう少し粘れるかと思ったが、どうやらもうお別れらしい。


 出来ることならお前たちが隣にいない戦場ここではなく、静かな場所でお前たちの顔を見ながら逝きたかった。


 こんな時期にはありえないような夢想をして、自嘲の笑みがこぼれた。


 ――――悪いな、後は頼んだ。


 全ての視界があかく染まった。

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