第3話 ジントニックとカシスオレンジ


「えっと…あの、咲夜さん…ですよ、ね?」

「そーだよ。アンリミのギタボ、咲夜です。」


 ニッと笑うと見える八重歯、ライブの時にもつけていたピアスとネックレス。そして、何度も聴いた曲と全く同じ声が何よりの証拠だった。



「え、あ、その、あ、ありがとうございます。聞いていただいて…まさかご本人様がいらっしゃるとは知らず…」

「さっきまでライブの打ち上げしててさ、メンバーがかなり酔ってたから早めにお開きしたんだよねえ。

 んで、暇だったから散歩してたら、俺らの歌が聞こえたからつい立ち見しちゃった。」


 本物だ。間違いなく咲夜さんだ。ライブの時の荒々しさはほとんど感じられず、逆に穏やかなオーラを放っている。まさしくオフの雰囲気だった。

 冬の寒さのせいなのか、アルコールのせいなのか、咲夜さんの鼻頭が赤く染まっている。普段と違う彼に、私はつい見とれてしまった。


 

「今日寒いね。君、この後なんか予定ある?」

「いえ…特にないですが…」

「なら、飲みなおしたいからさ、付き合ってよ。」



(え?この人今なんて言った?)



 思考が追い付かず、彼の発した言葉に理解するには時間がかかった。

 ただでさえ男の人にそんな風に誘われたりすることなんてないから、なおさら意味が分からなかった。だって彼は私の手の届かない場所にいる人なのだから。



「いや、でもそれはさすがに…」

「いーから、行くよっ」


 半ば無理やり手を引かれ、私はあわててギターを持って彼について行く。ただのファンを食うような最低な奴だったらどうしようと不安になりながらも、掴まれた腕が熱く、鼓動が速くなっている自分に嘘は吐けなかった。




 歩いて五分ほど、とあるビルの前で立ち止まった。

「ここ、俺のおすすめのバーがあるんだよね。」

 と、言いながら、ビルの中のエレベーターに乗り込む。

 5階のボタンを押して、エレベーターが昇っていく。ギターを背負っているせいか、狭いエレベーターはかなり窮屈だ。逃げられないようになのか、彼はずっと私の腕を掴んでいる。

 あまりにも非現実的な状況に、私はただじっと彼とは反対方向を見つめる。彼は彼で何も言わず、時々こちらを見ては口元を緩めている。



 5階に到着したアナウンスとともに、エレベーターのドアが開かれる。少し薄暗い廊下を歩き、一つのドアの前で彼は立ち止った。

 私の腕を離し、美しい装飾が施されたドアの取っ手を引く。

「お先にどうぞ。」

「あ、ありがとうございます…」


 手慣れたように彼は私を店の中に案内する。店に一歩入り、私は思わず身を震わせた。

 薄暗い店内、おしゃれなBGM、高そうなお酒が並ぶバーカウンター。どう考えても自分のような者が来る場所ではないと思った。

 


「あのっ!こんな高そうなところ…私さすがにそんなにお金持ってないです  よ?!」

「そんなの気にしなくていいよ。俺を誰だと思ってんの?」

「そりゃあ…そうですけど、でも…」

「いーの。早く、こっちおいで。」


 また手を引かれ、店の奥にある向かい合わせの小さなテーブルに案内される。ギターを下ろし、少し高めの椅子に身を縮めて座る。

 カウンターから出てきた店員注文を聞かれ、私はカシスオレンジをオーダーした。彼は「いつものやつ、お願いします。」と言っており、本当によく通っている所なんだと驚いた。


 

「急にごめんね、どうしても話が聞きたくってさ。」

「あ、いえ…なぜ私と?」

「先に行っておくけど、俺いつもこうやってファンの子と密会してるわけじゃないからね?」


 よくファンの女の子に手を出しているバンドマンを知っているからこそ、彼のその発言を先に聞けたことに驚いた。きっと、私の顔にそのまま書かれていたのだろう。この人はよく見ているな、と思いながら、運ばれてきたドリンクを店員から受け取る。彼の前には、半透明に光るお酒が運ばれる。グラスのふちに添えられたライムを見るからに、おそらくジントニックだろう。



「改めて自己紹介するね。俺はThe Unlimited Songの咲夜です。君は?」

「み…ミクです。たまにああやって路上ライブしてます。」

「ミクちゃんね。ライブ途中から聴いてたけど、歌上手いねえ。」

「そんな…ありがとうございます。咲夜さんに褒めてもらえるなんて…」


 緊張のせいなのか、すぐに乾いてしまう口をカシオレで潤す。オレンジの酸味が私の舌を刺激し、緊張を紛らわせようとしている。


「あんなに上手いなら、バンドとか結構誘われるんじゃない?ギターもかなり弾けるみたいだし。」

「―――――っ…!」



 バンド、という単語に言葉が詰まる。

 ――それは、とっくの昔に私が捨てたものだから。



「そう、ですね…なくはないです。」

 少し言葉を濁して答える。だが、それも無意味だったようで。



「………バンドでなんかあったんじゃないの?」

「…やっぱり、分かっちゃいますよね。」

「まあ、そんな顔してたら誰でもわかるよ。」

 彼が心配そうに私の顔を見つめてくる。よほど気不味い顔でもしていたのだろう。あはは、と力なく笑うと、彼はグラスの氷を回しながらニコッと笑った。

 


「…まあ、とりあえず吐き出してみたら?君の話、聞きたいんだよね。」

「え……」

 待て待て焦るな、と自分に言い聞かす。この人は超有名人の尊敬するバンドマンだぞ?こうやって目を合わせること自体異常なんだぞ、失礼があってたまるか。



 なんて思っていたのに。



「――――バンドは、もうしないんです。」



 グラスについた水滴のように、口から勝手に言葉が零れ落ちた。

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