【第4話】虚空の王Ⅱ
開始の合図は必要ない。
肌を刺すような張り詰めた空気が彼らを刺激し、自然と真剣な空間へ誘う。
故に、既に
「先に言っておくけど、痛いのは嫌だからね。じゃあ、いくわよ──」
先に行動したのは雅。
一言だけ言葉を発した彼女は次の瞬間、二人の間に存在する約三メートルと距離を詰めるために、猛烈と地面を蹴り上げた。
「…………!」
わずか、ほんの一瞬出遅れたシオンは、攻めに出るタイミングを失い、防御態勢に入る。
その隙を見逃さなかった雅は、シオンの顔めがけて鋭い正拳突きを繰り出した。
攻撃のリーチはおよそ七十センチ。
シオンは余裕をもって八十センチ程、後ろへ飛び
これが功を奏し、寸前のところで回避に成功するも、未だ彼女の勢いは衰えない。
依然、防御に徹するシオン。
何度も攻撃を受け、躱し──終には顎下の急所を狙った鋭い一撃が放たれた。
──が、シオンはこれを読んでいた。
雅の動きが定石通りだったから、
予想するに容易い安直な一撃だったから、
と結論付けるのは見当違いだ。
今回ばかりは単純に、シオンの方が一枚上手だった。
ただそれだけのこと。
シオンは急所に向けて突き出された腕を今度は避けずに、片腕でがっちりホールドを決めてみせた。
「────!?」
渾身の一撃を受け止められ何かを察知したのか、雅は次に用意していた攻撃を中断し、ホールドされた腕を振りほどくのに全力を注ぐことにしたようだ。
身体を捻らせて繰り出す頭部への蹴り。
意識が疎かになっている下段への薙ぎ。
相手の出方に合わせたカウンター。
など、あらゆる可能性が考えられたが、結果として雅は頭部への蹴りを繰り出した。
「はぁっ!」
気合の入った声と共に繰り出される一撃。
しかし、この一撃すらもシオンは読んでいた。
大きな軌道を描く蹴りにより、ガラ空きになる雅の正面。
大胆かつ最適な選択であったが、読みを利かせたシオンにとっては反撃可能な千載一遇のチャンス。
だったが、シオンはあえてその選択肢を除外した。
意味がないと判断したからだ。
これは模擬戦であり、実戦ではない。
それにもう一つ、本来の目的は“雅の実力を見極める”ことにあるのだから──。
ともあれ、この一連の流れに終止符を打ちたいシオンが次にとった行動は、ある意味で最適解だった。
「……黒色」
口からボソッと零れた言葉を聞いた雅は、すかさず蹴りを収める。
同時にシオンはホールドしていた雅の腕を解放し、ゆっくりと後退する。
誰が見ても今のシオンは隙だらけだ。
にも関わらず追ってくる様子もない。
それどころか、雅も後退し始めたのだ。
互いの距離が二メートル、三メートルと離れていく。
それが約五メートルに差し掛かった頃、顔を赤らめながら、雅が小さく覇気の無い声で呟いた。
「…………たまたまよ」
ギュッと握られた雅のスカートにシワが滲む。
俯き、恥じらいの表情を浮かべ、見るも無惨な雅の状況を前に、シオンは追い打ちをかけるように煽りを飛ばす。
「かわいいパンツが丸見えだぞ」
「だから…………たまたまだってば!!」
「たまたまって何だよ。たまたまパンツが見えたってことか?」
「ち、ちがっ……」
言っている自分が恥ずかしくなったのか、言葉を詰まらせている雅。
それでも彼女は言いたかったのだろう。『黒色のパンツを履いているのは偶然だ』と。
だがそれを口にしてしまえば、それこそシオンの思惑通りだ。
全てを察した雅は、代わりに、怒りを含んだ目つきでシオンを睨みつけていた。
「なんだよ。スカートを履いてるのにそんな蹴りをしたお前が悪いだろ?」
「…………」
これに関して、どちらが悪かと言われれば、満場一致でシオンが悪いだろう。
何せ、言う必要がない。
では意味のない煽りだったのかと言われればそうではない。
どこか遊び半分でやっている雅を本気にさせるため──雅に
見つめ合う二人。
凝視という言葉があるが、まさにこの状況はそれに値する。
まるで視線だけで会話をしているように、互いに目を凝らし、瞳の奥に潜む心情を探り合っていた。
この時、雅の瞳にシオンがどう映り、何を感じたのかは分からない。
少なくともシオンの心情は伝わった、と分かるくらいには凛々しく、迷いの無い表情を示してみせた。
「そうよね。実戦じゃそうもいってられないものね…………じゃあ、本気で行くわよ」
途端、場の空気が明らかに変わった。
重く鋭く、息が詰まる空気に。
自らの鼓動が聞こえそうなほどに静まり返る中、雅は両の掌を胸に当て、ゆっくりと息を吐き出し──言葉を発する。
「開け──≪
刹那、ブオンという音をたて、胴体と同じ大きさくらいの歪んだ空間が出現した。
雅の隣に一つと、シオンをドーム状に包み込むように、ざっと百個ほど。
「今の私が≪虚空の王≫にどこまで通用するのか、楽しみね」
制服の裏に手を伸ばす雅は、隠してあった短刀をおもむろに取り出し、自身の横で開口している空間へ勢いよく放り投げた。
投げられた短刀が空間に飲み込まれた直後、シオンの右横からシュっと音が鳴る。
「……っ!」
危険を察知し、身体を後ろに傾けると、空間に飲み込まれたはずの短刀がシオンの目と鼻の先をかするように横切った。
横切った短刀は直線軌道を描き、シオンの左側の空間に飲み込まれる。
すると、今度は後方の空間から短刀が飛んできた。
これを避けると、今度は前の空間へ。
次は右斜め後ろの空間から、左前の空間へ。
次は──。
入口と出口が決まっていて、ある規則性に従い設置された≪
撃ち落としても再度投げ込まれる短刀が、シオンを無数にも感じる剣の牢獄へ閉じ込めた。
(ワームホール理論に基づいた
事前に計算された短刀にかかる重力加速度や空気抵抗と、それに即した≪
少なく見積もってもランクA以上の実力に加え、そこには実践で幾重にも積み重なった、感覚にも近い経験さえ感じた。
窮地に立たされる中、シオンは目の当たりにしているこの状況を認めざるを得なかった。
「合格だ」
シオンは歪んだ空間と空間の間に存在する僅かな隙間から雅の顔を見つめ、笑みを浮かべた──のだが、肝心の雅からの反応がない。
語弊をなくすために事細かく説明するならば、シオンが微笑みかけた仕草に対して、雅も微笑み返すという反応はあった。
二人の間で言葉を使ったコミュニケーションが、行われなかったのだ。
これを不審に思ったシオンは、雅に要点が伝わっていないのだと推測し、すぐさま口を開き、述べ直す。
「認めるよ、お前が未来から来たってこと。だからさ、
自らを覆い囲む歪んだ空間の数々を、十人が十人見ても勘違いが起きないように、シオンは指差した。
すると雅はまたも笑いかけ、しかし先刻とは異なり、言葉も添えた反応を示してきた。
「そう、ありがとね。じゃあ、続きをやりましょう」
「何を言って……ちょ、ちょっと待て!!」
確実に要点は伝わった。そのはずだ。
だが、雅の撮った行動は予想に反したものだった。
ざっと十個、雅は制服の裏に仕込んでいる残りの短刀を全て、
(一体なんなんだよ……冗談じゃ済まないぞ)
事実、このままでは埒が明かない上に、下手をすれば怪我だけでは済まされないだろう。
状り込まれた短刀が前後左右から、もはや回避不可能なラインでシオンに向かい、飛んで来ている。
「……仕方ない」
窮地に立たされているにも関わらず、余裕の態度で小声を漏らすシオンは、息を大きく一回吐き出し、心を静め、終いには目蓋も閉ざしてしまった。
諦めた訳ではない、集中していたのだ。
自らの手で、この状況を打破するために──
「領域展開──物体の速度、ベクトル、──位相、認識完了」
瞬間、シオンは周囲の空間を支配する準備を整えた。
これが示すはただ一つ、シオンが
シオンの
領域展開という言葉で不可視の空間を出現させ、その空間内に存在するものであれば物の大きさや震え──を身体の一部のように感知・把握することが出来る。
では、“準備を整えた”とは何を示しているのだろうか。
それは、彼を≪虚空の王≫と言わしめている、この現象が物語っていた。
「起動──≪
言葉が発せられた直後、短刀はピタッと動きを止め、空中に浮いた形で静止した。
文字通り、物質を空間に固定したのだ。
シオンは浮いている短刀に近づき、効力を確かめるようにツンツンと指先でつついた。
「……問題ないな。ちゃんと機能してる」
自身の力が問題なく機能していることを確認したシオンは、これならと思い、続け様にもう一つ唱える。
「──≪
この時、実に不可解な現象が起きた。
そもそも
それ故、科学の範疇を決して超えない。
もっと言えば、科学的に起こりえない現象はどう足掻こうと起こりえないのだ。
だが、今、目の前で起きているこの現象は、明らかに科学で説明できる範疇を逸脱していた。
──物質の完全消滅。
シオンを包囲している歪んだ空間、そして空中に固定されていた短刀が、音も立てず消滅した。
「相変わらず滅茶苦茶ね……」
特別驚いた様子もない雅は腕を組み泰然とした足取りで、眉を
「おい、何のつもりだ!」
「そうカッカしないでよ、冗談よ冗談。久々にシオンの実力も見ておきたくてね。それに、私だけ試されてるみたいじゃない? それって不公平だと思って」
「それは……」
「いつもそうやって傲慢な態度とって……こっちの身にもなってよね」
正論を言われ口ごもるシオン。
少しだけ、表情に反省の色が伺えるが、納得はしていない様子だ。
何とかして反論を試みるシオンだったが、会話の流れだとか、周囲の空気を読まない(読む気もない)雅に遮られる。
「とにかく、信じてもらえて一先ず安心ね……で、予定よりも遅れちゃったけど──」
一拍の妙な間を置き、雅は話を続けた。
「未来のあなたから伝言を預かってるのよ。出会ったらまず、これを伝えろって」
「伝言?」
「そう……『
時刻は入学式終了の十分前──午前十時五十分。
シオンの額に一線の汗が垂れる。
四月にしては暖かい気温で、模擬戦直後ということもあるだろう。
だが、額に垂れてしまった汗の本質を捉えた原因は、その類ではない。
──『
予感としか表現しようがないが、この言葉がシオンにとって、逃れることの出来ない運命、言い方を変えれば、自らを縛る呪縛のように聞こえたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます