【第5話】束の間の一時Ⅰ
西暦二〇九八年四月九日、水曜日。
入学式から二日後の昼時──時刻は午後一時。
シオンと伊織は、今、とある戦いに身を投じてた。
「伊織、急げ! もっと、もっと速く!」
「ちょっと待ってよ。そんなに急ぐ必要あるの?」
「馬鹿野郎!! 舐めてかかるなよ……このルートで行く。いいな?」
「……そんな無茶苦茶な」
表示されたルートの無謀さを目にして言葉を失う伊織、とは対照的に騒然とする周囲。
何かに掻き立てられたかのように、我先にと皆が同じ方向へ、獅子奮迅の勢いで足を運んでいた。
「ねえ、本当にここまでする価値って……うわっ!」
突如、ドンッと音と共に、シオンの後ろで悲鳴が上がる。
足を止め、振り向くシオン。
そこには見ず知らずの生徒と伊織が衝突したのだろう、尻餅をついた生徒と、肩を抑え仰向けになっている伊織の姿があった。
「伊織っ!」
「大丈夫。僕は置いて行って、大丈夫だから……」
「何を言ってるんだ──」
「シオン! 僕はここで待ってるから……ほら、早くしないと間に合わないんでしょ?」
優しく笑みを一つ浮かべた伊織を見て、シオンは強く拳を握る。
仲間を放っておけないと思う強い気持ちに相反し、体を百八十度回転させ、シオンは目的地へ一人向かう判断を下した。
「……必ず、手に入れて見せるからな」
♢♢♢
目的地──慶海学園の中庭へと着いたシオンは、目に映る悲惨な光景を前に、固唾を呑んだ。
飛び交う罵詈雑言。
加えて、目の前にはおおよそ五十名の有象無象。
その全てがシオンの敵であり、たった一つ同じ目標を掲げ、争っていた。
「凄いわね……これ、そんなに美味しいの?」
常人であれば恐怖し近づくことすら
大きく一回ため息をついた雅は、続けて、右手にぶら下げている小洒落た紙袋をシオンへ手渡す。
紙袋には大きく英語で『You are a Winner』と印字されており、それを目にしたシオンは何故か少し自慢げに、しかし焦りの表情も浮かべながら話始めた。
「……そうか、お前は知らないんだったな。これはな、慶学が誇る伝統名物── ≪勝者のプディング≫だ!
その美味さは、一度舌に触れてしまったら最後、忘れることなどできない……
それにだな、これは毎月第二水曜日の午後一時からここ中庭で、限定百個しか販売されないんだよ。
だからこそ、皆が血眼になり、これを手に入れるため奮起する。これを…………」
終始興奮状態で話をしていたシオンは、雅から手渡された紙袋を『これ』と自ら連呼していることへの違和感に気がつくと、今度は目を丸くして、恐々と紙袋を開き、そっと中を覗いた。
光り輝く黄金の物体が三つ。
それはシオンの視覚を眩い光で、嗅覚を甘く濃厚な匂いが刺激した。
「お……おおおお!!!!」
「な、なによ急に」
「この包み、輝き、匂い。間違いない…… 正真正銘、本物の≪勝者のプディング≫が……三つだと!?」
「輝きって……」
実の所、紙袋の中──四方十センチメートルの世界を鮮やかに飾っている黄金の物体は、正しく今回、シオンが求めていた≪勝者のプディング≫そのものであった。
しかし、所詮は食べ物であるため、当然光ってもいなければ、蓋をしているので匂いもしない。
ただ、シオンにはそう見え、感じた、というだけのことである。
「頼む、一口でいい、分けてくれ!」
「一口じゃなくて全部あげるわよ。元々そのつもりだったしね」
「…………本当にいいのか? 言った手前アレなんだが、後悔するぞ?」
「んー、お菓子はあんまり好きじゃないのよね。それに、私はこの学園に融通が利くから。これくらい何時でも手に入るし」
「お前……早速そこに手を付けちまったのか……」
「あんたがこの間、逃げるように帰ったからよ!
人の話も聞かないで、何が『あ、入学式が終わっちゃう』よ。
昨日も『忙しい』って言ってどこかに行っちゃうし、こうでもしないと捕まらないでしょ」
「…………」
二日前のあの日──シオンと雅が模擬戦を終えた後、雅の口から
それからというもの、シオンは事あるごとに何かといちゃもんを付け、頑なに雅の話を聞こうとしなかったのだ。
理由は幾つか挙げられる。
ただ、主な理由としては、雅が話そうとしているだろう、未来での話を聞く心の準備が出来ていなかったという点が大きい。
だが、いつまでも背を向けている訳にはいかないと頭では理解していたシオンは、元々軽い癖のある自分の髪の毛を、さらに乱すように掌でこねくり回すと、渋々な表情で了承した。
「分かった……ただ、俺も色々と参ってるんだ。話の続きは明日の昼でどうだ?」
「ダメよ! そうやってまた逃げるでしょ! だったらこれ、あげないから」
「……冗談だよ冗談。プリンも貰えるっていうなら、俺はいつでもいいぞ」
「冗談に聞こえなかったんだけど……まあいいわ。それじゃあ早速、って言いたいんだけど……」
「ああ。ちょっとここじゃ無理だな……」
例の紙袋を持っているせいだろう。
二人は周囲からこれでもかというくらい、羨望の眼差しを浴びていた。
中にはベタにも親指を加え、蛇の如く睨みを利かせた者もいる。
「これってそんなに美味しいの? 私にはその辺の──」
「やめろ! これ以上奴らを刺激するな!!」
身の危険まで感じとったシオンは、雅を連れて颯爽と、
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