【第2話】旧友との邂逅Ⅱ
入学式開始の五分前。
シオンは南の裏門から北部にある講堂へと移動していた。
慶学は他の高校よりも特別大きく、端から端までおおよそ一キロメートルの広大な敷地を誇っており、講堂は裏門から真逆に位置する。
正確に言えば、実験棟、本棟、開けた中庭、訓練施設──と、その先だ。
全力疾走をすれば入学式に間に合うかもしれない距離。
だったが、シオンは急ぐことを諦めた。
と言うよりは、
そもそも完全単位制で自由カリキュラムの慶学において、クラスという概念は存在しない。
加えて、この学園を一度卒業しているシオンにとっては、入学式に参加しなかったからと言って何か不都合が生じることはないのだ。
無論、それだけが理由ではないが、入学式終了時に講堂の前で配布されるアプリケーション型の学生証さえ入手できれば、シオンはそれで良かった。
『リンゴーン、リンゴーン』
時刻は午前十時。
本棟と中庭のちょうど中間くらいを歩いているシオンの耳に、入学式の開始を知らせる鐘の音が鳴り響く。
「もう十時か。そろそろあいつも来る頃だな」
そう呟き、時刻を再確認したシオンは、ある場所へと向かい歩き出した。
本棟から中庭へ。
中庭の中心にそびえたつ日本の雰囲気からはかけ離れた立派な噴水へ。
噴水を左に曲がり、今は使われていない旧校舎のある暗い雰囲気の林道へ。
上り坂になっている道の無い林道を右へ左へ進むと、急に開けた丘のような場所に出た。
大都会にも関わらず、自然を感じる風が吹き、慶学に隣接している東京湾のから来る海独特の匂いと景色を一望できる素晴らしい場所。
過去、何度も訪れた思い出の場所──。
耳を包む心地の良い小鳥のさえずりや、風になびく木々の音。
それらに交じり、一人の男の声が聞こえて来た。
「いい場所だ……っと、すみません……ってシオン!? 何でこんなとこにいるのさ!」
金髪で左耳に長めのピアスを飾っている、容姿の整った少年。
彼を見るなり、あまり表情を表に出さないシオンが、嬉しそうに笑った。
「伊織……待ってたよ。お前もサボりか」
「うん。兄貴に『入学式は出る必要ない』って言われたから。てか、待ってたよって……ここに来るのが分かってたような言い方だけど」
「ま、まあな。何となく、な?」
「なんで疑問形なのさ……それにしてもいい場所だね、ここ」
「ああ。本当にいい場所だよ──」
その場で腰を下ろした二人は会話を続けた。
会話の内容は至って普通だったが、一言語りかけるたび、シオンは何かを模索するように、喉の奥を揺らした。
「……やっぱり、お前は
「え、ああ。僕は僕だけど、急にどうしたの?」
「ちょっとな。何だか嬉しくて」
「良く分からないんだけど……」
シオンにとって幼馴染でもあり、掛け替えのない友人でもある伊織。
もう二度と会うことは叶わないと思っていた友が、もう一度目の前に立っている。
そんなありえない状況を目の当たりすれば、誰だって嬉しさの一つは感じるものだ。
「なんか今日のシオン、気持ち悪いよ」
「酷い言いようだな……」
悪気もなく、ずけずけと嫌な言葉を言ってくる姿。
それは、シオンの記憶にインプットされている伊織の像となんら変わりがなかった。
(やっぱり、あれは夢なんかじゃない。俺は過去に戻ってきたんだな……)
頭の中で渦巻いていた疑惑とは似て非なる曖昧なものが確信へと変わる。
それを裏付けるように、シオンは伊織に微笑みかえた。
「やっぱり気持ち悪い……あ、そうだ。さっき≪雪薔薇≫を見かけたよ」
いつもと違うシオンの雰囲気に動揺したのか、伊織は無理に話題を変え、視線を反らしながら仰向けになった。
そんな伊織を見て、シオンも同じく仰向けの姿勢になった。
「≪雪薔薇≫……
「うん。同い年なのに凄いよね。特別指定対象にもなってるしさ。おまけに、美人だったよ!」
「美人、ね。無口で何を考えてるのか分からんあいつのどこが良いのやら」
「ふーん。ところで、シオンは秋宮さんと知り合いなの?」
「あ、いや。知り合いじゃなくてさ…………噂だよ、噂」
「すごい知ってる風な感じだったけど。まあ、あれだけ綺麗で、しかも特別指定対象。そりゃ噂の一つも立つよね。僕も≪雪薔薇≫みたいにさ、かっこいい二つ名が欲しいよ」
「…………」
突然、シオンは息を詰め、唇を軽く噛んだ。
伊織の『二つ名が欲しい』という発言が、シオンの胸を抉ったのだ。
二つ名を授かるということは、国から特別指定対象に認定され、自らの
だが、これは同時に、他国を牽制する見せしめの力として、国の所有物になることを意味している。
例え、常に国と国とのくだらない小競り合いに身を投じるデメリットが付き纏うことになっても、英雄視される人生を望み、喜んで受け入れる者もそう少なくない。
でも、それでも、伊織が『二つ名が欲しい』と口に出したことが、シオンには耐えられなかった。
未来で起こる結果を、伊織がこの先その決断を下すとき、彼の身に起きることをシオンは知っているから──。
喉から湧いて出てきそうな言葉を飲み込み、シオンはぎこちない笑顔を作る。
「お前なら大丈夫だ。きっと、この国の英雄にさえなれるよ」
「おお、いつの間にお世辞なんて言えるようになったのさ! でも、本当にそうなるためには……僕には僕の、シオンにはシオンの壁を乗り越えないとね」
些細だが、伊織の言った言葉は重みを含んでいた。
二人にしか分からない、小さくも重要な“何か”の重みが。
もちろん、それが何かをシオンは知っている。
だからこそ、それ以上の会話は二人の間では不要であり、シオンも「ああ」と一言だけ返した。
そんなシオンの仕草を確認するなり、伊織は嬉しそうに立ち上がり、大きく背伸びをした。
「さてと。ちょっとその辺を見て回ろうと思うんだけど、シオンも来る?」
「俺はもう少しここにいるよ」
「そっか。入学式の終わりに学生証配るらしいから、それには間に合うように来なよ」
「ああ。また後でな」
♢♢♢
軽い挨拶を交わし、手を振り、伊織が林道の方へ消えていった後、シオンは暫く座り込み、一人考えていた。
「俺が越えるべき壁、か……」
間違いなく、今、この瞬間はシオンにとって過去である。
それは同時に、これから起こりうる全てを変えられる可能性を示していると言える。
最悪の未来を回避し、都合の良い展開に導くことも出来るだろう。
けれども、そうすることが正しいのかどうか、シオン自身、判断がついていなかった。
自分が過去に戻った理由も手段も不明な今、唯一の手がかりは薄れゆく意識の中、かすかに聞こえた澪央の言葉のみ。
砂漠のど真ん中にコンパスだけを持って放り出されたようなものだ。
戸惑い、迷うのも無理はない。
そんなところに、二度と会うことは叶わないと思っていた友人が現れたもんだから、思考はさらに発散し、大きな渦となり、シオンの脳裏でぐるぐると、掻き乱れていた。
「あー……くそっ!! 分かんねーよ」
余計に混乱した自分自身に苛立ちを覚えたシオンは、誰もいない丘の上で、一人声を荒げた。
そう、シオン以外、誰もいないはずの丘の上で──。
「うわっ!」
丘に木霊したのは、細く高い声。
その声は、林道付近の大きな木の陰から聞こえてきた。
この場に誰もいないと思っていたシオンは、その木の陰に向かい、「誰かいるのか?」と訊ねた。
すると、ゆっくりと木の陰から一人の女性が出てきた。
照れ隠しのつもりだろうか、苦笑いをしながら指先で自分の頬をちょこんと掻く仕草をしている。
慶学の制服を着ていることから、この学園の生徒であるのは間違いないだろう。
よく見ると髪は灰色でポニーテールで、可愛い系の綺麗な顔立ちをした女の子だ。
そんな彼女が次に放った一言が、シオンの背筋を一瞬にして凍り付かせた。
「突然大声なんて上げないでよ……ビックリしたじゃない、≪虚空の王≫さん」
──その
シオンは手を付き、地面を蹴り、戦闘態勢へと移行する。
「えっ、ちょ、ちょっと! ストップ、ストップ!」
両手を前に突き出し、慌てた様子の少女。
片やシオンは問答無用と言わんばかりに、怒号を飛ばした。
「何故その名を知っている? お前は誰だ、答えろ!!」
「私が分からないの? 話が違うわね……」
「何を言ってるんだ、俺はお前なんて──」
シオンは「お前なんて知らない」と言おうとした。
しかし、途中まで言いかけたその言葉は喉の奥へと戻っていった。
理由は明快で、シオンは彼女を知っていたのだ。
ただ一瞬分からなかっただけで、確実に、それもとても良く知っていた。
では何故、一瞬でも分からなかったのだろうか。
単純なことだ。
シオンはこの時代の彼女を知らない。
彼女と出会うのはこれから先、もっと後のことなのだから──。
伊織が今日この場に来ることを知っていて、シオンが先回りした状況とはわけが違う。
明らかに、記憶との矛盾が生じている。
だからこそ、恐る恐る、シオンは口を開いた。
「お前……
投げかけられた問いに彼女は頷き、無邪気に笑って答えた。
「なんよ、ちゃんと分かるじゃない。≪
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