第4話

「おい」

朝起きて、顔を洗っている彼に後ろから話しかけた。ずぶ濡れの緊張した顔が、鏡越しに私を見る。

「話がある」

彼は頷いて、それを見届けて私は部屋を出る。長い道を歩き、昨日と同じ浜辺にたどり着く。自分の考えを反芻させて。すべての思い出に口付けて。


少し遅れて彼がやって来た。砂浜に座った俺の少し後ろに立っていた。


なんでもない時間だった。海の音以外なにもしない。長いことそうしていたようだった。彼は口を開かない。


「なんだってお前は、そんなことをしてるんだ」

口を開いたのは、私だった。

「…」

彼は答えることをためらっているように口を開いて、閉じた。


「盗みを生業にしているのではないんだ」

長い沈黙の末にようやく紡がれた一言。彼はばつが悪そうだった。


「探しているんだ。」

なにを、と聞くのは野暮な気がした。

聞いても答えは返ってこなかっただろう。


「盗んでどうする」

間抜けな質問。

「…金にする」

素直な答えに、笑ってしまった。

ほらな、住む世界が違う。

「金にしてなんだ?スラムのガキでも救ってやるのか?大層なことだな。そんなことに付き合ってやる暇はないんだ。わかったら荷物をまとめて今すぐ出てけ!」

感情に任せて彼を怒鳴り付けた。むかつきすぎて立ち上がってしまった。もう少しで殴りかかる勢いだ。

彼は依然、こちらをまっすぐに見つめていた。


「母親を、探してるんだ」

静かにそういった。

「そのために、こうするしかなかった。」

彼の表情は、読み取れなかった。複雑な思いが、彼の強さに押し潰されている。

強くなるしかなかったんだな。

おじいちゃん。私は彼を、守らなければならない気がするよ。

「…ついていこう」

「え」

これは今や、私の決断だった。

「宝石を盗むのに、興味があるんだ」

彼は力無く笑った。

それを見て、これでよかったんだと、思った。


「父さん、話があるんだ。」

一週間後の夕食後、皆がいる居間で私は父に声をかけた。

いつもぼけっとしている父が、ぼけっと私を見た。

目が合った瞬間に、目付きが変わった気がする。彼は悟い人だった。

息を吸う。言わなければ。

「海を越えようと思う。」

「な…!」

真っ先に口を開いたのは母親だった。

「海の向こうで、時計を見たいんだ」

嘘ではなかった。この海を越えた先には、新しい時計があるんだぞとおじいちゃんがよく言っていたから。

「そんなことのために、海を越えるっていうのか」

船に乗って、だ。

危険じゃないはずない。

しかも長男である私がそんなことを言うなんて、皆考えられなかっただろう。

彼は黙っていた。

「…そうだ。」

母親は頑なに引かなかった。

「お前が出ていったら、誰かこの時計屋を継ぐのさ!」

「でもだって少なくとも彼女の方が時計を作る才能はある!」

妹を指差して、私たち皆が知っていたことを言ってしまった。

皆なにも言えなくなってしまった。

父親がもういいという風に手をひらひらさせる。


「お前はおじいちゃんっ子だったが、そんなところまで親父に似なくてもよかったんだぞ」

父親は、少し寂しそうに笑った。


「兄さん…」

妹は、複雑な顔をしていた。

男だったらこの店を継ぐのに、ってよく言ってたもんな。


愛してるよ。


ここから海を越えた国のスラムに捨てられていた俺たち兄妹を、ちょうど放浪中だったおじいちゃんが拾ってくれた。食べ物をくれた。服をくれた。技術を教えて、居場所までくれた。


育ててもらった恩もある。ここに帰ってくるつもりでいる。でも今は、彼と共に行ってみたいんだ。


あの場所で培ったことが、彼を助けられるかもしれない。

皮肉にも私は、物を盗むのが結構得意なんだ。


今やもう、誰も反対してこなかった。


彼だけは気味が悪いくらい静かに、じっとこちらを見て座っていた。


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