第3話
君の兄かもしれない人が訪れたよ、なんてことを彼に伝えるかどうかで、私は少し悩んでしまった。なんだって彼は、そんな回りくどい方法でこの場所に訪れたんだ?休暇中の弟をわざわざ追いかけて、彼は一体なにがしたかったんだろう。疑問は浮かんでは消え、また浮かんだ。もやもやしたまま町を歩き、そのまま海まで歩いて行った。彼の兄のことで頭が一杯だった。
だから、彼が私の後ろにいることに気づかなかった。
「おい!」
「うわぁあ!!」
びっくりして間抜けな声を出した私を、彼は腹を抱えて笑っていた。
「いつからそこに!?」
彼は涙を拭っていた。泣くほど笑うなよ。
「町で見かけて、追いかけてきたんだ。やっと追い付いたよ」
笑いすぎて咳き込んでいる。そんな彼を見ていると、まあいっかと思えてくるから不思議である。
彼を小突いて、砂浜に座る。今なら、彼の話が聞けるかもしれない。
「休暇と言っていたな」
「そうだ。」
海風が彼の頬を撫でる。柔らかな髪質だな、と思った。
「君はなんの仕事をしてるんだい?」
「俺は、そうだな…詳しいことは言えないけど…ものを仕入れて売る仕事をしてる。」
こんな言い方するってことは、ただの貿易商って訳ではないのかもしれないな。
「俺は北イタリアで働いてるんだ。」
海の向こうを見ている。もう日が落ちる頃だ。そろそろ冷えてくるだろう。
「兄貴は南イタリア。そんな感じするだろ?」
彼ががははと笑って言う。確かに、あの睨み付け方は南イタリアらしいな。と、納得しかけて思った。
なぜ彼は、私が彼の兄貴と会ったことを知ってるんだ?
まだ彼に言ってないはずだ。
なんだ
胸がざわつく。
鼓動が早くなる。
嫌な予感がする。
永遠ともとれる時間をかけて、ゆっくりと左に顔を向ける。
彼は真っ直ぐに私を見つめていた。
いつもと違い、真剣な顔をして。
「君に、頼みがある」
「な、、んだい」
我ながら頼りない声が出たなと思う。
「君を信頼するからする話だ」
「信頼?出会って1ヶ月そこそこしか経ってないのに?」
おかしな話だ、と思う。彼は私を試していたのだろうか。
「宝石を盗むのに、付き合ってほしい。」
「は」
盗む?宝石を?
「…どういうことだ」
目の前の大男はいたって真面目な顔をしている。
「悪い冗談だろ」
ここまで真面目に生きてきた私を、担ごうっていうのかい。しかし彼は、至って真剣な目をしていた。
「冗談じゃないよ」
は?盗む?人からなにかを?私が?できないそんなこと。してはならない。
「…それがお前の生業か」
「…そうだ。」
「そうやって、生きてきたのか。誰かの物を奪って?」
オトジャは、少し困った顔をした。
それが、気に入らなかった。
「そんなことできない!宝石を…盗むだなんて!」
つい声を荒げてしまった。こんな奴が、うちに泊まってるなんて!
「うちの物も盗むつもりか?」
オトジャの目が鋭く光る。
「それは絶対にない」
その声に圧倒されてしまう。悟られないように目をそらして鼻をならす。
「すまない、いきなりこんなこと」
やめてくれ、そんな目で見るのは
「…出てってくれよ。うちから」
彼は困った顔をした。
「俺には守るべきものがあるんだ!」
だから、盗みもできない。ここから離れられない。
「分かっている。だから、君が決めるんだ。」
私をまっすぐに見つめる赤い瞳。迷いを見透かされているようで居心地が悪い。
「….帰ろう」
それだけ言うのが精一杯だった。彼はなにも言わずに立ち上がる。二人で黙って帰路についた。
夜になって、眠れなくなって屋根の上に登った。ごろりと寝転ぶと満点の星空が見え、海の音が聞こえる。
ふと、昔のことを思い出した。
大好きだった、おじいちゃんのこと。
『おぅ、bambino。いつか大船がお前を迎えに来たら、どうする?』
じいちゃんが片方の眉をつり上げて、いたずらっぽく私に聞く。
『乗らないよ!大切なみんながここにいるもん!』
私は少しも悩まずに答えた。
『そうか。では、大切なみんなが大船に乗ってお前を迎えに来たら?』
『うーん。でも船は危ないし…』
優しい顔を、覚えている。
『乗ってしまいなさい。いつか、わくわくするようなことがお前を迎えに来たのなら。思ったままに、乗ってしまいなさい。』
ああおじいちゃん。今になってこんなこと思い出すなんて。
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