第7話 夏の青空もまた、思い出の中では少し灰色をしている。

「暑いな」

 畑の真ん中で、君が呟いた。熱さでぼんやりした頭でも、君の声だけは決まってよく聞こえる。半袖の綿のワイシャツを着てサスペンダーをした君は、鍬の柄に体を預けて私を眺めた。頬に伝った汗を、首にかけたタオルで拭う。何度も洗濯して使っているから、このタオルももうずいぶん生地が薄くなったな。容赦なく照り付ける太陽から少しでも逃れるために被った麦わら帽子は、少しほどけかけている。腰に巻いておいた水筒から水分を補給する。いやしかし暑いね。あとひと踏ん張り。私が言うと、彼が頷いた。西日までは、まだ時間がある。それまでに、もう少し終わらせておきたい。

「死ぬまでに、あと何回これを体感するんだろう」

人間は、と彼は付け加えた。私はそれに答えなかった。彼もまた、答えを望んではいなかった。


 次の日は、畑仕事は休みの一日だった。代わりに彼は牧場の動物たちの世話をして、私は町に下りて郵便屋やら市場やらに出向く。何か良いものがあるかは知らない。しかし世界があるだろう。或いは社会が。

歩いていると、少女に出会った。彼女は涙を浮かべて、腐ったデコポンを抱いていた。服に出来たシミを気にすることなく、彼女はただ、佇んでいた。誰かが声を掛けることを待っていたようにも思われる。

「こんにちは」

私が話しかけると、彼女がこちらを向いた。鼻を掠める、柑橘の匂い。腐った果実が、この世で一番芳醇な香りを身に纏っている。私はこれを、いい匂いだと思った。腐りかけの果実、花の散り際。そういうものを至高だと考えるいけ好かない人間の考えが、少しだけわかった気がする。

「これで酒が作れたらいいだろうね」

私の言葉に、彼女が頷く。そして「奇跡を」と言った。

「腐りかけの果実の代わりに、彼女を助けて欲しいのです」

彼女の言葉に、私が首を振る。

「それは出来ない。それは、対価では決してない」

「でも、同じだけ腐っています」

私をまっすぐに見つめる彼女の眼は、透き通る青をしていた。暖かい海の色は、私達を引きずり込んでもみくちゃにし、波に攫って殺すだろう。彼女の手からそれをつかみ取り。握り潰す。鼻につく匂いは、さっきよりもずっと強烈なものだった。

「人の子なのに、この世の摂理を手にかけようとしているのです」

彼女は、私をまっすぐに見ていた。その目には、何もない。恐怖もなければ、久しく安息もなかったのだろう。疲れた顔をした彼女の頬に浮かんだ涙の痕を撫でる。

彼女が指さした先に、女が居た。村の中心で、十字に掛けられていた。

 女の足元に歩いて行くと、息も絶え絶えな彼女の虚ろな目は私を捉えた。純白だった服に、今日の彼女を見る。朝上がった花火は、君のためのものだったんだね。千切れたベールが、申し訳程度にその顔にかかったままになっていた。可哀そうに折られた足は、曲がり得ない方向を向いている。

 彼女に掛かったベールを剥ぎ取るのは、私ではなかった。罪人の瞳から涙が落ちて、私の頬を焼く。

(神の前で、ただ一人)

祈ってごらん。君が信じたら、きっと返ってくるとも。

 彼女を愚かな女であるとは、私はどうしても思えなかった。思いたくなかった。勿論そうだ。同じことをした仲だからね。

 なかなかどうして私たちは、結局罪を抱くことでしか生きられないのか。村の人間が、遠巻きに私たちを眺めているのを背中に感じた。

「行こう。救いは君と共にある」

 私の罪を裁くのは、君ではない。法廷でもなければ、神でもない。この私が、己の罪を抱いたまま土に還ってやるとも。

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