第148話 なにも残らなかった 後編
最近、私はあの恐怖を頻繁に体験している。なにが原因かは判明しているが、対処する方法はない。──いや、一つはある。しかしそれはもう、今の私にはできそうになかった。
私はベッドの上で横になって頭を抱えて絶叫している。それも喉が裂けそうなほどだ。そうやって恐怖から逃れようとするが、無意味だった。しかし私は諦めないで叫び続けた。
そして私は泥のように眠る。疲労からかようやく離脱症状が軽くなり、地獄から解放された。
私は目覚めた。相変わらず頭はシェイクされたように揺れて痛いし、気分が悪い。
私はベッドに転がったまま背伸びをした。変な体勢で眠っていたから、体のいたるところが痛んで、伸ばさずにはいられなかった。
それから起き上がり、窓を見る。外は明るかった。暖かい光が差し込んでいて、自然と体が目を覚ましていく。
どれだけ眠ったのか、部屋は時計もカレンダーもないせいで正確な日時や時間は把握できないが、少なくとも前に意識があったときに外は暗くなりつつあった。
半日以上も記憶がない状態にあったにもかかわらず、空腹感はあまり感じない。胃には大きな石が入っているかのように重く沈み込んでいるような気がして、僅かな食欲も湧かなかった。
最近はずっとこうだ。妄想と現実の狭間で反復横跳びをして、疲れ果てたら眠りにつく。そしてまた目が覚めて──。
──コン、コン、コン。
扉が等しい間隔でノックされた。
『入りますよ』
投資家の声だ。
「は、はい!」
ゆっくりと扉が開き、食器が載ったトレイを持った投資家が部屋に入ってきた。
「レイチェル、朝ごはんを持ってきましたよ」
「……お腹……空いてない……です……」
私が投資家から視線を逸らして呟くと、
「そのようなことを言わないでください。せっかく用意したのですから……ね?」
と言って投資家は柔和に笑い、私がいるベッドへと歩いてきた。そして私の近くに腰を下ろし、トレイを膝の上に置いた。
投資家は銀のスプーンを持つと、器に入った熱々のコーンスープをすくい、
「はい、あーん」
と私の口へと持っていった。
私は不服ながらも口を開けてスープを飲んだ。つぶつぶしたコーンがいっぱい入った自然な甘みのあるスープ。食欲がないこのようなときでも美味しかった。きっと健康なときに飲んだらもっと美味しいのだろう。
こうして投資家に食べさせてもらった後は、決まって薬を飲まされる。私は首を横に振って全力で嫌がったが、無駄だった。口をこじ開けられてグラスに入った水を注がれ、怪しい蛍光ピンクのカプセル剤を飲まされた。そしてわざわざ飲んだのを確認するために、私に口を開けさせて口腔を確認した。
飲んだのを確認した投資家は心底満足そうに笑った。
──こんな生活……もう嫌だよ……。
少ししたらカプセル剤は消化され、中の薬が効果を発揮する。
「……うあぁ……あぁ……うぅ……あ……あぁ……」
意識が朦朧としてきた。思考はぬるま湯に浸かり、働きたくないとストライキを起こしている。そして体の末端から力が抜けていき、私はベッドに倒れ込んだ。
「……うぅ……あぁぁ……あ……あぁ……あぁ……」
体の芯が熱くなり、快楽物質が分泌されて私は多幸感に包まれた。
ベッドの上でだらしなく寝転がる私を見て、投資家は恍惚とした表情を見せた。
──やだ……やだ……やだぁ……。
私の体が跳ねる。それも釣り上げられた直後の新鮮な魚のように。噴火したかのように体の奥底から快感が湧き出した。
シーツを掴んで快感を逃そうとするが、それはとめどなく溢れてきて抑えきれず、私は何度も何度も繰り返し絶頂に達した。
恥ずかしいから歯を食いしばって必死に声を抑えるが、それもままならず、嬌声が漏れた。口角から唾液が、下半身からは分泌液が垂れてシーツを汚す。
体力もなくなっていったが、それでもなお体は不随意運動を繰り返す。体に力は入らず、それに抗うことはできない。
かろうじて意識は繋ぎ止めているが、それもまもなく途切れるだろう。そして──。
──あの恐怖がやってくる。
投資家が飲ませたあのカプセル剤はいわゆる違法薬物の一種らしく、薬がきれたときの離脱症状がとても酷い。それによってあの恐ろしい幻覚を見ることになるのだ。
──いや……もう……。
それが幻覚だということは分かっているが、出てくる化け物はことごとく本物さながらの臨場感を演出して私の精神を蝕んでいく。
そして私の元に恐怖の時間が訪れた。
多幸感と快感は抜けていくのと同時に体は解放されて私は意識を失った。
私は現実と妄想の区別がつかない薬漬けの壊れた人間に成り果てた。もちろんこのような生活をしていて不完全な未成年の体が無事のはずもなく、ぼろぼろになって使い物にならなくなったから投資家には捨てられた。家からは随分と離れた森の奥深くに放り出されたのだ。そのときに私は死んだことにされて、戸籍は抹消された。どうやら投資家は金を積んで、葬儀の関係者や医者による死因の診断書などを偽造して怪しまれないようにしたようだ。
こうしてレイチェル・クルスという人間は僅か十四年という短い人生の幕を下ろした。
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