第146話 なにも残らなかった 中編

 私が連れて来られたのは、違法な売春宿だった。そこは未成年者──それこそ初経も迎えていないような幼い子どもが好きな、お金持ちな人たち御用達のお店だった。当然ながらそんじょそこらの売春宿とは比べものにならないほど高額な料金が設定されていたし、そもそも利用するには会員に紹介されないといけないようだった。

 ──ほんとに一部の人のためだけに作られた店だね……きも……。

 知らない男の人とそういった行為をするのは最初の頃は嫌で嫌で仕方がなかった。それは汚いからという理由ではなく、単純に痛いからだった。汚いのは慣れていた──というより、汚いのが当たり前だったから大して気にはならなかった。

 最初にしたときは血は出て裂けるような痛みとその後しばらくは鈍痛が残ったし、日に何度も指名があって行為をすれば、膣内は傷ついてやはり血が出る。店から逃げようとすれば、ボーイが全力で捕まえに来て、最初に会ったあの成金野郎に折檻されるから、脱走を画策することは二度となかった。

 しかしこのような店にも私にとっては良いところがあった。それは相部屋だったが、そこそこ清潔なベッドか与えられ、三食きっちり栄養のあるものが提供されたからだ。それに加えて少ないが、毎月決まった額のお金が貰えた。あの頃の暮らしと比較したら、今の暮らしはよっぽど良かった。だからこそ嫌なことも耐えられた。

 私は今日も温かい料理を口に運ぶ。咀嚼して嚥下して、空腹を満たした。

 この売春宿のルールで、営業時間は指名が入るまで相部屋で過ごす、というものがある。その営業時間はとても長いのだが、部屋で静かに過ごしていれば大抵のことは許されるから、私としてはありがたかった。

 私は待機時間は決まって本を読んで勉強していた。支給されたお金で本を購入して、紙の一ページ一ページが薄っぺらくなるまで繰り返し読んだ。

 ──もうあんなことにはなりたくない。学があればあんなことにはならないはず……。

 学のない父が肉体労働でしかお金を稼ぐ方法がないのを見てきたからこそ、そう思ったのだ。

 だから私は勉強した。同室の他の女の子たちはそんな私を宇宙人でも見るような目で見てきた。

 そして今日も指名が入り、私は読んでいた本を閉じると、ボーイに連れられて客のいる部屋に入った。

 今日の客は中年で小太りな脂ぎった男だ。頭部は寂しくなっているが、潔さが足りないため、不潔そうに見えた。

 私は幼さが残る笑みを浮かべて挨拶し、マニュアル通りの仕事をした。シャワーを浴びて体を清潔にして、行為に及ぶ、それだけだ。

 行為は痛いし苦しいが、抱きしめてもらえるのはとても心地がよかった。生まれてこのかた抱きしめられた記憶はないから、興味のない他人でもそうされると悪い気はしなかった。

 こうしていつのまにか仕事は終わった。

 どうやら私は人気があるようで、ボーイや成金野郎からはそこそこ良い待遇を受けていた。だからあるとき私は一度、家に帰らせてほしいと頼んでみた。すると意外にも成金野郎はそれを許可した。ただし、監視役としてボーイを三人つけるという条件が出された。

 やましいことはなにもない私はそれを受け入れて、帰省を果たした。久しぶりに会った弟妹は清潔とまではいかないが、不潔とは思われない程度の身だしなみになっていて、骨と皮だった体も少しは肉が付いており、顔色も良くなっていた。

 どうやら成金野郎が裏で手配をしてこの家に家事代行サービスの人間を派遣してくれていたらしく、弟妹の生活は人並みなものにしてくれていた。

 ──あれでもいいところあるんだ。

 私は感心しながら、笑って日々の出来事を嬉しそうに話す弟妹を抱きしめて家を後にした。

 ──私が体を売ればこの子たちに普通の生活をさせてあげられる……なら仕方がないか……。

 ボーイに腕を掴まれながら去っていく私に対して、弟妹は泣きながら手を振っていた。


 それから三ヶ月ほど経過したある日、私は身請けされて店を辞めた。稼ぎ頭の私を手放すのは痛手のはずだが、成金野郎はそれをした。店を辞める前に耳にした噂では、私を身請けした人は投資家のようで、莫大な資産を持っている。それを使って成金野郎の頬を札束で叩き、私を手放すようにさせたことは容易に想像ができた。

 そして私は投資家と共に生活をすることになった。その投資家の家はアニメに出てくる洋館、という表現がぴったりなほど大きな家に住んでおり、それを綺麗に保つためにメイドを数人雇っていた。私はそこでメイドの人たちには投資家の親戚として紹介された。世界大戦並みの家庭争議が起きているから、一時的に避難させたということにして。

 理由はどうであれ、売春宿よりも質の良い食事を与えられた私は満足していた。毎日が楽しみで仕方がなかった。寝て起きて、食事をする。それがとてつもなく幸福だった。そして投資家は私が頼めば勉強を教えてくれた。そして投資家は私とそういった行為は一切しなかった。

 やはり投資家だけあってとても賢く、私が訊ねたことはすべて答えてくれた。しかし唯一答えてくれなかったことがある。それが──私を身請けした理由だった。

 それを訊いたとき、投資家は顔を酷く歪ませたから、二度と訊かなかった。するとまた優しそうに笑って、私に接してくれた。

 そのような一般的な家庭に近い生活を送っていたある晩、私は投資家に呼び出された。

 私は扉を叩き、

「失礼します」

 と言って開けて入室すると、突然口に布が宛てがわれて薬品を嗅がされ、意識を失った。

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