第127話 そして一つになる 前編
──生み出した青色の肉食獣の頭部が大きく口を開けた。生え揃った肉を食いちぎるのに適した鋭利な歯を見せ、僕に食らいついた。だがその鋭利な歯が僕の体に刺さることはなく、一口で食べられ、丸呑みされた。
この未来ならば、なにもできずに死ぬことはない。だから僕は理想の未来を掴み取るべくこれを選択した。
特異体の体内は暗かった。光が一切入ってこない暗闇だ。上下左右の感覚がなく、一体自分がどの方向を向いているのか皆目見当がつかない。それに加えて、あの小さな特異体のどこに人間を収納する空間があるのだろうか、ととても疑問に思う。だがそれだけではない。先ほどまで致命傷一歩手前の状態だったにもかかわらず、それらの傷は綺麗さっぱりなくなっていた。
僕は体を動かして、映像に干渉しようと試みたが、映像の僕の体は石膏のように硬くなっており、脳からの指示を受け付けなかった。
──まだ意識が戻るわけないか。それにしても……傷がすべて治癒しているってどういうことだ? ナスチャにつつかれたら治る、特異体特有のチートってことなのか?
そうやって思考を巡らせているうちに、僕の前にある映像は特大の映像を一つ残して他はすべて消滅してしまった。
──これではこのままなにもできずに行方を見届けるしかないじゃないか。
脈拍が上昇する。体の末端が痺れたように小刻みに震える。
僕は血眼になって他の発生しうる未来の映像を探したが、その努力は徒労に終わった。ただ一つの決定した未来を僕が眺めていると、映像に変化が見られた。
──なんだよ、これ。
なにも見えない特異体の体内である暗闇の中、僕の足は底なしの沼に踏み入れたかのように沈んでいった。反射的に足を引き抜こうとすると、沼に満ちていた青色をした粘液はより一層纏わりついて離れない。それがまるで病原体に体を蝕まれているかのような気がしてならなかった。
──クソ、離せよ、離せって!
映像の僕は必死にもも上げをして逃れようとしているが、やはり意味はなかった。膝、腰、胸、首と僕の体は見る見るうちに沼へと沈んでいき、とうとう頭も見えなくなった。
──うわっ、死んだか? これ、どうなんだよ……。
映像はなにもない暗闇を映しているだけで一切の変化が見られない。
──瀕死の状態で発動するこの能力がまだ動いているってことは……まだ僕は生きているって認識でいいのか?
焦りから僕の心臓は激しく脈を打つ。
映像に変化はない。
口の中が乾き、背中を嫌な冷たい汗が伝った。
──頼む、まだ死ぬんじゃないよ、僕。生きろ、精神で対抗するんだ。そうしたらきっと、きっと上手くいく。大丈夫だ、僕ならできる。絶対にできる。失敗しない。確実に成功する。
自身を鼓舞してひたすら映像を注視していると、映像が突然真っ白になった。それは狭まりきっていた瞳孔に多大なるダメージを与え、僕は思わず手で目を覆った。
何度か瞬きをして指の隙間から映像を覗くと、それは見覚えのある明るさを持っていた。真っ赤な花弁を散らしたかのようなところの上に僕は寝転がっていた。見たところ先ほどまでのぼろ雑巾のようになっていた瀕死の状態だった体はまるで嘘のように、元の綺麗な状態に戻っていた。
なにが起きたのか分からない僕はひたすら理解しようと映像を注視した。映像には僕だけが映っており、特異体は少なくとも映像内には映り込んでいない。
──これって……もしかして……。
僕の前に一本の糸が垂らされる。
──もしかして……もしかすると……。
僕は一片の揺らぎもなく、その糸を手繰り寄せた。
──これが僕が選んだ最高の未来だ。
次の瞬間、僕の体から力が抜け、意識が遠のいていった。それがなぜかとても心地よくて、強張った筋肉は脱力し、過剰に動いていた心臓は次第にゆっくりになっていき、末端も不要な動きをしなくなっていった。
──さあ理想の状態で目覚めてくれよ。
次に目を開けたとき、視界には獄卒か死神を彷彿とさせるほど恐ろしい顔をしたシェリルが映った。
「……ど、どうしたんですか? そんなに怖い顔をして……」
恐る恐る声を震わせながら訊ねた。するとシェリルは、
「…………」
と口をつぐんだまま、なにも言わずに、表情も一切変えることなく僕を見つめている。
僕は上体を起こして、
「あの……シェリル? なにか言ってくださいよ。怖いですって、その顔。そんな怖い顔をしていると老けて見えますよ」
と言った次の瞬間、僕の顔面にシェリルの金属のように硬い拳がめり込んだ。衝撃から僕は仰け反り、そのまま床に倒れ込み、後頭部をしたたか打ちつけた。
視界が白黒にチカチカとしている中で僕は、
「な、なんで殴るんですか! 絶対に特異体と戦った直後にやることじゃないですよね! このサディスト!」
と口から出まかせで叫んだ。するとシェリルは恐ろしい顔を一変させ、悲しげに僕を見つめて、
「なんで……なんで……こんな……」
とうわ言のように数回呟いた後、
「この馬鹿! なんであなたはこんな無茶したの! 一歩間違ったら……あなたは……あなたは今、ここにはいないのよ!」
と号哭にも似た叫びを上げた。
それから僕を抱きしめて、
「……生きていてくれてありがとう」
と耳元で囁いた。
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