第126話 黒い鳥 後編
右足の次は左の太ももを刃が傷つけた。静脈も動脈も例外なく切られた太ももからは鮮血が扇状に撒き散らされ、白い床を汚した。
足の力が抜けて僕は前に崩れ落ちた。どうにか手を出して顔面から着地するのは防いだが、今にもうつ伏せで倒れて意識を手放してしまいそうだった。
歯を食いしばって脈打つたびに走る激痛に耐えていると、口角から唾液が溢れ、ぽたぽたと音を立てて床に垂れた。
──嫌だ。
ガラスのスティックのような精神が音を立てて折れてしまいそうな今、特異体は容赦なく僕に追撃した。
──もう嫌だ。
自分が言い出したことなのに、早くもそれを後悔し始めている。自分の精神が脆弱だということは否定しないが、まさかここまでだとは思わなかった。
青色の刃は右肩を切りつけた。制服が切れて鮮血が混じった糸と細かな布が桜吹雪のように舞った。
その傷は決して浅くはないが、深いわけでもないから、太ももの痛みと比較したら無痛に等しかった。
「よし……その調子で……僕を……もっと……傷つけろ……」
唸り声にもにた声で僕は特異体に命令した。
「ほんとに大丈夫?」
特異体は腹部から生み出した青色の刃を体内へと戻すと、眉間に皺を寄せて悲しそうな表情を見せ、うずくまっている僕のほうへとひょこひょこと跳ねて来た。
「足がちぎれちゃうよ?」
特異体は一回目にできた足首の傷を見て言った。
「……大丈夫……大丈夫だから……」
僕はぼろ雑巾のように成り果てて満足に動かない体に命令を送り、全力で体を動かして特異体を僕の顔近くへと抱き寄せた。
耳打ちするように、
「……いいか……とにかく……僕が……瀕死に……なるまで……攻撃し……続けろ。……絶対に……致命傷は……与えて……くれる……なよ」
一呼吸置いて、肺の内側で風船を膨らませるように肺を膨張させて大きく息を吸い込み、
「……それで……僕が……瀕死に……なったら……当てない……ように……攻撃しろ……そう……したら……僕の……能力を……使って……最高の……未来を……引き……寄せて……やるから」
と言ってサムズアップしてみせた。
「……もちろん……選べずに……僕が……そのまま……死ぬ……可能性も……あるん……だけれど。……というか……僕の……予想……じゃ……そっちの……確率の……ほうが……高い……」
言い終えると同時に僕はうつ伏せに倒れ込んだ。意識こそまだあるが、視界は隅から黒が侵食してきていて、まもなく落ちるだろう。
「────っ! ──!」
特異体がなにか言っているようだが、その言葉が理解できない。思考はほとんど停止していて使い物にならない。
「……頼ん……だ」
全身の力が抜け、ふかふかのベッドに飛び込んで寝転がり、そのまま眠ってしまったかのような幸福感を味わい、僕は意識を失った。
先ほどの真っ白なインテリゲンツィアの用意した部屋とは対照的な、真っ暗な空間に僕はいた。なにも見えない。なにも聞こえない。なにも感じない。そのような人間に備わった感覚はことごとく潰されている。
──相変わらずなんにもないなぁ、ここは。
いつになったら目が覚めるのだろうかと僕は待ち遠しくなりながら、自分の前方に浮かび上がっている無数の映像を見た。
──特異体の腹部の模様は再び歪み、そこから青色の刃が生み出された。
──特異体の腹部の模様は再び歪み、そこから青色の有刺鉄線のようなものが生み出された。
──特異体の腹部の模様は再び歪み、そこから青色の大きな人間の手が生み出された。
──特異体の腹部の模様は再び歪み、そこから青色の肉食獣の頭部が生み出された。
すべての映像が僕を殺そうとしている。
──大事なのは次なんだよ。どの程度の怪我で済んで、同化に漕ぎ着けるのかってことだよ。
僕は再び映像を見る。
──青色の刃は僕の頭に突き刺さった。脳幹を損傷したようでそのまま二度と動くことはなかった。
──青色の刃は僕の首を切断した。断面から鮮血が噴き出した。
──青色の刃は僕の腰を切りつけて上半身と下半身の間に天の川を作り上げた。断面から臓腑がこぼれ落ちた。
──青色の有刺鉄線のようなものが僕の首に巻きつき、締め上げた。皮膚に棘が刺さり、じわじわと流血させながら窒息して絶命した。
──青色の有刺鉄線のようなものは全身に巻きつき、末端から中心に向かって輪切りにするように捥いでいき、僕はバラバラの肉塊に成り果てた。
──青色の大きな人間の手が僕の体を掴み、握り潰した。拳の間から血肉がぼとぼとと落ち、床を汚した。
──青色の大きな人間の手が僕目がけて振り下ろされ、蚊を叩いて潰すかのごとく、僕は地面でぐちゃぐちゃになった。
映像の僕はことごとく死んでいき、生存する未来が見つからない。
──出血しない程度に表皮を損傷する攻撃の映像を見せろよ。これじゃ僕は確実に死ぬじゃん。まだ死にたくないんだけれど。
僕は必死になって生き残り、同化する未来の映像を探した。
──死にたくない死にたくない。まだヴィオラを救えていないんだ。
脈が早くなる。鮮やかな赤色をした血液が全身に送られ、明瞭になった思考を働かせた。
──これだ。
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