第113話 嫌悪

 次に目が覚めたとき、僕はレジスタンス本部にある医務室にいた。白いカーテンで仕切られた個室のベッドで僕は横になっている。窓から見える景色は黒く、エスターとの特別訓練から少なくとも数時間は経過していることが見て取れた。

 ベッドの傍らには椅子に座ったアンジェラがいて、壁にもたれながらすやすやと寝息を立てて眠っている。

「……もうそんな時間なのか」

 僕は上体を起こそうと頭を持ち上げようとすると、強烈な目眩と吐き気に襲われて、すぐさま元の体勢に戻った。胃の内容物はとっくに消化されているだろうから出るものなどなにもないはずだが、それでも吐き気は治らなかった。

 僕は口元を押さえながら天井を眺めていると、

「……あ、目が覚めたんですね。よかったです」

 という声が聞こえた。聞き慣れたアンジェラの声だ。

「……えっと……まぁ……はい……そう……ですね……」

 思考が鈍いがそれでもなんとか言葉を紡いだら、

「ごめんなさい」

 と言ってアンジェラが頭を下げた。普段は感情が顔には現れないアンジェラだったが、この瞬間だけは僅かに罪悪感が滲み出ていた。

「……どうして……謝るん……ですか……?」

 僕が首を傾げるとアンジェラは、

「……エスターの件で……あの子が……能力を暴走させてしまって……」

 と申し訳なさそうに言った。

 先ほどの苦痛が鮮明に思い出され、僕は恐怖した。あのようなものはもう二度と味わいたくない。なぜなら次は耐えられそうにないから。

「……それは……そうです……けれど……それを……アンジェラが……謝る……理由って……なんです……か……?」

 するとアンジェラは僕から視線を外して、

「…………私があの子の保護者の代わりだからですよ」

 とポツリと言った。

「……保護者……? どういう……こと……ですか……?」

「そこに至る経緯は話すと長くなりますから、今日は触れないでください。お願いします」

 そう言ってアンジェラはいつも通りの内心の読めない表情を見せて、

「では、今回あったことの説明をしますね」

 と先ほどとは打って変わった声調で話し始めた。


 アンジェラ曰く、エスターの同化した特異体が暴走を起こし、僕はそれに巻き込まれたということだった。同化した特異体というものは、その人の一部分となっているだけあって、その人の体調や精神状態によって力は大きく左右されるのだ。どういうわけかエスターは興奮していて、それによって特異体が同調して暴走を起こしてしまったとのこと。

 限界を超えた能力に暴露していたにもかかわらず、死なずにまた意識を取り戻したことはとても素晴らしいことだとアンジェラに褒められた。その際、頭を撫でられたせいで僕が胃液をぶちまけたことは内緒である。

 あの訓練場の前をアンジェラが通らなければ、僕は今頃死んでいたかもしれないということも知った。能力に暴露していた時間があまり長くないときにアンジェラに助けてもらえたから生き残ったのだ。

 エスターの能力暴走や僕が死にかけたことよりも驚いたことがある。それは、今日は気絶してから三日経過していることを告げられたことだ。

「──というわけですよ」

「はぁ? そんなに僕は寝ていたんですか? 信じられない……」

「まあ驚くのも無理はないですね。でも、特異体と対峙するというのはそういうことですから。──頑張れ、セシリア!」

「なんですか、『頑張れ、セシリア』って! まるで他人事のようじゃないですか!」

「まあ他人事ですからね。まったくもって私には関係ないので。そこであなたが負けてしまっても、私にダメージが入るわけではないんですから」

 アンジェラは柔和な笑みを浮かべた。

 ──なんて人なんだ。……恐ろしい。

「でも、一応言っておきます。……死なないでくださいね。寝覚めが悪くなってしまいますから」

 そう言ってアンジェラは部屋を後にした。


 翌朝、僕は出された朝食のスープを飲んでいた。一晩眠ったら、軽度な乗り物酔いのような症状こそ残っていても、上体を起こして消化の良いものを胃に入れることぐらいはできるようになっていた。

 当然ながら朝食にはパンや加熱調理された卵料理、サラダなどがあったが、今の僕にはとても食べる気にはならない。

 スープを飲み干して後は手付かずの状態のトレイを机に置いたまま僕が横になっていると、部屋に人が入ってきた。

「セシリア? 入りますよ? ──って勝手に入ったらいけませんよ」

 なにやらカーテンの外側が騒がしい。一拍置いて、カーテンの下からナスチャがひょこひょこと跳ねながら入ってきた。

「ナスチャ! どうしてここに?」

 想定外の見舞客に驚いていると、ナスチャは自慢げに笑って、

「どうしてって──きみがいつまで経っても帰ってこないからじゃないか。とっても心配していたんだよ?」

 と軽いノリで言った。

「……本音は?」

「……お腹空いた」

 ナスチャはなんで分かったんだ、という不服そうな顔をして僕を見つめてきた。半年も寝食を共にしてきたのだから、分からないはずないだろう。

 僕は床にいるナスチャを抱き上げて、膝の上に乗せると、

「ほら、まだ手を付けていないから食べなよ、これ」

 と言ってナスチャの口元にパンを持っていった。

「……ん、ありがと」

 そう言ってむしゃむしゃと食べ始めた。

 そこにアンジェラが入ってくる。

「ごめんなさいね、ナスチャがどうしても付いていくって聞かなくて」

「アンジェラ、おはようございます。いいんですよ、気にしないでください。ナスチャは家族ですから」

 僕が笑ってナスチャを撫でてみせると、アンジェラも微笑んで、ベッドの近くにある椅子に腰かけた。

「……では今から話しますけれど、準備はいいですか?」

「はい、もちろん」

 僕が答えると、アンジェラはどこか遠い過去を見るように瞳孔を開閉させて話し始めた。


 その間もナスチャは当然のように僕の朝食の残りを食べていた。

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