第102話 後悔と前進 前編

 私が八歳の誕生日を迎えようとした日に、両親は死んだ。即死だった。体はぐちゃぐちゃになって焼け焦げていて、不気味な肉塊に成り果てていた。それが私の両親のものであると理解するのには非常に多くの時間を要した。それを理解したとき、私は正気を保てなかった。胃の中身をすべてぶちまけて、髪の毛を引き抜いて、皮膚に爪を立てて、喉が裂けるほど叫んだ。それをしても意味がないと、その光景を俯瞰している自分は理解していた。しかしそれでもやめられなかった。そうでもしないと壊れてしまいそうだったからだ。

 そうなった原因は、工場の爆発事故によるものだった。両親はその工場の経営に携わっていた。そこに所属している労働者の一人が機械の操作を間違えて、爆発させてしまったと聞いた。

 両親はその労働者に殺されたのだ。

 それなのに労働者には大した罰が与えられていない。その爆発事故に巻き込まれて死亡したのだから、当然と言えば当然のことだ。しかし私は許せなかった。だから私は回収された両親同様に肉塊になった死体が安置されている部屋に忍び込み、死体に斧を振り下ろした。バラバラになったところで肉塊以下になったそれにガソリンをかけて着火した。

 人肉が焼ける不快なことこの上ない臭いが部屋に充満したが、今の私はその程度のことは気にならなかった。

 それからのことはよく覚えていない。未成年だから罰せられることもなく、気がついたら弟と二人で森の中で暮らしていた。

 小さなツリーハウスを作って姉弟で採集したり狩猟したりしてサバイバル生活を送っていた。その成果でお腹が膨れることはなかったが、餓死することもない程度には食料が手に入った。

 しかし一つ非常に困ったことがある。それは薬が得られないということだった。五歳下の弟は白化しており、体もとても弱い。そのためには薬が必要で、治療するには莫大なお金がかかるのだが、それを工面する方法を私は持っていない。だから私は街へ出て稼ぐことにした。森で摘んだ花を路傍で売っては日銭を稼いだ。学のない今の私ではその程度のことしかできないのだが、それだけでは到底足りないのだ。

 今思えば、そのときに周囲の大人に頼ればよかったのかもしれない。そうすれば誰も不幸にならずに済んだはずだ。

 金に困っている貧乏で痩せこけた子供である一見なんの力もないように見える私にも、ある特技があった。それは──相手の急所が見えるというものだ。その特技は不思議なもので、人間相手でも動物相手でも関係なしに使うことができ、そこを攻撃すれば確実にダメージを入れられる。私の出せる力からして一撃必殺とはいかずとも、戦力は大幅に減少させることができる。

 その力を使って──私は強盗を始めた。

 次に街へ行ったとき、裏路地に転がっていた鉄パイプを見つけた私は、持っていた目の部分を切り抜いた紙袋を被ってからそれを握りしめて、二十歳前後の上品な格好をした小柄な女性を襲った。見るからに金を持っていそうで、体格も小さい。だからその女性は襲う対象にはうってつけの人間だった。

 人気のないところを歩く女性の背後に忍び寄って、後頭部に鉄パイプを振り下ろした。全体重を乗せて振り下ろしたそれは女性の頭蓋骨を砕き、脳幹を損傷させた。鮮血や脳が辺りに飛び散って石畳の道を汚す。

 初めての殺人に私はとても高揚していた。しかし目の前に転がっている死体を見て現実に引き戻され、すぐさま女性が持っていた鞄の中を漁った。そこには財布が入っており、素早い手つきで中身を抜き取った。数十枚の最高額の紙幣がクリップでとめられたものだけで、中にはそれ以外入っていなかった。

「硬貨が入ってない……」

 驚いた私の口から言葉が漏れた。

「──そんなことよりも死体を隠さないと!」

 ポケットに紙幣を強引に詰め込むと、うつ伏せに倒れている女性の死体を隠そうとさらに人通りのない裏路地に運ぼうと試みたが、大して成長していない私では持ち上げることは疎か、引きずることもできなかった。だからそれは諦めて、どうにか仰向けに寝かせると、鉄パイプを顔面に振り下ろした。

 これが足りない頭が出した最適解だった。顔面の判別が難しくなれば、きっと私は捕まらないだろう。浅はかな考えではあるが、結果的にこれは正しかった。

 ひたすら顔面に打撃を加えると、顔面は元の大きさの三倍ほどに腫れ上がっており、原型をとどめていなかった。

「……早く帰ろう」

 私は脱兎の如く森へ逃げ帰った。途中、川に寄って返り血を洗い流し、弟に心配をかけさせないようにしてから家に戻った。

 弟は弱々しく、

「おかえり、お姉ちゃん」

 と言った。その声を聞いて私の背筋には嫌な汗が伝った。

 その翌日、私は再び街へと行った。すると街にいた人間は皆口を揃えて、『通り魔が出たんだとよ』、『被害者は若い女性としか分かっていないんですって』、『一体誰がこんな酷いことを……』と言っていた。それを聞いて私はすぐさま踵を返し、森を挟んで反対側にある街へと駆けた。

 何事もなく街に着いた私は薬を購入して家に戻った。眠っていた弟が私が帰ってくる音で目を覚まして、

「おかえり、お姉ちゃん」

 と言った。私は弟の頭を撫でてから、

「薬を買ってきたよ。体を治すために頑張って飲んでね」

 とコップに水を注いで買ってきた薬と一緒に渡した。弟は困惑したような表情を見せたが、私が、

「飲まないと強くなれないよ」

 と言うと、渋々飲んでくれた。


 私は隣ですやすやと寝息をたてている弟の頭を撫でる。

 今日も無事に一日を過ごすことができてとても嬉しかった。弟は一応元気な様子で、私は心底安心して眠りについた。

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