第61話 側にいたくて

 私は毎日ミルドレッドの下で修行をしていた。肉を焼く鉄板の上でタップダンスをするような暑い日も、指先の感覚がなくなるような寒い日も、風で大木が飛ばされてくるような風の日も私はクレイモアを振っていた。

 私がミルドレッドに一度でも攻撃が決まれば、レジスタンスへの入隊の口利きをしてくれると約束したのだ。

 ミルドレッドは私の適性を見極めてクレイモアを使うように指示したのだ。

 その指示に最初は不服に思っていた。どうやって私がそのような重いものを振り回すのかと疑問だった。

 だがミルドレッド曰く、私は人よりも圧倒的に筋肉量が多いから扱うのは簡単だ、とのこと。

 それはどうやら本当のようで、最初こそ筋肉痛を感じることがあっても、三日も続けばそのようなものはなくなった。

 しかしどうも私には体力がないらしい。手足に乳酸が溜まる感覚はないのだが、どれだけ息を吸っても体に上手く酸素が取り込めない。だからすぐ頭が揺さぶられたかのように痛くなり、うずくまることが多かった。

 それを心配したミルドレッドによってかかりつけの病院へ検査を受けに行くと、原因が判明した。

 ──吸血鬼の異能が原因だった。両親を殺した初老の吸血鬼の異能による冷気を吸い込んだことにより、肺の機能の一部が失われていたのだ。

 分かったところで治しようがないから、ミルドレッドの提案で走ることになった。とにかく走れば自然と体力がつくだろうという非常に浅はかな考えだった。

 しかしそれは案外効果があり、症状は幾分か改善された。それに加えてミルドレッド式呼吸法で普通の人間と変わらない機能にまで回復した。

 擬似的に健康になった私はより一層鍛錬に励むようになった。まだミルドレッドも眠っているような早朝──日の出と同時に家を飛び出して街を走るのだ。

 そして通り道で売っている鶏の新鮮な産みたて卵を購入して家に帰る。

 その頃にはちょうどミルドレッドも起きて、モーニングルーティンである素振りをしている。

 その間に私は買ってきた卵を加熱調理して朝食を用意する。食パンを程よい厚さに切り分けてオーブンに放り込んで焼く。それと並行してコーヒーを淹れ、ミルドレッドのカップには角砂糖を三つ入れる。

 完成した朝食を食卓テーブルに並べ終わる頃にミルドレッドが部屋に入ってくる。──完璧。

 ミルドレッド曰く、これも修行の一環とのこと。にわかには信じがたいことだが、ミルドレッドの言うことだから私は従う他ないのだ。

 朝起きて産みたて卵を買いがてらランニングをして二人分の朝食を作り、ミルドレッドがリビングルームに訪れるタイミングを予測して出来立てを出すというものだ。

 これをして吸血鬼と戦えるようになるとは到底思えないが、私は毎日それを繰り返した。

 このように半ばパシリのようにこき使われているが、ときどきミルドレッドと手合わせする機会が与えられるから私は頑張ることができる。


 私はミルドレッドが任務のために家を空けていていないときも鍛錬を怠ることはなかった。

 それが遂に身を結んだのだ。

 ──今日は手合わせしてもらえる日。

 剣先が衝突し一閃する。間髪入れずに私はクレイモアを持ち替えて斜め下から上に向けて防御を崩すように切った。

 普段とは感触が異なった。いつもなら力で無理やり押さえ込まれるのだが、今回は違う。

 痛快な音と共にミルドレッドの持つ武器が宙を舞った。回転しながら美しい放物線を描いて彼女の背後に突き刺さる。

 無防備になったミルドレッドを私は逃さない。

 地面を踏み込んで素手の間合いに入る。脚の筋肉が瞬発する。それは獰猛な肉食獣が獲物へと飛びかかるようなものだった。

 握りしめた拳に体重を乗せてミルドレッドのみぞおちを狙う。

 吸い込まれるように一直線に拳が飛んでいき、腹部を捕らえた。女性にしては硬い腹部に拳がめり込み、ミルドレッドの体はくの字に折れ曲がる。

 子供とはいえ体重を乗せた拳の威力はそこそこあり、ミルドレッドは体勢を崩してよたよたと後ずさった。

 殴られたところをさすりながら痛みなど感じていないような微笑を浮かべて、

「おめでとう。よくやったねヴィクトリア」

 と優しく言って私の頭を撫でた。

 それから片膝をついて私を力一杯抱きしめた。汗とシャンプーが混じった匂いが頸から漂う。

「あなたはとても強くなったよ。私はあなたの数歩前を歩き続けるつもりなのだけれど──」

 意図的に言葉を途切れさせた。私たちの周りの空気が活動をやめる。ミルドレッドはその間を楽しむように口角を緩やかに上げて笑い、

「──いつか追い抜いて」

 と続けた。


 私はいつも通りマフラーを巻くと、鞄とクレイモアを持って家を出発しようと玄関に行った。

 鞄の中には最低限の公共交通機関を利用できるお金が入っている。

「待って」

 ミルドレッドが私を止めて近づいてきた。ブーツが奏でる音が静かな空間に響く。

 私を抱きしめて、

「どうか死なないで。生きて帰ってきて」

 と大粒の涙を浮かべ、震えた声で懇願するように言った。

「……私は……大丈夫……です……ちゃんと……生きて……帰ります……から……」

 涙腺が決壊し、目に浮かんだ涙はぼろぼろとこぼれ落ちた。

「……泣かない……で……ください……」

 いつもとは反対に私がミルドレッドの頭を撫でてあげた。

 いつも余裕のある笑みを浮かべているミルドレッドがこれほどまでに感情を表に出しているのは珍しかった。

 ──この人もこんな顔をするのか。

 どうにかミルドレッドをなだめて私は家を出た。


 こうして私は公共交通機関を利用してレジスタンス訓練施設へと向かった。──レジスタンス入隊試験を受けるために。

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