第3章

第62話 希望の代償

 私が自宅の扉を開けて部屋に入ると、そこは罪の館にある王座の間になっていた。

 ──また呼び出しか。

 レオンが自宅の扉と罪の館の王座の間にある扉を繋いだ。この能力はどこでもドアの劣化版のようなもので、どこの扉からでも罪の館に来ることができる。そして罪の館から出るときも、扉のあるところならどこへでも行くことができるのだ。

 私は王座の間の定位置へ行き、片膝をついてレオンやほかのセフィラを待った。

 少しして前方の椅子の周りに黒い霧が出現し、人の形を形成していく。それが晴れると同時にレオンが現れた。

「やあ、マルクト。元気にしているみたいだね。それはよかった……よかった……」

 レオンは発した言葉の余韻を口の中で飴玉のように転がしてから、

「……ところでまだ達成していないようだけれど大丈夫かい?」

 と氷のように冷たい声で言って私を睨みつけた。

「ほら、あのエコー部隊と特異体の鳥のことだよ。まだ殺せていないのだろう?」

 言われなくともなんのことかは分かっている。あのとき私が逃げたがばかりに──。

「それに……薄々気づいていると思うのだけれど、君以外の下層セフィラは全滅したのだよ。……このような出来事が起きたのは初めてだ」

 額を押さえ、感情を殺した声を発するが、憎悪や不快感が言葉の節々で感じられた。

「……イェソド……ホド……ネツァク……彼らが死んだのはすべて己の弱さが原因で、君のせいではないから責めたりはしないよ」

「……申し訳……ありません……」

 私はずっと視線を落とし続けている。とてもではないがレオンを見ることなどできはしない。

「私は君に謝ってほしいわけではないのだよ? ただ、あのエコーの首と特異体の屍を持ってきてくれればいい。それなのに──たったそれだけのことなのにどうして君たちはできないんだい? それが私には理解できない」

 レオンは私に侮蔑の視線を向け、

「確かにイェソドやホドがホロコーストが相手になったという結果だけを見れば可哀想だと思わなくもないが、あの日の彼女たちは大して武装していなかったらしいじゃないか」

 と続けた。

「早くやりたまえよ。あまり私を失望させないでくれ……」

 鮮血を彷彿とさせる冷酷な双眸が私を見据える。

「ところで君は何代目のマルクトか知っているかい?」

 先ほどとは打って変わって、レオンは子供の相手をする休日の父のような微笑を浮かべて訊ねた。

「……知りませんよ」

「君は二十三代目だ。二十二人の全員が私に殺されたわけではないが、多くが未達が原因で凄惨な死を遂げた。──君もそうなりたいかい?」

 レオンは片手を黒に変色させると流動してみせた。それは一種の生命体のように動いて悍ましさが感じられた。

 それからレオンはもう片方の手を見せて一本ずつ折り曲げていく。

「リディア、マチルダ、ローズ、フレデリカ、ソフィア、イザベラ──」

 レオンは目を細めて哀れむようにこちらを凝視し、

「彼女たちと同じ運命を辿るかい?」

 と感情のない声で言った。それと同時に指を鳴らした。

 次の瞬間、床から液体が形状を変え、棘となって突き出した。

 当然ながら私がそれを避ける方法はない。体は宙に浮き、傷口から鮮血が噴き出した。

 心臓が脈を打つたびに激痛が走り、多量の血液が溢れ出る。その痛みはまるで痛覚の神経を砂利道に擦り付けるようなものだった。

「いっそのこと下層セフィラなんてものは無くしてしまおうか……」

 レオンは惨たらしい姿に成り果てた私を眺めながら呟いた。

「……ごめん……なさい……」

 私の口から無意識のうちに言葉が漏れた。それは懺悔と見なすには不潔すぎるものだった。

「……まあ結局、駒は多いに越したことはないから継続するのだけれども」

 レオンは頬をぽりぽりと掻きながら不敵に笑い、

「精々、頑張りたまえよ」

 と温かさのある声で続けた。

 棘が抜かれて私の体は重力に従って床に落ちる。受け身を取ることができずに腹部と顔面をしたたか打った。だがその程度の痛みは棘が貫通したことに比べれば大したことではない。

 それからレオンはもう一度指を鳴らした。パチンという弾けるような良い音が凍てつくような空間に虚しく響く。その音は空間が楽しむかのように反響させてから消失した。

 レオンの元に一人の黒髪の小柄な女性が現れ、彼に対して片膝をついた。

 女性の手にあるのはアタッシュケース。女性はその底面を前腕に載せて、もう片方の空いてる手でアタッシュケースを開けた。

 中身がレオンに見えるようにしている。

「ご苦労様」

 そうぽつりと呟いたレオンがアタッシュケースに入っている二つの黒い液体──希望で満たされた血液製剤を取り出すと、袋の表面に爪を立てた。

 手入れの行き届いた長い爪が袋を切り裂く。切られると同時に裂け目から希望がこぼれ落ちた。

 しかしそれは床に落ちることなく、袋に吊るされた状態になっている。ゆらゆらと揺れながら液体生物のような悍ましさを兼ね備えた動きをしている。

 一瞬、ほんの一瞬だけ私が視線を動かすと黒い血液は生命体となって私に飛びかかった。

 それを躱すこともできずに私はされるがままになった。希望は私の体を侵食していく。

 こののたうち回らざるを得ない痛みからは逃れられない。

 体が早く順応することを願って歯を食いしばってひたすら耐えていると、レオンが口を開いた。

「さあ、殺せ。面倒なことは早急に対処しろ。──いいね?」

 語気を強めたかと思えば、反対に軽い口調で言った。

 同時に私の体から力が抜けていった。痛みからそうなるのではなく、レオンが指を鳴らしたからだった。

 私の体は黒い霧となって消えていく。

 それをねっとりとした目つきでレオンは眺めていた。

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