第40話 第七のセフィラ戦 中編

「……ごめんな……ヴィオラ……お前を助けてやれなくて」

 そう呟いて僕は痛みと出血から意識を失った。

 次に目が覚めたとき、僕は真っ暗な空間にいた。神経と体が分離しているようで、どれだけ脳が支持を出しても体は動かなかった。

 そこでヴィオラは僕に背を向けて立っている。

 純白で艶やかな緩いパーマのかかった長い髪。体に合わない大きな服から見える細い四肢は、雪のように白い。

「……ヴィオラ」

 愛する妹の名を呼ぶ。するとヴィオラはこちらに振り返った。左目の下には[Da’at]と印されている。

「お姉ちゃん」

 ヴィオラは感情を押し殺し、作られたような冷たい声で言った。

 顔からもなんの感情も読み取れなかった。いつも笑って僕を慕ってくれていたヴィオラの面影は跡形もなく消え去っている。

 人形のように可愛らしい真っ赤な丸い目が僕を見つめる。右耳だけに付けられた小ぶりなクリムゾンレッドのピアスが煌めいた。

 僕はヴィオラを抱きしめるために駆け寄ろうとするが、足は動かなかった。体はやはり指示を受け付けないのだ。

 かろうじて動いた手をヴィオラに触れようと伸ばす。だが届かなかった。ヴィオラは触れられそうなほど近くにいるのに、届かないのだ。どれだけ手を伸ばしても空を切るだけだった。

「愛してる。僕はヴィオラを愛してる。いつだってどんなときだってお前を愛している。だからどうか──」

 大粒の涙がこぼれる。

「──幸せになってくれ」

 すべて自分の弱さが招いた結果だ。僕がもっと強ければ、ヴィオラやナスチャは嫌な思いはしなかった。

 罪悪感に苛まれた。それは冷やされた金属製のヤスリとなって心臓を削っていった。

 ヴィオラは何も言わず、表情も一切変えずに前を向き、僕から離れていく。

 僕はその後ろ姿を呆然と眺めることしかできなかった。


 ヴィオラが消えてからどれほどの時間が経ったのだろうか。この真っ暗な空間ではまったくもって検討もつかない。

 すると突如として僕の前に無数のスクリーンが浮かび上がった。

 ──能力が発動した。

 僕は今、生死の境で反復横跳びをしているようだ。腹をねじ切られたのか、死へのカウントダウンが始まっている。

 能力が発動してスクリーンが出てきたまではいいが、アナログテレビで起きるような砂嵐が発生していて使えそうにない。

 結局、一人ではどうにもならないのだ。意識がない今、自分は行動ができない。ネツァクが動けば別だが、虫の息の僕を攻撃することはないようだ。

 諦めるしかないようだ。能力があっても僕が弱いことに変わりはないのだ。人並み以上の努力はしてきたつもりだが、それでは足りなかったのだ。

 絶望感は僕の体に纏わりついて離れない。そんな中、一つのスクリーンに映像が映し出された。

 丈の長いメイド服に身を包んだ背の高い女性がネツァクの頭をサッカーボールのように蹴り飛ばしたのだ。もげた頭が放物線を描いて飛んでいった。

 見覚えのあるヴェネチアンマスクから赤色の瞳が覗く。それは地面で横たわっている僕を心配そうに見ている。

「エリザヴェータ!」

 僕は彼女の名を叫び、迷いなくその未来を選んだ。


 ある日、吸血鬼がこの森に侵入した。これはよくあることで、こちらに危害を加えることがなければ放置する。人間の敵である以上、吸血鬼は一体でも多く殺したいが、祈りを込めた銀製の武器を持たない私にはなす術がなかった。

 それから数日後、人間の臭いがしたかと思えば、少しして静寂なはずの森が急に騒がしくなった。同時に血の匂いが漂う。

 異常を察知した私は鉈を片手に夜の森を駆けた。

 しばらく走ったところで立ち止まった。

 視力が非常に良い私は視認することができた。森にある少し開けた場所で見覚えのある人間が倒れていた。植物が絡みついて死にかけている。

 それに膝から下を失っているようで、多量の出血が確認できた。早く処置しなければ死んでしまうだろう。

 私は脳が指示を出すよりも早く、本能が足を動かした。

 近くに一体の少女の見た目をした吸血鬼が立っている。その吸血鬼の頭に私は躊躇なく蹴りを入れた。

 足から皮膚が裂けて骨が砕ける感触が伝わった。だがこれも慣れたものだ。対吸血鬼なので微塵も罪悪感を感じない。

 数メートル離れたところに吸血鬼の頭部が転がる。その顔を見て私は腹をくくった。あの忌ま忌ましい男の直属の部下だったからだ。──できる限り惨たらしい方法で痛めつけてから追い払おう。

 ネツァクの首から上はすぐに生えてきて、怒気を含んだ声で、

「吸血鬼がなんの用? その人間を食べたいってなら頭以外はあげるよ。だからさっさと私の前から消えて」

 と顔に不快感を滲ませて言った。

 私はすかさず顔面を殴り飛ばした。ネツァクの体は軽く、簡単に吹っ飛ばして木に叩きつけることができた。その衝撃で葉が降ってきてネツァクの頭に落ちる。

「私はあなたよりも強い。今なら見逃してあげるから、さっさとここから立ち去りなさい。でないと──」

 私が木の根元に座っているネツァクの前に仁王立ちして睨みつける。するとネツァクは舌打ちし、

「うるさいなぁ。私に指図しないでよ。私は第七のセフィラなの。だから──あなたなんかに負けるはずがない!」

 と叫ぶように言って腕を植物に変形させ、私に振り下ろした。

 植物と接触する直前に異能力を発動した。一瞬のうちに私の周りに透明で変幻自在な布を生成した。それを体に纏わりつかせ、ネツァクの攻撃から身を守った。

 植物は布に触れた瞬間、焼ける音とともに跡形もなく溶けていった。

 ネツァクは目を見開いて唖然とした様子で私と自身の植物になった腕を交互に見る。そして言葉を漏らす。

「嘘だ……」

 私は冷酷な眼差しを向け、

「そもそも吸血鬼同士で戦うことほど無意味なことはない。互いに致命傷を与えられないのだから」

 と言ってネツァクの頭を再度蹴り飛ばした。敏捷な私の動きをネツァクは捕捉することができず、またしても頭は宙を舞った。

 同時に私は持っていた鉈をウツボカズラめがけて投擲した。それは目標に吸い込まれるように飛んでいき、袋の上部を切断した。

 すると中から甘ったるい汁に浸かった鳥──ナスチャが這い出てきた。見たところ怪我はないようだ。

 ナスチャは起き上がって見回すと、私と目が合った。

「エリザヴェータ……」

 私を認識した途端に小刻みに震え始めた。

 次の瞬間、頭部を修復したネツァクが腕を振り下ろした。

 私は間合いを詰めてネツァクの肩関節を取り、慣れた手つきでうつ伏せに倒した。上に乗って、後頭部を殴打する。

「ナスチャ、セシリアの処置をできますか?」

 私がそう訊ねると、プルプルと震えていたナスチャは無残な姿で倒れているセシリアを一瞥し、

「できる」

 と言ってセシリアのほうへとひょこひょこと跳ねていった。

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