第41話 第七のセフィラ戦 後編

 殴るたびに頭蓋骨が砕ける。そしてそれを修復する。このループに嫌気が差したネツァクは舌打ちをした。

 いくら吸血鬼と言えども、頭部を損傷し続ければ動きは鈍るのだ。同時に異能の発動を妨害することもできる。

「殺す! お前を絶対にぶち殺す!」

 ネツァクは肉食獣の咆哮のように叫んだ。

 暴風のような連打からは逃れられない。ネツァクは途中何度か逃げようともがいたが、その度に殴る威力を上げて顔面を地面にめり込ませると、ようやく理解した。

 ネツァクは大人しく私に殴られている。相変わらず治るのは早いが、私はそれと同等の速度で頭を砕くので問題はなかった。


「セシリア! セシリア!」

 僕を呼ぶ声が聞こえる。だがこれが現実で起きていることなのか、死後の世界なのか区別がつかない。

 体のあちこちをつつかれ、意識が戻った。あまりにものくすぐったさから跳ね起きると、心配そうに目には大粒の涙を浮かべたナスチャが嬉しそうに笑った。

「セシリア、体は大丈夫?」

 僕は体を確認した。肘の可動域は通常に戻っている。曲げ伸ばしをしても痛みはなかった。膝から下も綺麗にくっついており、元々もげていなかったような状態にまで回復していた。胴体も確認するが、異常はないようだ。折れていたはずの肋骨も治っている。

 ナスチャにつつかれると治るという超常現象が霞んで見えるようなことがあった。それは着ていた隊服が裂けているだけで、インテリゲンツィアからの支給品の服には傷一つついていなかったのだ。

「ありがとう、ナスチャ」

 礼を言うと、

「まだ戦いは終わってないよ。それに助けたのは……エリザヴェータだし。ぼくはなにもしてないよ」

 とナスチャははにかみながら言った。

 ナスチャのおかげで復活を果たした僕は、意識がなくなる前の記憶からクレイモアを拾い、ネツァクのほうへと走った。

 エリザヴェータはうつ伏せになっているネツァクの上に乗り、鬱憤を晴らすかのように拳を頭部へと落としていた。当たるたびに硬いものが砕ける音がする。

 僕はナスチャに一瞬視線を送ってから、

「エリザヴェータ! これで首を落とせ!」

 と言ってクレイモアを投げる。エリザヴェータの意識はこちらに向いた。それを待っていましたと言わんばかりにネツァクは今まで殴られていたとは思えないほど素早く起き上がる。エリザヴェータから距離を置こうと踏み出すが、それをナスチャが防いだ。

「死にたくな──」

 ネツァクは漕ぎ出すように手を前に出して逃れようとするが、それは意味をなさなかった。異能も発動できないほどに弱っていたからこそ、そのような無意味な行動をせざるを得なかったのだ。

 クジラのように大きな口がネツァクを丸呑みした。

 はみ出た片腕が食いちぎられて地面に落ちる。

 エリザヴェータはそれを察知して横に飛んで回避した。届くはずだったクレイモアが地面に突き刺さる。

 先ほどの送った視線でナスチャは腹部から赤い生物を生み出し、ネツァクのいるところの地面に潜らせていたのだ。

 エリザヴェータの注目する対象を意図的に変えさせ、ネツァクに逃げる隙を与えたのだ。それにまんまと引っかかったネツァクは赤い怪物に食い殺された。

 僕はその場にへたり込む。

 地面に落ちた消え行くネツァクの体の一部を眺めて、

「……これで終わったのか?」

 と呟いた。その言葉は静寂を取り戻した森に響く。するとナスチャはなにも言わずに僕のほうへひょこひょこと跳んできて、お腹に飛び込んだ。ナスチャの体重を支えきれなかった僕の体は後ろへ倒れた。下は柔らかい土で頭をぶつけても痛くはなかった。

「助けにきてくれてありがと」

 お腹の上でぽふぽふと跳ねて喜びを体現するナスチャを地面に置いて、僕は上体を起こした。

 視線の先にいるのはエリザヴェータだった。彼女は先ほどまでネツァクがいた場所を凝視している。その目には僅かながら殺意が宿っていた。

「エリザヴェータ」

 僕が名前を呼ぶと、現実に引き戻されたように一瞬、驚いた表情を見せた。次の瞬間には微笑を浮かべていた。

「体は無事なようですね。よかったです」

 エリザヴェータはこちらに駆け寄ると僕の体に触れながら言った。

「……どうして人間を助けるんですか?」

 最初に会ったときに人間を襲わない理由を聞いて、そういう吸血鬼もいるのかと半ば強引に自分を納得させた。

 だが今回は違う。装備を見る限り、わざわざ助けに来た様子だったのだ。

「……話すと長くなりますので、よろしければ私の家に来ませんか? 体も汚れているでしょうし」

 エリザヴェータは僕の頬に付いた土を払ってそう提案した。

「「飲み物がレモン汁じゃないなら行きたいです」」

 僕とナスチャの声が重なった。

「わかりました。レモンは少なめで作りますね」

「「いえ、できればレモン入れないでください! ただの水でいいので!」」

 エリザヴェータが少し寂しげな表情を見せたので、僕たちはすぐに撤回したを

「「……レモン少なめでいいです」」


 こうして病の森は元の静寂さを取り戻した。

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