第39話 第七のセフィラ戦 前編

 僕は疾走した。脇腹が痛い。足が痛い。それでも僕は走るのをやめなかった。

 苦しい。肺が悲鳴をあげる。

「ナスチャ……待ってろ……!」

 レジスタンス本部から列車で数日の距離にある、病の森と呼ばれる森に到着した。そこはエリザヴェータの家がある森だった。

 病の森と呼ばれる所以は、一般的な人間はこの森に踏み込むと呼吸器に異常をきたし、最終的には命を落とすからだ。

 エリザヴェータによって抗体が作られた僕にはまったく問題がないので、踏み入ることは容易だった。

 背中にあるクレイモアに手をかけ、夜の森を駆ける。

 夜は吸血鬼の独擅場だが、それでも僕は構わず突撃した。早くナスチャを助けなければならないからだ。

 しばらく走ると、人影を発見した。

 月明かりに照らされるエメラルドグリーンの髪に白くて日焼けしていない肌、僅かな面積しか隠せない露出の多い格好の少女が立っていた。近くには特大のウツボカズラがあり、ゆらゆらと生きているかのように不規則に揺れている。

 僕に気がついた少女が振り返る。

 左目の下にある[Netzach]の文字を見て背筋が凍りついた。

「第七のセフィラ……」

 圧倒された僕の口から言葉が漏れる。

「にゃはは。ようやくきたんだね。待ちくたびれたよ」

 走ってきたせいで息が切れた僕は肩で息をする。

「なんで私がここを指定したか分かる?」

 ネツァクはねっとりと舐め回すように僕を見て、悪趣味に笑った。

「知らないな。どうだっていいだろ、そんなこと。それよりナスチャはどうしたんだ? 無事なんだよな?」

 僕は背中にあるクレイモアを抜き、ネツァクの顔に剣先を向ける。月光を浴びて銀の刃が一閃した。

 どす黒い殺気を纏って凄むが、ネツァクは不敵に笑って、

「生きてるんじゃない?」

 と言ってウツボカズラの袋の部分を蹴っ飛ばした。それは跳ねるように揺れ動き、中から鳥の鳴き声が聞こえた。

「おい! 早くナスチャを返せ!」

 呼吸も元に戻った僕は小さく息を吐いて、

「──殺す」

 と呟いた。

「私はレオン様に選ばれたセフィラだよ。それも第七だから、下層では最も強いの。だから、エコーごときが殺せる相手じゃないよ。それに……たとえあなたが強くても、そんなおもちゃでどうするの?」

 ネツァクは侮蔑した態度で、値踏みするように僕の頭のてっぺんからつま先までを見た。

 僕一人では到底勝てる相手ではないのは自分が一番分かっている。だからなんとしても先にナスチャを救出して、戦況を一対二に持ち込まなければならない。

 クレイモアを握る手に汗が滲む。

 緊張から足が小刻みに震える。

 後退して死ぬか、進行して生きるか、その二択だ。ならば当然、後者を選ぶ。

 僕は大きく息を吸って、ナスチャの入っているウツボカズラとの距離を詰める。こちらの間合いに入った瞬間、袋の真ん中を狙ってクレイモアを薙ぎ払った。

 しかしそれをネツァクの異能が妨害した。突如として地面から生えた蔓によって、薙ぎ払ったクレイモアの動きは映像の一時停止機能のように止まった。

 僕はすぐに刃を回して絡みついた蔓を切断し、後方に跳躍してネツァクとの距離を置いた。

 続けざまに僕の周辺に蔓が一斉に生えて、捕らえようと集中的に飛んできた。

 速度は速いことに変わりはないが、僕でも対処できる程度のものだった。一本ずつ確実に切り落として攻撃から逃れていく。

 切断されて地面に落ちた先端部は瞬く間に消えていった。

 嵐のように激しい攻撃から身を守るべく刃を振るい続けていると、突然ネツァクは攻撃するのをやめ、

「なんでここにいるのになんで死なないの?」

 と絶叫にも似た声で言った。

「ここに到着するまでの時間経過で勝手にくたばると思って、わざわざ病の森を選んだのに……」

 ネツァクは頭を抱えてしゃがみ込むと、段々と小さくなっていく声で、そして最後には独り言のように言った。

「お前はとてつもない勘違いをしている。僕にはここの毒は効かない。だからさっさとナスチャを返せ。僕の大切な家族だから」

 僕はクレイモアを握りしめ、語気を強めて言った。

「──どうして! 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」

 ネツァクは声を荒げたかと思えば、再び小さくなっていく。しゃがんだまま俯いて表情は見えない。

 今ならネツァクの判断が遅れると思った僕は即座にウツボカズラを目指して駆け出した。

 袋めがけて薙ぎ払う──だが、届かなかった。直前で地面から生えてきた先程よりも太い蔓が足に絡みついた。それによって動きが制限され、前に転んだ。腕で顔を覆って顔面ダイブは避けたが、手からクレイモアが離れた。

 クレイモアは二、三メートル先に転がっている。

 早く回収しなければ──足に絡みついた蔓を解こうとするが、それよりも先に他の蔓が僕の体を捕らえて締め上げた。

 その中でも腕に巻きついたのが致命的で、肘を決して曲がってはいけない方向に向かって曲げ始めた。もちろん僕はそれとは逆の方向に力を入れて対抗するが、それも虚しく骨は折れた。

 激痛が走り絶叫する。だがその声もこの人気のない森では誰にも聞かれることなく、空に消えた。

 それに続いて足に絡みついた蔓も僕の体を壊していく。乾きかけの粘土の人形のように簡単に膝をもいだ。

 ネツァクは宝石のような輝きを放つ目で僕を見据え、恍惚とした表情を見せた。そして嬉々として口を開く。

「私が両方とも殺せば、レオン様は私にいっぱい希望を与えてくれて、もっともっと強くなれるの。だから死んでよ。私のために」

 ネツァクは手を振り上げて足と同じように胴体の切断を狙った。蔓はくびれのある辺りをね切ろうとする。

 僕の体に激痛が走っている今、胴体の痛みはあまり苦痛ではなかった。足の断面からは心臓が脈打つたびに鮮血が噴き出す。折られた肘の関節はパンパンに腫れ上がっている。

 膝から下を失い、かろうじて残っている腕も折られたせいで使い物にならない。これ以上戦うことは不可能だ。

 仮にこの蔦から逃れられたとしてもナスチャは救えないし、走って逃げることもできない。逃げるための足が残っており、エリザヴェータが家にいるのだったらまだなんとかなるかもしれないが、それも今では実行できない。

 早く止血しなければ出血多量で死にかねない。だが今まさにネツァクによってとどめを刺されようとしているので、その心配は必要なかった。

 意識が朦朧とする。

 胴体に激しい痛みを感じる。ようやく足よりも重傷になったようだ。

 苦痛に喘ぎ、視界が暗くなっていく最中、僕の脳裏にヴィオラの姿が浮かんだ。

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