第33話 第九のセフィラ戦 後編

 少女の絶叫が静寂な空間に響く。

「これは苦戦どころではないみたいですね」

 アンジェラがいつもの内心の読めない微笑を浮かべ、落ち着き払った様子で言った。手には黄金色に輝く短剣が指に挟まれるようにして複数本握られている。

「まだ元気に叫べてるし、もう少し放置してもいいんじゃない?」

 レイチェルはズボンのポケットに手を入れ、面倒くさそうに言い放った。アンジェラと同様、焦りは微塵も感じられない様子だ。

「シェリルの命令ですから、こちらもさっさと片付けましょう。お嬢様の誕生祭は閉場、私たちは予定よりも早く任務から解放される。──いいと思いませんか?」

 口元を手で覆ってアンジェラは笑い、

「──パーティーはお終い。あなたの負けですよ」

 と言って握られた短剣を一斉に投げた。それは高速で飛んでいき、操縦室で蠢く生命体の触手を切り落とす。

 発声器官を持たない生命体は叫ぶことなく、断面をただ呆然と体表を埋め尽くしている目で見つめている。

「第九のセフィラ、あまり新人を虐めないであげて」

 レイチェルが手を振り上げるとイェソドが立っている場所の半径三メートルを剣山のように赤い棘が瞬く間に突き出した。

 イェソドはそれを察知して跳躍して躱すが、レイチェルが今度は手を振り下げて、天井から同様のことをする。

 跳び上がり、即座に床に降りられないイェソドの体を天井から生えた棘が容赦なく貫いた。

 血液が雨のように降り注ぐ。

 幸か不幸か脳幹の損傷はなかった。イェソドはこの一撃で死ぬことができず、痛みに顔を歪めながら逃れようと必死にもがいている。貫通した棘はなかなか抜けず、体は重力に逆らって宙に浮いたままだ。

 その地獄のような光景をレイチェルは恍惚とした表情で眺める。

 対照的にイェソドは獲物を前にした肉食獣のように唸り声を上げ、こちらに殺意を向けて睨んだ。

「ねえ、アンジェラ。セフィラにトドメさしていいよ」

 レイチェルは澆薄に笑って言った。

「そう。それならお言葉に甘えて──」

 アンジェラは手を振り上げ、触手を切断した短剣を操ってイェソドの首へと飛ばした。

 それを避ける手段を持たないイェソドは目を見開いて殺される運命から逃れようと抗った。その目は殺意に満たされており、小動物を殺せそうなほど鋭かった。その抵抗も虚しく首は両断され、頭部が床に音を立てて転がった。

 同時に生命体は崩壊し、血だまりを残して消えていった。

「僕はまだ死ぬわけにはいかない……まだやることが残っている……」

 イェソドの生への固執は見苦しさを極めていた。

 アンジェラは壁の近くで横たわっているセシリアを一瞥してから、

「あなたはもう終わりですよ。人類に仇なす存在である吸血鬼は殺さないといけない。あなたがしなければならないことはなんですか? どうせ大したことではありません。不愉快なので早く消えてください」

 と言ってイェソドの髪を掴み、頭を持ち上げ、一瞬目線を合わせてから唾棄するように床に投げ捨てた。断面から床に落ち、血液がぐちゃりと音を立てた。

「僕の小説は完璧……世間に認められたんだから……まだ生きて……生きて読者の期待に応えないといけない……」

 イェソドの声はアンジェラには届かない。涙が頬を伝う。

「私たちの仲間を殺そうとした罪は重いよ」

 レイチェルが死神のような冷酷な表情で、感情のない声でそう吐き捨てるように言った。そしてイェソドの頭をサッカーボールのように蹴っ飛ばした。

 しばらくしてイェソドの体は消え失せた。


「それにしてもこれは酷いですね」

 アンジェラはセシリアの体を見て言った。洋服はほとんど溶けており、肌色が大半を占めていた。一部は皮膚も溶けており、骨が露出している。

 レイチェルがセシリアの首に触れ、脈を確認する。

「まだ生きてるね。意識を失っているだけみたい。……そりゃこれだけぼろぼろになって意識があったら死にたくなるよね。というか、ショック死しちゃうんじゃない?」

 レイチェルは痛ましい姿に成り果てたセシリアに同情をよせるが、それを見据える彼女の瞳には羨望の淡い光が見えた。

「とりあえず応急処置をしましょうか。この状態で覚醒してはかわいそうですからね」

「りょーかい。んじゃ」

 レイチェルは手を出した。

「なんですか? その手は」

 アンジェラは首を傾げる。

「短剣貸して。血を出すために」

 レイチェルが袖をまくって日焼けしていない白い前腕を出した。そこは刃物によってつけられた痛々しい傷跡で埋め尽くされていた。

「お断りします。自分の特異体を使ってくださいよ。私の短剣をあなたの血で汚したくはないので」

 アンジェラは短剣を一本手に取り、手首の静脈に突き刺した。そして刺さったまま手前に引いて血管を裂いた。

「レイチェル、あなたも早くやってくださいよ」

 閻魔のほうがまだ怖くないと思わせるような形相で、アンジェラはレイチェルに渋々短剣を渡した。

「ありがと、アンジェラ」

 嬉々として短剣を受け取ったレイチェルは一切の迷いなく前腕に突き立てた。刃は動脈を損傷し、鮮血が噴き出した。

「どうして動脈に刺すんですか、あなたは。馬鹿なんですか? ええ、馬鹿でしょうね。あ、ちょっと私に血をかけないでくださいよ。汚いですから」

 二人は血液をセシリアの溶けた体の部位にかけた。すると見る見るうちに傷は治っていく。骨が見えていた部分も治癒し、元の皮膚の状態に戻った。

 同時に二人の傷も治癒する。

「これにて任務終了ですね」

 アンジェラは小さく息を吐いてからセシリアに羽織っていたスーツを着せると、

「レイチェル、セシリアの足を持ってください。私一人で意識のない人間を運ぶのは大変ですから」

 と言ってセシリアの肩を持ち上げると、少女たちは地獄と化していたこの部屋を去っていった。

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