第26話 偽りの犯人 前編
意識が戻ったとき、僕は見知らぬ場所にいた。キャリーケースを持ち、小さなポシェットを斜めにかけて、大きなシンメトリーな洋館の門の前に立っていた。
僕はなぜかレースのあしらわれた可愛らしい白のワンピースを着ていた。常にズボンで過ごしている僕にとって、スカートは違和感しかない。内腿を風が通り抜けていく。
ここは温暖な気候で、潮風の匂いがした。
「一体どこなんだ、ここは……」
辺りには誰もいない。
僕はここに来る前のことを思い出す。──イェソドにナイフを振り下ろそうとした。そうしたら意識がなくなったのだ。
「……だとしたらここはイェソドの異能の空間じゃないか!」
僕はとりあえず頬をつねってみた。
「……痛くない」
次に指を曲がってはならない方向に曲げてみた。
「……痛くない」
そして頭を地面に叩きつけてみた。
「……痛くない」
異能で作られたであろうこの空間に感覚はあれど、痛覚は存在しないようだ。
「とりあえずここから脱出しないと……」
僕がキャリーケースを引いてその場を去ろうとすると、突然門が開いた。そしてそこからモノクルを付けた初老の執事のような男性が現れた。
「セシリア様、お待ちしておりました。さあ、どうぞこちらへ」
落ち着き払った様子の執事は僕が持つキャリーケースを慣れた手つきで取り、屋敷へ入るよう促した。
訝しみながらも僕はついていった。
「あの、ここはどこですか?」
僕は正面玄関へと歩きながら訊ねると執事は、
「こちらは本土から遥か南にあります、主様の所有する島でございます」
と答えた。
「そうですか。ではなぜ僕がこんなところにいるんですか? 島を持っている友人なんていないんだが……」
僕が目を細めて怪訝そうに言うと、
「セシリア様、着きました」
と言って執事は重厚感のある洋館の扉をゆっくりと開けてから、
「主様は旧友とパーティーを行いたい、と申されましたので、誠に勝手ながら貴方の住所を調べ、手紙を出させていただきました」
と答えた。
「だーかーらー、僕の知り合いに島を持ってる人なんていないんだってば! 家に帰してよ! 僕はまだやらないといけないことがあるの!」
子供のように駄々をこねるが、執事は気にもしない。
「セシリア様、手紙は持っておられますか?」
「手紙? そんなものは知らないよ」
「そのポシェットに入っていたりはしませんか?」
執事に言われるがままに斜めにかけているポシェットの中を探ると、一通の手紙が出てきた。いかにも高級そうな厚手の封筒だ。宛名は[Cecilia Foster]、送り主は[Benjamin Davies]。
「誰だよ、これ」
僕は封筒の中身を取り出した。便箋には達筆な字で、定型句と日時、場所が記されていた。
三泊四日の旅ということは分かった。
「これ、お前が書いたのか?」
「左様でございます」
「字、とても綺麗だな」
僕とは大違いだった。僕の場合、いくら丁寧に書いたとしても汚いのだ。雑に書いたら自分でさえ読めなくなっている。
「ありがとうございます」
執事は会釈し、僕たちは館へと入っていった。
エントランスから圧巻だった。正面に階段、踊り場から両サイドに分かれて二階へ続いている。踊り場の高さから天井まで特大のステンドグラスになっており、日当たりが良いのも相まって輝いていた。床には踏むたびに沈むようなカーペットが全面に敷かれている。
僕たちは二階に上がった。そして長い廊下を進む。両側に扉がいくつも並んでおり、部屋数がとにかく多かった。
──掃除が大変そうだ。
執事が一つの扉の前で止まり、
「セシリア様、寝泊まりはこちらの部屋をお使いください」
と鍵がいくつもつけられたリングから慣れた手つきでこの部屋の鍵を取り、扉の鍵を開けた。
その部屋は一人で使うには広かった。家具はアンティーク調で統一されており、洒落ている。
執事がキャリーケースをベッド近くに置き、テーブルにこの部屋の鍵と館の見取り図を置くと、
「夕食は十八時頃に一階のパーティーホールにてご用意いたします。ではそれまでおくつろぎくださいませ」
と言って部屋を出ていった。
僕はベッドに寝転がり、天井を凝視する。
「……ここからどうやって帰ればいいんだ」
唸りながら思考するが、良い案は乾いたスポンジに含まれている微量の水分のように、表には出てこない。
「ああ、もう!」
日が落ち、外は黄昏時を迎えていた。空は紫に染まっていく。
イェソドの言葉を思い出した。
──精々、死なないように犯人を捜すことですね。
「犯人を捜す……それもこんな孤島の洋館で……殺人事件か! しかも死なないように……僕も殺害の対象になっている……」
幸いなことに僕は腕っ節には自信がある。ならばすることは一つ。
「僕が犯人を当ててみせよう!」
部屋の壁にかけられた時計を見る。──もうすぐ六時だ。
こうしてはいられない。僕はベッドから跳ね起き、キャリーケースを開けて有用そうな道具を探した。
中身は至って普通の旅行に必要なものしか入っていなかった。着替えが数着と歯ブラシ、ドライヤー、化粧品といった戦闘にはまるで役に立たないものだった。
「ナイフとか拳銃はないのかよ!」
僕は頭を抱える。何か使えそうなものは、と部屋を眺める。──が、やはり武器になりそうなものは何もなかった。
仕方がないので僕は何も持たずにパーティーホールに向かった。
パーティーホールには既に何人もの客人がいた。例外なくTPOをわきまえた格好をしている。彼らは細長いテーブルに並べられた椅子に腰掛けていた。
僕も適当なところに着席すると、ちょうど六時になったようで、メイドたちが料理を並べ始めた。
高級食材をふんだんに使用した料理の数々を堪能していると、メイドの一人が慌ててこの部屋に駆け込んだ。顔は青ざめている。
「──あの! 主様が……」
言葉が出てこないようで、身振り手振りが先行する。
他のメイドが駆けつけて事情を訊ねるや否やパニックが伝播した。それに気づいた初老の紳士の身なりをした客人の一人がメイドたちに話しかけた。
彼は医者のようで、こういった人間の相手は慣れているみたいだ。会話をしていくうちにメイドたちのパニックは嘘のように治った。
僕は食事をしながら何があったか聞き耳を立てる。すると聞こえてきたのは、ここの主人がまだこの会場に訪れないので様子を見に行ったら亡くなっていた、とのこと。
医者の客人がメイドとともに死体のあった現場に向かう、と聞いた僕は食事に使っていたナイフを持ち、それを追いかけた。
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