第27話 偽りの犯人 後編
医者が主人──ベンジャミン・デイヴィスの体を診る。体から温度は既になくなっていた。頸動脈を切られており、天井まで赤い花を咲かせていた。
「残念ですが……」
酸鼻をきわめて言った。周囲の人間は次の言葉は言わずもがな理解している。
僕は足音を立てずに一番近くにおり、他の人間の視界に入っていないメイドの首に腕をかけた。そして一気に絞めあげる。気道を塞ぎ、殺すつもりで実行した。
声を上げることもなくメイドは静かに息絶えた。
「主様のご遺体はどうすればいいのでしょうか?」
メイドの一人が口を開く。
医者が振り返り、メイドの質問に答えようとすると、僕と目が合った。ナイフを片手に遺体を腕にもたれかけさせている異常な人間を前に、医者は目が見開いた。
同時に医者にナイフを投げつけた。刃は一直線に首に飛んでいき、頸動脈を切りつけた。医者は呆然としており、それを避けることはしなかった。
続けて僕はもう一人のメイドの首を絞め殺した。
一瞬の出来事だった。さっきまで死体は一つ、人間は四人いたのに、今では死体が四つ、人間は一人になっているのだから。
「鏖殺してやる。僕以外、一人残らず生かしはしない」
それからは簡単だった。敷地内にあるキュービクルを破壊し、この建物の電気系統を無力化した。キッチンに行き、シェフを殺して包丁を奪ってから、停電したパーティーホールに音もなく忍び寄り、片っ端から頸動脈を描き切っていった。
そして館を駆け、一人残らず等しく死を与えていく。
まるで僕が死神にでもなったかのようで非常に痛快だった。
気がついたら辺りは真っ暗になっていた。夜空に浮かぶ不気味に光る赤い満月が僕を照らす。異様な静寂が僕を恐れるかのように周りを漂った。
白いワンピースは返り血で赤色の花柄のものになっている。
包丁を握る手の力が抜けて手から滑り落ちた。包丁は柔らかいカーペットに音もなく転がった。
僕は大きなため息をついて、
「──僕が犯人だ!」
と叫んだ。
同時に視界が歪み、意識が朦朧としてきた。それに耐えられず僕はその場でうつ伏せで倒れた。
──意識が戻る。
手には祈りを込めた銀のナイフがある。すかさずそれを持つ手に力を入れて立ち上がった。こちらに背を向け、外を眺めているイェソドの首に刃を振り下ろした。しかしそれは当たらなかった。
イェソドはまるで僕の動きを見ていたかのように体を捻り、簡単に僕の攻撃を躱すと、みぞおちに蹴りを入れた。武道をやったことのない人間の動きだったが、吸血鬼の身体能力ではそれさえも脅威となった。
僕の体は宙を浮き、数メートル後方に吹っ飛んで壁に叩きつけられた。胃が圧迫され、中身が込み上げる。
それを押さえ込むと再び立ち上がり、イェソドを見据えた。ナイフを握る手に力が込められる。
イェソドは顔に僅かな焦燥の色を見せ、
「なんで……貴方は戻ってこられたのですか……?」
と声を震わせながら言った。
「そりゃお前が犯人を捜せって言ったからだよ」
そう馬鹿にしたように吐き捨てると、
「……僕の異能の世界から帰ってくるだなんて……僕の小説は完璧だった! なのになぜだ! なぜ貴方ごときが帰ってこられた?」
と今度は声を荒げた。
「感情が忙しいヤツだなぁ、お前は」
僕がやれやれと言わんばかりにジェスチャーすると、イェソドは頭を抱えて叫んだ。初対面のときの冷静の権化のような印象とかけ離れている。
「どうやって小説の犯人を見つけ出した? 僕のトリックは完璧だった! 絶対に見つからないはず──なのにどうして分かったんだ! 現にそこで寝てるヤツらは総じて小説の世界で殺されている! なのにどうして──」
イェソドは目を見開いて顔を引っ掻いた。傷ついた皮膚から血が流れ出す。
「そりゃ僕が犯人だからだよ。鏖殺して回ったからな。僕以外の登場人物が死んだら、僕が犯人ってことになるだろ?」
そう言ってニヒルな笑みを浮かべると、イェソドは悔しそうにこちらを睨みつけた。その瞬間、イェソドの体を強大な殺気が包み込んだ。
「僕の小説は完璧だ! 皆に認められた! なのに貴方はそれを妨害した! ……許さない。許さない許さない許さない許さない許さない──」
声がだんだん小さくなっていき、聞こえなくなったかと思えば、
「──ぶっ殺す!」
と叫んで僕との間合いを一瞬で詰めた。同時に回し蹴りが僕の脇腹を捕らえる。骨が折れる音が聞こえた。その痛みを感じる前に、間髪入れずに追撃の蹴りが顔面に入った。
口内を切り、血液が混じった唾液を吐き出した。
よろめきながら立ち上がり、
「おいおい、せっかく異能があるんだし、もう一回僕を小説の世界に閉じ込めてみたらどうだ? まあ、攻略法は分かっているから、すぐに出てこられるけどな!」
と煽るとイェソドは忌々しそうに舌打ちし、再度間合いを詰めて蹴りを放った。僕も来るのが分かっていたのでナイフで応戦する。
刃がイェソドの靴の先を薄く切った。
「なんだ、一度発動したらインターバルが必要なのか? だとしたらまるで役に立たない異能だな。セフィラってのも大したことない、所詮はこの程度か」
そう嘲ると、イェソドは青筋を立てて飛びかかった。
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