第14話 下層の苦難

 扉を開けるとそこは黒い庭がありました。そして前方にはとてつもなく大きなシンメトリーの洋館が建っている。地面は灰色のレンガが敷き詰められており、植物の色は奪われて無彩色になっている。まるで生命が感じられないこの空間を私たちはこう呼びます。


 ──罪の館。


 鳥に脚を切断された。だがこの程度は日常茶飯事で、本来なら十秒もあれば完全に再生できるはずだった。しかし切られたのが特異体によるものなのでそれができず、分が悪かったのでとっさに近くの扉を開けてこの館に逃げ帰ったのだ。

 太ももから切断された脚がようやく膝まで生えてきた。

 エコー部隊一人と鳥一羽から逃げた──これを知られたらレオン様はもちろん、ケテル様にも怒られてしまう。もちろんそれだけならまだいい方だ。最悪の場合──。

 頬に嫌な汗が伝う。

 その瞬間、私の体の力が抜け、末端から黒い霧となって消えて行く。

「……呼び出しか」

 私は館の王座の間に転送された。太い柱がいくつも立ち並び、天井からは豪勢なシャンデリアがいくつも吊るされ、床にはさぞ高級そうなカーペットが敷いてある。

 切られた足も元通りに再生されたので片膝をついてレオンを待つ。すると順に仲間のセフィラが転送されてきた。

 私の前方にバイオレットでキノコみたいな頭のイェソドがいる。その左斜め前にマリーゴールドの髪に、そこそこ体格の良いホド。右斜め前にエメラルドグリーンの長い髪を一つにまとめ、露出の多い格好をしたネツァクだ。

 中層、上層はいつになっても転送されてこない。どうやら下層のセフィラだけが集められたようだ。

 しばらくすると前方の数段上がったところにある椅子に黒い霧が集まり、人型に形成していく。

 そしてレオンが脚を組んだ状態で現れた。

 彼は純白の髪に陶器のように白い肌を持ち、瞳は鮮血を彷彿とさせるような赤色に染まっている。そして清潔感のある白のシャツに黒のネクタイを締めている。その上に漆黒のロングコートを羽織り、ワインレッドのマフラーを外側にかけている。

 赤く光る双眸が私を見据える。

「さて、君たち下層セフィラに集まってもらったのは当然理由がある。さあ、マルクト、君が一体何をしたか言ってごらん」

 冷淡な声で私の心臓を握るように返答を促した。

「……私は逃げました」

 レオンは私の思考を抉るように睨む。

「そのようだね。それで君は何から逃げたんだい?」

 すべて知っている、という口ぶりで私に失敗を吐かせる。

 この行為に一体なんの意味があるのだろうか。なぜならレオンは私の心を読むことができ、その上視覚や聴覚の情報を一方的に得られるのだから。

 そう考えた瞬間、地面から黒い棘が無数に出てきた。それらが私の体を貫通し、宙に浮かせた。

「──痛い、痛い!」

 全身に激痛が走り、鮮血が溢れ出す。そして床に敷いてあるカーペットに垂れて染みを作った。

 棘はご丁寧に急所を外しており、死なないようにしている。

 私たち吸血鬼はいくら致命傷を負っても、特定の手段を使われない限りはすぐに治ってしまう。だが、これは違う。レオンの体を支配するこの黒い血液──希望──で体を損傷すると、特異体と同様になかなか治らないのだ。

「この行為には歴とした意味があるのだよ。マルクト、君がそれを必要かどうかを決めるんじゃない」

 冷酷に言葉を並べる。

 同時に棘が抜かれる。受け身を取れずに無様に床にうつ伏せで転がった。痛みにのたうち回っていると、レオンがこの光景に冷笑しているのが見えた。

「これが君でなかったら、即座に頭を粉々にしていたところだ。……ケテルに感謝しなよ」

 ケテル──私を吸血鬼にした上層セフィラだ。吸血鬼化は本来、レオンにしかできない行為のはずだが、彼はそれをやってのけた。

「……申し訳ないです」

 ──ケテル様に捨てられてしまう。

 それは死よりも恐ろしい。

「君には失望したよ」

 レオンが指を一度鳴らす。

 すると同時に彼の側にロウのように白い髪と肌の青年が片膝をついて現れた。瞳がダイヤモンドのように輝いており、左の目の下には[Keter]と書かれている。

「レオン様、お呼びでしょうか」

 ケテルの低い声が凍てつくような静寂な空間に響く。

「マルクトが重大な失敗をしたのだよ」

 レオンは私を虫けらを見るような目つきで凝視する。そして一切まばたきをしなければ、視線を動かすこともしない。

「……彼女が一体何をしたと言うのですか?」

 声が震えている。

「それは彼女に聞きたまえよ」

 ケテルが片膝をついたままこちらを睨み、

「マルクト! 貴様は何をした! 今度は一体、何をしでかしたんだ! レオン様に迷惑をかけるなとあれほど忠告したではないか!」

 と声を荒げて詰問する。

「……私は……レジスタンス一人と特異体の鳥一羽と会敵して……逃亡しました……」

 涙が溢れてくる。

 ──嫌だ。ケテル様、私を捨てないでください。

「貴様はなぜ逃亡したんだ?」

 ケテルの輝く瞳に陰りが見えた。

「……私では……あの特異体に勝てないと思ったからです」

 レジスタンス──ましてやエコーなど本腰を入れて対処をすれば勝つことは容易にだろう。だが、あの特異体はどうだろうか。私の攻撃がまるで効かない上に、一撃が重すぎる。

「ではなぜレジスタンスの方だけでも殺さなかったのだ?」

 額の筋を怒張させながらも冷静さを取り戻したようで、声色はいつも通りのものに戻る。

 そこへレオンが、

「どうやらそのレジスタンスもエコーが一人のようで、アルファやホロコーストではないみたいだね」

 と余計なことを言い、くつくつと笑う。

「……特異体に手間取って……殺し損ねました」

 それを聞いたケテルが肩を震わせる。

「いくら特異体に手間取ったとはいえ、エコーなど我々セフィラの脅威にはなり得ないだろう。なのになぜだ? なぜ貴様は殺せなかった?」

 ケテルは怯えている。まるで次に起きる最悪なことを理解してしまったかのように。

「申し訳ないです……ケテ──」

 私の言葉を遮ってケテルが再び声を荒げた。

「私ではなくレオン様に謝罪せよ!」

「レオン様……申し訳ない……です……」

 レオンが頬をポリポリと掻き、

「もういいよ。私は謝罪を求めているわけではないのでね」

 と口を開いた。続けて、

「マルクトは君のものだから、私が手を下すのは少々気が引けるのでね。だからケテル、君が罰を与えたまえ」

 と命令した。

 空間に静寂が訪れる。

 一呼吸置いて、ケテルが答える。

「……御意」


 ケテルがそっと立ち上がり、哀れむように私を見た。そして震える手をゆっくりとこちらに向ける。

 ──終わりだ。

 目が合う。互いの瞳に悲しみが映る。

 ──いつの日かケテル様は私を助けてくださった。

 ──そんな救世主に殺されるというのはなんとも酷い結末だ。

 次はもっといい関係でケテルと出会えるように祈り、ゆっくりと目を閉じ、生の幕を下ろしていく。

 しかしその幕はいつになっても下ろされなかった。当然、私の体に変化は起きない。その代わりに自分がいるところの隣にクレーターができていることに気がついた。

 恐る恐る視線をケテルの方に向ける。

「……レオン……様……申し訳……ない……です。……私……には……マルクトを……殺せ……ない。……どうやら……私は……あなたに……反抗して……しまい……ます……」

 膝から崩れ落ちた。輝く美しい瞳からは光が失われ、虚ろになってしまい、生気が感じられない。

「……どうか……彼女……の……代わり……に……私を……殺して……ください……私を……罰して……ください……」

 涙をこぼす。

「なぜ君は私に指図するんだ? 私には理解ができない。君は私の眷属で、それ以上でもそれ以下でもないのだよ。……だが、頼みなら話は別だ」

 レオンは椅子から立ち上がると、ケテルの頬に触れる。そして親指でそっと涙を拭った。

「しかし君をここで失ってしまうと、こちらの戦力が大幅に減少してしまうのでね。その頼みは聞いてあげられない」

「……どうか……彼女を……殺さないで……ください……」

 レオンは顎に手を当てて、考え込んだのち、名案と言わんばかりに顔をぱあっと明るくさせると代替案を話し始めた。

「では彼女の代わりに、君と他の下層セフィラに罰を与えよう。それならいいだろう? 誰も死なない方法で罰を与える。これこそもっとも平和な解決方法だ」

 善は急げとレオンが指を鳴らす。

 その瞬間、床から一斉に黒い棘が生えてきた。それらがケテル、ネツァク、ホド、イェソドの体を貫く。当然ながら私のときと同じように急所は避けている。

 私はイェソドから噴き出した血液をかぶる。

「ふざけんな……なんで……俺がマルクトの……尻拭いで罰を受けなきゃならねェんだ……」

 ホドが愚痴をこぼす。

 するとレオンがホドの足を遠くからはじき、膝から下が消し飛んだ。ちぎれた足が私の近くに転がる。

「あー……クッソ痛ェ……」

「にゃはは……レオン様に楯突くとロクなことないって……ホドはいつになったら学ぶのさ」

 そう言ってネツァクが笑う。当然、体からは血液が溢れ出ているが、態度からは大して痛みは感じていないように見える。

「うるせェよ、ネツァク!」

「貴方たちも呑気なものですね。これをやらかしたのがケテルのお気に入りでよかったと思うべきですよ」

 宙に浮いたままやれやれとイェソドが口を開いた。

「これが僕たち捨て駒だったら、レオン様は弁解の余地なく即座に殺してしまうでしょうね」

 すると静かな空間に乾いた笑いが響いた。


「というわけで罰も与えたことですし、ケテルは帰っていいですよ」

 そう言ってレオンは指を鳴らした。同時にケテルの体が黒い霧となって消えていく。

 先ほどこの空間を地獄にした張本人とは思えないほど清々しい笑顔のレオンが私たちを見下ろす。

「さて、君たち下層セフィラを呼び出した理由を話すとしよう。今回、マルクトが敵前逃亡せざるを得なかった原因を排除してもらおうと思ったからだ」

 少しの間を置いて、目を細めて続ける。

「特異体の鳥と脚に火傷の跡がある痩躯の少女を殺せ。彼らは放っておいたら後々私たちの脅威になりかねない存在だ。故に早々にご退場いただかなければならないのだよ」

 と言い、喧嘩前のごろつきのように指の関節を鳴らした。

「少女はレジスタンスのエコー部隊に所属しているようだね。容姿は黒の短髪で太ももに大きな火傷の跡がある。そして左耳に赤色の小ぶりなピアスを付けている」

 人差し指で左の耳たぶを指差した。

「特異体の方は白い羽、腹部に赤色の模様があるみたいだ。……いずれにせよどちらも特徴的な外見だからすぐに分かるだろう」

 小さく息を吸い、

「私はこれ以上の失敗は許さない。彼らを確実に殺せ。できなければ君たちをもっとも惨たらしい方法で殺す」

 と言い切った。

「御意」

 下層セフィラの声が重なる。

「ではその景気付けに君たちに‘希望’を分けてあげよう」

 先ほどとは打って変わって陽気な声でレオンが手を変形させた。白い肌は黒く変色し、液体になったと思えば、触手のような気味の悪い動きをする。

 振り払うと先端が十センチメートルほどちぎれ、私たちの方に飛んできた。それが首に張り付いたかと思えば、蛆虫のような動きをして体内に入り込んでくる。

 それからが苦痛だった。希望は私の体を食い荒らす。細胞一つ一つが焼けるように熱く、死を羨望した。先ほどケテルに殺されていたほうが幾分かましと思えるほどだ。

 それでも私はこれを望む。ケテルのものとは異なるが、強化されることに違いはない。

 それぞれが床をのたうち回り、呻き声を上げて悶え苦しんでいる。そのような地獄絵図をレオンは恍惚とした表情で俯瞰している。

「これで君たちの肉体はより強靭なものとなった。これで彼らにこの世に生を賜ったことを後悔させたまえ」

 レオンがもう一度指を鳴らす。すると黒い霧とともに彼の隣に黒のアタッシュケース持った艶のある黒髪で小柄な二十代前半の人間が現れた。

 片膝をつき、

「レオン様、こちらをどうぞ」

 と言ってアタッシュケースを開いて中身を見せた。そこには血液製剤が二つ入っている。

 レオンは片方を手に取り、

「ここに先程より多くの希望が入ったパックを二つ用意した。これを良い働きをした者に与えようと思っているのだよ」

 と見せ、私たちの欲求を刺激して扇動する。

「私を失望させないでくれ」

 レオンの声はこれが最後だった。


 ──解散。


 

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