第11話 初任務 後編

 祭りもようやく最終日を迎えた。幸いなことに怪我はしていない。ただ、この任務が終わると、地獄の始末書祭りがシェリルによって開催されることが確定している。

 僕は落胆する。一応経緯の説明をしたのだが、シェリルにごちゃごちゃうるさいと一蹴されてしまった。

「……僕はアルハラの被害者なのに」

 飲まされた翌日は当然ながら二日酔いに悩まされた。割れるように痛む頭を押さえながらその日の任務を遂行したのだ。

 だがこれで一旦、命の危険がある任務は終わる。最後まで気を抜かずに行こう。

 そう肝に銘ずると、僕は裏通りを歩いていく。相変わらず表通りは雑踏していて、人に絡まれたくない僕はそこを避けた。

 薄暗い街灯で照らされる夜道を向こうから小さな女の子が前方から走ってきた。かわいらしい顔は涙で汚れてしまっている。

 違和感を感じた。わずかだが幼女から嫌な血の臭いがする。

「どうしたんだ」

 幼女が僕に抱きつく。

 頭を撫でて、

「小さな子供がこんな夜中に出ちゃダメじゃないか。お家はどこなんだ? お家までお姉ちゃんが連れていってあげるから一緒に帰ろう」

 と慰めた。

 大方この幼女は親に怒られて自分から逃げたのか、放り出されたのだろう。僕も昔はよくやられたものだ。

「……おかあ……さん……」

 泣きじゃくりながら話す。

「お母さんがどうしたんだ? 怒られたんならお姉ちゃんも一緒に謝ってあげるから、もう泣くな」

 自分で言うのもなんだが、妹の面倒を見てきたお陰か、僕は子供の扱いはそこそこ得意だ。

「……ちが……う……の……おかあさん……しんじゃ……った……」

「死んじゃったって、どうして?」

「……とびら……あいて……あかいめのおばけが……はいってきて……それで……それで……」

 死んだ──吸血鬼ということか。どうやらこの子から漂ってくる血の臭いは母親のもののようだ。

「わかった。よく話してくれたね、良い子だ」

 抱きしめて頭を撫でてあげると幼女は落ち着いたようだ。

「もう大丈夫。お姉ちゃんがそのおばけを倒してあげよう」

「……ほんとう?」

「もちろんだ。これでもお姉ちゃんはとっても強いんだよ」

 僕は背中のクレイモアを抜き、幼女に見せた。

「だから心配しないで。君はそこの木箱の裏に隠れているんだ。僕がいいって言うまで出てきてはいけないよ」

 幼女を抱き上げると通りに雑に積んである木箱の裏に座らせた。

 僕は幼女と小指を絡め、約束した。


 血の臭いを辿る。幼女と会った場所から三十メートルほど離れたところにある建物で嫌な臭いを嗅いだ。

 色々な人間の死臭が僕の鼻腔を通る。

 思わず顔をしかめた。

 建物は店舗兼住宅のようで、一階の部分はお洒落なカフェになっている。だが今は営業時間外のようで明かりは付いておらず、静寂な空間だった。

 キッチンの部分で無残な姿になった女性が倒れていることを除いては、至って普通の光景だ。

 二階に行くと、一階とは打って変わってなにかが砕ける音、液体をすする音、クチャクチャという不快な咀嚼音で満たされていた。

「……これはひどいな」

 辺りは血まみれになっていた。肉がまばらに付いている手足がいたるところに落ちている。ちぎられた腸と思われる臓器が階段の転落防止の柵にかかっている。

 もっとも僕の精神に苦痛を与えたのは、ヴィオラと同じくらいの女の子の頭部かかち割られ、眼球が抉られていたことだった。

 吐き気が込み上げる。

 こんなのあんまりじゃないか。

 クレイモアを握る手に自然と力が入る。

 いくつかある扉のうち、向こうから音のする扉を選び、全力で蹴破った。蝶番が破損し、扉はまっすぐ前方へと倒れていった。

 中で少年の体を食べている吸血鬼と目が合う。既にその小さな体のほとんどを胃に収めているようだ。

 僕はもともとヴィオラ以外の人間に興味はなかった。だが、

「──この子供がなにかしたのだろうか。こうやって惨たらしく殺されるような罪を犯したのか?」

 と言わざるを得なかった。あまりにもかわいそうに思えて仕方がない。

 すると赤色の髪を低い位置で結んでいる青年の吸血鬼は食べるのをやめて立ち上がり、こちらを睨みつけて口を開く。

「……僕ら吸血鬼ってのはさ、飢えと渇きを満たすためにこうして人間を食べてるの。その人がなにかしたとかそんなことは関係ない。罪があろうがなかろうが変わらない。欲求を満たせればそれでいいんだ」

 吸血鬼はゆっくりと右手の人差し指を僕に向け、

「ここにいたはずの子供が一人逃げていったんだけど、知らない?」

 と訊ねる。

「……知らないな」

 あの幼女のことだろう。

「君からとってもその臭いがするんだけど、知らない? なんとしても食べたいんだけど。君は知らないかもしれないが、幼い女の子は美味しいんだよ。特に子宮とか。穢れてなくて、嫌な臭いがしないんだ」

 恍惚とした表情で左手の親指を噛む。じわりと血が滲む。

「……ロリコンかよ、お前相当気持ち悪いな」

 すると、僕の横の壁に穴が空いた。

「次は当てるよ」

 吸血鬼が苛立ちながら人差し指を僕の頭に向ける。

 ──こいつは異能力を持っている。

 異能力はその名の通り特殊な能力のことだ。黒血を多量に摂取するか、多くの人間を食べることにより発現すると言われている。入隊試験で戦ったあの幼女も異能力を持っていた。

 おそらくこいつは後者の方だろう。

 僕一人で対処しきれるかいささか不安ではあるが、やるしかない。数日前の汚名返上といこう。

 僕はクレイモアを握り、飛びかかった。頭蓋骨を割るつもりで上から振り下ろす。

「君は突っ込むことしか脳がないのか」

 呆れながら腹部を狙って撃った。

 体を捻り、間一髪のところで避ける。

 床を転がって体勢を整えて間合いをすぐに詰める。距離を置くと、一方的に撃たれかねないため、否が応でも接近しなければならない。

 異能力を持つ吸血鬼の硬さは前に学んでいる。だから僕は体勢を低くしつつ、回転して斜め上から頸部を狙い、体重を乗せた刃を振り下ろした。

 吸血鬼はそれを軽やかに躱し、僕と距離を取る。

 遠くなればなるほど不利だ。

 床に刺さったクレイモアを引き抜き、接近しようとすぐに足を前に出すと、足が着地する場所を狙って撃ってきた。タップダンスをするようにそれらを全部避けると、床に無数の穴が空いた。

「ちょこまかと動かないでよ。臓器に傷つけずに殺せないじゃないか。せっかく苦痛のない方法で殺してあげようと思っているのに」

 転がってる人だったものに一瞬視線を落とした後に僕を見据え、

「君もこうなるんだ」

 と言って僕の足を指差し、撃った。

 足を撃たれては堪らないのでとっさにそれを跳んで避けたところを偏差射撃された。先ほどと同じように体を捻るが避け切れずに当たる。

 脇腹から鮮血が飛び散り、辺りに花を咲かせる。

 地面に落ちた僕は傷を押さえて後退する。壁に当たり、これ以上は逃げられない。両開きの窓があるが、背を向けてそこから脱出するのは現実的ではない。背後から撃たれて殺されるのが落ちだ。

 退路はない。

 体が脈打つたびに傷口から出血し、床に血だまりを作るが、それでも立ち上がる。自分には目的がある。

 ──ここで負けてたまるか。

 意識はしっかりしており、視界も鮮明だ。

 ──これなら戦える。

 意思とは反対に体は悲鳴をあげる。それでも僕の脳は筋肉に指示を出す。動け、相手の首を斬り落とせ。

 地を這うように床を蹴って接近する。

「学ばない子供だ」

 侮蔑した態度でそう言うと、僕の背中を狙い撃つ。その瞬間に吸血鬼から噴き出る殺気を感じ取った。

 僕はすぐに床を蹴って横に転がってそれを回避し、背後に回り込んだ。

 体を横に回転させ、刃に力を乗せて再度首を狙う。

 吸血鬼は一歩も動かない。

 ──これなら当たる。

 首を薙ぎ払う。だが、刃は首を切断できなかった。

 一拍置いて、部屋の隅に折られた刃が突き刺さる。

 力が抜けた僕の手から先端が欠けて短くなったクレイモアが滑り落ち、床に音を立てて転がる。

 呆然とする僕を嘲笑う。

「痛いんだけど」

 人差し指が額に向けられる。

 撃たれるタイミングを見計らい、横に飛んでそれを回避する。だがそれは読まれていた。

 浮いた僕の胴体に蹴りを入れた。

「なにも僕が使えるのは異能だけじゃないから。君程度のレジスタンス、素手で十分だったね」

 吹っ飛んで窓を割り、外へと放り出される。

 受け身を取れないまま背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が絞り出される。反動で後頭部も打ち付けた。

 痛む後頭部を触れるとなにか生暖かいものを感じた。それは月明かりでテラテラと赤く輝く。

 脇腹からの出血も止まらず、新たな血だまりを作っていく。

 放り出された窓から吸血鬼が顔を出し、人差し指を向ける。

 ──逃げられない。

 僕は素早くポーチから紐を取り出して首に巻きつけた。それで頸動脈を絞める。僕の視界が暗くなる。

 撃つ。

 暗闇で並行して存在する未来を見る。

 ──頭に当たって即死。

 ──頸動脈に当たって死亡。

 ──心臓に当たって死亡。

 ──目に当たって瀕死。

 ──肺に当たって瀕死。

 ──腹部に当たって瀕死。

 ──下腹部に当たって瀕死。

 ──腕に当たって切断。

 ──脚に当たって切断。

 ──かすめて皮膚が裂ける。

 ──当たらない。


 ──僕は選ぶ。


 何度も撃たれたが、一発として僕を捕らえることはなかった。

 頭を打ったせいか、首を絞めすぎたせいで意識はなくなりつつある。視界が端から黒く染まっていく。

 痺れを切らして吸血鬼は窓から飛び降り、僕めがけて飛んできた。

 繰り返し未来を選んでいたせいで精神は疲弊してしまった。これ以上は回避する未来を選べない。

 ──避けられない。

 その瞬間、吸血鬼の上半身がなくなった。下半身の切断面から溢れ出る暖かい血液を全身に浴びる。

 鮮やかな赤色の怪物が吸血鬼の上半身を食いちぎった。


 ここで僕の意識は途切れた。

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