第10話 初任務 中編
初日、二日目は吸血鬼と会敵することなく過ごせた。何事もなかったとは言えないが、とりあえずは無事だ。
真夜中でも辺りは騒がしく、通りを歩いていると酔っ払いには絡まれるし、路地裏からは違法薬物の臭いが漂ってくる。
しかしこの程度、屁でもない。昔住んでいたスラム街はこれを五十倍ぐらいに濃縮したような世界だったからだ。
「我ながらよくもあんな頭のおかしい地区に住んでいられたものだ……」
頭痛がする。ヴィオラを助けたらもっと良いところに住むことにしよう。レジスタンスからかなりの額の給与も支払われることだし。
進んでいくと酒類の販売をしている露店があり、そこで飲んでいる客と目が合った。瞬間、嫌な予感が全身を包んだ。
「今年の新人ちゃんじゃないか」
特異体の装備を身につけた、僕より少し上の女性だ。腕章を付けていないのでホロコースト所属なのだろう。
「任務ご苦労であった」
顔は少し赤い程度で、そこまで飲んでいるようには見えない。だが横に積んである空になった瓶やグラスを見て僕の背筋が凍る。
彼女は僕に有無も言わさず露店の椅子に座らせた。すると頼んでもいない酒が出てくる。
「アタシの奢りだ。景気良く一気に飲んじゃえよ」
酒臭い息がかかる。この人が僕より上の人間でなければ一切の迷いなくクレイモアを振り下ろせたのに。
ここで問題が発生する。僕はアルコールをほとんど受け付けない体質なのだ。それにこの国の未成年者の飲酒を取り締まる法律では十八歳以上となっている。
「いや……せっかくいただいたのに申し訳ないのですが、僕はまだ十六歳なんです。なので飲めないんですよ」
至極真っ当な理由で拒否しよう。法律でそうやって規制されているなら仕方がないよな。
「いいじゃないか、今日は祭りなんだ。そんな法律がどうのって言っていちゃ面白くないだろう?」
これが世間で言われるアルコールハラスメントというものなのか。それをこのようなところで体験するのはいささか不愉快である。
周りの客がコールをして僕の退路を塞いでいく。
どのぐらいの度数かは分からないが、僕はそのグラスを手に取ると内容物を一気に飲み干した。
アルコールが口、喉、食道、胃という順で通っていく。するとそれらが焼けるように感じた。思わず咳き込む。体は熱を持ち、頭を揺さぶられるようで気分が悪い。
涙目になっている僕を尻目に女性は酒を流し込むように飲んでいる。
「可愛いなぁ、新人ちゃん。なでなでしてあげよう」
そう言って彼女は僕の頭を撫でた。
僕が解放されたのは捕まってから一時間ほど経ってからだった。覚束ない足取りで裏通りを歩く。
吐き気と動悸、めまいの症状が発現しており、力なく壁にもたれかかった。
すると嫌な臭いが僕の鼻を刺激する。──吸血鬼だ。
路地裏から悲鳴が聞こえた。
「……殺さないと」
僕はクレイモアに手をかける。
路地裏から満足げに出てきた吸血鬼と目が合う。容姿は茶色の短髪で、平均的な体格の青年だ。
僕の服を見るや否や、ただでさえ白い顔が青ざめていくのが見えた。
「レジスタンスかよ……」
そう呟いて落胆するが、僕の腕章を見て態度を一変させた。
「だがエコーなら俺でも勝てるぜ。まだ食い足りねぇんだ! 俺の血肉になりやがれ、嬢ちゃん!」
吸血鬼は壁を蹴って斜め上から拳を振り下ろす。僕はとっさに後ろに跳んでそれを回避した。
石畳に亀裂を入れて粉砕させた。破片が周囲に飛び散る。
衝撃で胃の内容物が込み上げる。思わず戻してしまいそうになったがぐっと抑えて、武器を取り出した。
剣先を向け、これを生み出した元凶を思い浮かべて無理やり殺気立たせる。
間髪入れずにこちらに跳んで間合いを詰める。
上段に拳が飛んできたと思えば、すぐに体勢を低くして足を掬うように回し蹴りをする。
試験で戦った吸血鬼よりも動きが素早く、インテリゲンツィアからの支給品で身体能力を高めても、回避するので精一杯だ。
吸血鬼は跳んで避けた僕の空いた腹部目掛けて渾身の一撃を叩き込んだ。宙にいる僕は回避できずにそれを食らう。
投げられたボールのように数メートル後方に飛ばされて地面に叩きつけられた挙句、二度跳ねて停止した。
みぞおちを殴られたせいで胃の内容物が押し出され、地面を汚す。
「やっぱエコーって弱いな。楽勝じゃないか」
体の痛みとアルコール摂取による症状でうつ伏せのまま動けない僕の頭部に拳を振り下ろす。
僕の体が生死の境目にいるわけではないので、起死回生の映像も見えやしない。回避は不可能だ。
クレイモアを握る手から力が抜け、それは地面に音を立てて落ちた。
──ここで終わるのか。
不本意な結果に苦渋して死を覚悟したその瞬間──吸血鬼の首が斬られ、頭が宙を舞った。
直径二センチメートルほどの蔦が巻きついた特異体のロングソードが月明かりに照らされて輝く。レジスタンスの制服を身につけ、腕章には[Alpha]の文字。
「任務中に飲酒。それも未成年とは趣味がいい。このことは上に報告させてもらう」
そう言ってカトリーナはぐったりしている僕を一瞥すると、助けることなく去っていった。
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