第9話 初任務 前編

 部屋に日が差し込む。

 レジスタンスに入隊して一人部屋を与えられたのだ。夢見心地でそれを満喫している僕を現実に引き戻したのは、何者かが部屋の扉を殴りつけるように叩いたからだ。

「ねえ、セシリア起きて!」

 もう少し寝ていたい。昨日はレオンに殺されかけたり、手首をへし折られたり、色々あったのだから。

「セシリア? 起きているんでしょ? そろそろ出ないと任務の持ち場の集合時間に間に合わないよ」

 大きなため息をついて僕は枕元の目覚まし時計を見る。背筋が凍りついた。集合時間は三十分後だ。一方、ここから僕の持ち場まで歩いて一時間はかかる。だが、全力疾走すればギリギリ間に合うだろう。

 ベッドから飛び起きて一瞬で制服に着替えた。顔も洗わず、食事も摂らずにクレイモアを背負って部屋の扉を開けた。

 鈍い音とともに扉の前に立っていた小さなヴェロニカが吹っ飛んだ。

「ああすまない、ヴェロニカ。モニカも起こしてくれてありがとう。じゃあ僕は急ぐから、またな」

 そう言って廊下を駆けていく。


 街の大通りに出たが、祭り当日ともあって人で溢れかえっていた。とてもではないがこれでは全力で走り続けても難しいだろう。タクシーを使うにも金がないのでできない。

 僕は近くの建物の屋上に行き、目的地の方角へと走り出した。隙間を走り幅跳びの要領で跳び越える。

 心臓がはち切れそうだ。空腹を感じ、筋肉に乳酸が溜まるのも相まって足が重く感じられた。

 任務はこれからだというのに、始まる前から疲労困憊してしまうとは情けない。

 腕時計で時刻を確認──あと二分。

 目的地はそこの裏通りだ。

 僕は跳んで建物の側面を蹴って下りていく。華麗な着地を決めると、なにやら視線を感じた。

 四人の自分と同じくらいの少女に白い目で見られている。

「……あの、どうも、はじめまして。エコー部隊所属のセシリアです。よろしく……お願い……します……」

 少女たちは道端の吐瀉物でも見るような目で僕を見ている。

 腕時計を確認する──集合時間ちょうどだ。

 短いオリーブ色の髪に濁った瞳の少女が口を開く。

「五分前集合が絶対。はじめまして、セシリア。私はアルファ部隊所属のカトリーナ・ミッチェル。これからよろしく」

 そうぶっきらぼうに言って手を差し出した少女の腕に付けられた腕章は青色で、[Alpha]と書かれている。これはホロコーストの一つ下の階級だ。大半の隊員がここに辿り着く前に殉職してしまう。

 カトリーナは地図を皆が見えるよに広げた。

「では今回の任務の順序を確認する。我々はこの区画が持ち場だ」

 地図の一画を指差し、くるくると囲うように動かす。範囲は直径三キロメートルほどだ。

 言葉を強くして続ける。

「上からは市民を守れとかいう反吐が出そうなことを言われたが、そんなものはどうでもいい。市民なんて関係ない。吸血鬼と会敵した場合は各自、死ぬ気で対処せよ。最悪、死んでもいいから吸血鬼を殺せ。あいつらを道連れにしてやれ」

 以上、と付け加えてカトリーナは地図を片付けて表通りへと歩いていった。背中には特異体の武器が下げられている。

「……今日は少し機嫌が悪いけど、基本的にカトリーナはいつもああだから。こうやって毎年、新人隊員に圧力をかけるのよ。ちなみに私はデルタ部隊所属のカレン。よろしく」

 そうため息混じりに言ったのは、[Delta]と書かれた白い腕章の金髪碧眼の少女だ。モニカと同じ型のサーベルを付けている。

「そうなんですか。一つ訊きたいんですが、あなたたちはどういった繋がりですか? 階級も違うようですし……」

 青色のアルファ部隊のカトリーナ、白色のデルタ部隊のカレン、他は赤色のブラボー部隊、黄色のチャーリー部隊だ。

「レジスタンスの隊長がこの恒例行事の配置を決めているらしいよ。こーんな感じっていう風にね。でもみんなが一年を無事に過ごせたら、来年もこのメンバー編成でこの任務が来ると思う」

 隊長──会ったことのない人物だ。一体どのような人なのだろうか。きっとこの組織の長を務めるのだ、変人に決まっているだろう。

「あとここに配置されたのは運がいいね」

 カレンがサムズアップして言った。

「どうしてですか?」

「だってここのトップがカトリーナだから。ホロコーストのポストが空いたらそこに入ること間違いなしっていうぐらい功績をあげているんだよ。それだけ強い人が同じ配置ってとっても心強いと思わない?」

 と饒舌に語る。

 僕はカトリーナがホロコーストに行ってしまったら、この配置は惨状になるのではないだろうか、という言葉をぐっと呑み込んだ。

「じゃあ、各自頑張ろうね」

 そう言って僕たちは解散した。


 表通りを歩く。色々な食べ物の露店が並んでおり、良い匂いが僕を誘う。空っぽのお腹が大きな音を発した。

「……任務中だが、腹が減っては戦はできぬって言うし、とりあえず何か食べるとするか」

 すると一つ先の裏通りから聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。僕はクレイモアに手をかける。

 音のする方へ行くと、昨日も見た光景がそこにあった。朱色の模様のある白い鳥が子供たちに木の枝でつつかれている。

 僕は昨日の恨みを晴らしてやろうとクレイモアを抜き取り、鳥に向けた。

 少しの殺気を出してみせると、それに気づいた子供たちの顔から血の気が引いた。そして散り散りばらばらに逃げていく。

 別に虐めていた子供はどうでもいい。僕の目的はそこの鳥だ。僕の鶏肉の大半を食べた罪深き鳥だ。

「また会ったな」

 プルプルと小刻みに震えている鳥に声をかける。

「今からお前を解体する。水に沈めてから羽を一本一本丁寧に毟り取ってから丸焼きにして食べる」

 クレイモアの剣先で傷つけないようにつついた。

「ひどいなぁ……食べちゃうの? 多分美味しくないよ?」

 そう言う鳥はもちもちしていて可食部が多そうだ。

「僕は昨日、お前のせいで鶏肉が食べられなかった。しかし、今お前を食べれば、昨日の鶏肉も食べたことになるだろう」

「やだ。食べちゃやだ。食べちゃうと良いことないよ。食べちゃうとインテリゲンツィアに収容されちゃうよ」

 ──この鳥はインテリゲンツィアを知っている。

「どうしてだ? それにインテリゲンツィアをどうして知っている? お前は何者なんだ?」

「……だって……ぼくは特異体っていうやつ」

「だろうな」

 食い気味に肯定する。

 人の言葉を話す鳥なんて聞いたことがない。そのような常軌を逸した存在こそが特異体というものだ。

「インテリゲンツィアは……ぼくのお友だちが捕まっちゃったから知ってる。今いっぱい苦しんでる」

 沈痛な声色で話す。

「そうか。そりゃかわいそうだな。それでどうしてお前を食べると僕が収容されるんだ?」

 鳥の頬を剣先でつつく。

「知らないの?」

 言い方がいちいち癪に触る。

「知らないな。お前は特異体かもしれないが、ただの鳥だ。だから僕に美味しくいただかれろ」

 やれやれと言わんばかりに羽をバタバタと羽ばたかせた。そして自慢げに言う。

「特異体を食べると特異体になるんだよ」

「そうなのか?」

 知らなかった。

「まあ嘘だけど」

 対吸血鬼用である武器としては不本意だろうが、初めてはやはりこいつを叩き斬るのに使おう。

「まあでも、厳密には食べて同化しちゃった場合かな」

「……同化?」

「そう、同化。きみたちの仲間でとっても強い人たちいるでしょ? 傷を一瞬で治したり、触ったら一瞬で死んだり、砂嵐でバラバラにしたり、地面から棘を生やしたりするの」

 昨日のことを思い出す。

「……ホロコーストのことか?」

「そう、それ。あの人たちってぼくたち特異体と同化してるんだよ。もう人間じゃないの」

「じゃああの人たちは同化しているのに収容されないのはどうして? 僕が同化したら収容されるんだろ?」

「……そりゃあの人たちは強いから。対吸血鬼のリーサルウェポンだもん。でもきみは違う」

「……悔しいが否定はしない」

「新人ですぐに殉職しちゃうと思われてるんだよ。だから危険な状態で残しておく理由はないの。インテリゲンツィアもできるだけ不穏な要素を減らすために収容するんだよ」

 続けて、

「それにぼくはとっても強いんだよ。きみなんかじゃ殺せない。だからぼくを食べようだなんてもう思わないでね」

 と言ってひょこひょこと去っていった。

 強いというのが本当なら子供につつかれるなよ。


 再び表通りを歩く。時刻は黄昏に差し掛かる。道行く人々の数は日中と変わらないどころか、増えているだろう。

 とりあえず鶏肉を食べ損ねた僕は近くの露店で食料を購入した。そしてそれを食べながら歩く。

 当然ながら、まだ異常が起きるような時間でもない。

 基本的に吸血鬼は日光を嫌う。どれだけの人間を食べたかにもよるが、日の元に晒せば持って五分と言われている。その頃には動けなくなり、一方的に殺すことができる。そして十分も経てば体は蒸発していき、灰も残さず消えていく。

 だが、それにも対抗手段があり、全身を覆っていれば幾分かマシになるそうだ。だがそのような格好をしていたら、吸血鬼だと一目で分かる。

「なんか日光を照射できる懐中電灯とか生み出されないものかな。そうしたら雑魚は楽に処理できるのに」

 僕の独り言は喧騒で掻き消された。

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