第7話 平和なはずの昼下がり
新品の制服に身を包み、クレイモアを背負うと街へと繰り出した。時刻は午後一時。任務前の束の間の休息をとる。
石畳を歩く。
通りには様々な専門店が並び、ショーウィンドウで着飾ったマネキンが踊っている。
広場に出ると、明日からの祭りのための露店の準備をしているのか、いつもより人が多い。中央にある大きな噴水も派手に飾られている。水は太陽に照らされてキラキラと輝く。同時に細かな水滴が風に乗って体の熱を取っていく。それがとても心地がいい。
僕のお腹が鳴った。
既に開いている露店で昼食を購入する。こんがりと焼かれたパンに鶏肉を甘辛く味付けしたものと彩りの野菜が挟んであるものと、果実のシロップ漬けを炭酸で割った飲み物を注文する。
歩きながら食べていると、近くで鳥が弱々しく鳴いているが聞こえた。
気になったので通りから裏道に入ると、三人の子供が一羽の白い鳥を枝でつついて虐めていた。
「お前ら、なにしてんだ」
困っている人は助ける、と昔教えられた僕はその子供たちに声をかける。
「うわっ、やべ! 逃げるぞ」
僕に気づいた子供たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「虐めるなら自分より強いヤツを虐めろ、格好悪いぞ」
子供たちは聞いてはいない。
「大丈夫か?」
僕は虐められていた鳥の元に駆け寄り、体を見る。すると腹部から血が出ていた。抱きかかえて触ると、それは朱色の模様だということが分かった。他も見るが、どうやら軽くつつかれていただけで、怪我はしていないようだ。
つぶらな瞳が僕を見つめ、訴える。
──かわいい。
「……食べるか?」
昼食用に購入したパンの端をちぎって鳥の前に散らした。すると鳥はものすごい勢いでついばみ、すぐになくなってしまった。
鳥は僕を見つめる。
──かわいい。
「わかったよ、食べたいだけ食べな」
もう少しちぎって与えた。鳥は一心不乱にそれをついばむ。
それもすぐになくなり、再び僕を見つめてきた。──否、僕の持っているパンを凝視している。
「……お肉食べたい」
「そうかそうか、お肉が食べたいのか──って今喋った?」
「喋るよ。お肉食べたい。お肉ちょーだい」
鳥が足にひょこひょこと擦り寄ってきた。
──かわいい。
この鳥に肉を与えるという行為自体は別に構わない。だが、これは鶏肉だ。与えてしまっては共食いになってしまう。
僕は一応訊ねる。
「これは鶏肉だよ? いいのか? 共食いに──」
「いいの。お肉食べたいの」
そう言うので僕は挟んである鶏肉を小さくちぎると、突然鳥が跳ねて挟んである方の大きい鶏肉を咥える。それは地面にぼとりと落ちるや否や、夢中で食べ始めた。
「──は?」
それもすぐになくなり、こちらを見つめてきた。
「……美味しかった。ありがと」
鳥は満足したように僕に背中を向けてひょこひょこと去っていく。
僕の手にあるのは小さな鶏肉と野菜を挟んだパンだけだった。青筋を立て、背中にあるクレイモアに手をかける。
お前を水に沈めて羽を毟って解体して焼いて食ってやろうか。
気を取り直して街を散策する。
街を南下していくと、海が見える通りに出た。眼下に広がるのは一面透き通るような青。先ほどの鶏肉事件で憤怒していたのも忘れそうだ。
ちょうど港に海軍の船が到着した。少しして軍服を着た筋骨隆々な男たちが出てくる。途中、護衛されながら二人の品のある成人した男女が現れた。
女性はインディゴのアフタヌーンドレスに白の日傘をさし、男性はディレクターズスーツを着ている。視察の類いだろうか。
僕は視力がいい。数百メートル離れているが、その貴族のような男の顔を鮮明に視認した。
漆黒の髪をオールバックにし、丸い銀縁眼鏡をかけている。肌は髪とは対照的に純白で、瞳は濁ったワインレッド。彼は息を呑むような美丈夫である。口説かれたらどのような女性も落ちてしまうだろう。──僕以外はな。
背後から心臓を掴まれるこの感覚、間違いない。
武器庫から拝借した祈りを込めた銀の弾丸を私物の拳銃に装填する。有効射程には入っておらず、まず当たらない。だから僕は──紐で首を絞めた。
視界がチカチカする中、銃口をその男に向けた。
憎悪と殺意が湧き出る。
トリガーにかけた指に力を込める。
──発砲。
僕は暗闇でいくつかの映像を見ている。
──外れ。
──外れ。
──外れ。
──外れ。
──軍人の頭に当たる。死亡。
──軍人の胴体に当たる。重症。
──軍人の脚に当たる。軽傷。
「……見えない」
男性──レオンに当たる映像が存在しない。当てるつもりはないが、女性に当たる映像も見えない。
諦めて誰にも当たらない映像の糸を選んだ。
着弾した。地面のコンクリートが少し砕ける。
女性が悲鳴をあげた。それを庇うレオンがこちらを睨むと同時に、僕の前に血のように赤い棘が突き出した。ちょうど僕の顔の高さにあった先端が潰れる音と共に消し飛んだ。
尻餅をつく。首を絞めていた紐が落ちる。頸動脈を絞めたせいで脳が揺れるような感覚がして気分が悪い。
「……大丈夫?」
誰かが僕に話しかける。声がする方を見ると、特異体の装備をした僕と同じくらいの年齢の少女が立っていた。虚ろな瞳に黒髪姫カットというメンヘラ代表のような見た目である。
「大丈夫?」
僕がコクリと頷くと、
「死のうとしていたの?」
と目を小さな子供のように輝かせて訊ねてきた。
「死のうとはしていないです。目的を果たすまでは死にたくもないです。僕の能力を使えばレオンを殺せると……」
あからさまに態度を面倒くさそうにする。
僕の腕章をちらりと見て、
「新人なら知らないかもだけど、大した装備もないのにレオンに挑むなんてしないほうがいいよ」
続けて、
「その銀の弾丸をパクったことは内緒にしておいてあげる」
と言って去っていった。
地面から生えた棘も、散らばっていた爆発四散した棘の先端だったものも赤い霧となって瞬く間に消えていった。まるで最初からそこにはなにも存在しなかったように。
「クソ、クソ、クソ──! どうしてレオンが死ぬ未来が選べないんだ! 僕の能力は‘死ぬ寸前’に発動するんじゃないのか?」
地面に拳を叩きつける。資本を損傷する可能性があるが、それでもこの苦しみから解放されたくて繰り返し殴る。石畳に亀裂が入る。
涙があふれる。これではヴィオラを助けられない。
興奮状態の愚かな自分を俯瞰するように思考が働く。不快な汗が頬を伝い、顎から滴り落ちる。
「……いや、能力は発動していた。でも実現させたい未来が見えなかった。じゃあまさか…………」
嫌な考察が進む。手が熱を持つ。
「……殺す未来は存在しないのだよ」
低い声が聞こえる。
「ああ、そういうことか」
納得した。絶対に起こらない未来を引き寄せられるほど、この能力は優秀ではない。すべてが思い通りになることはないのだ。
少しの間を置き、冷静になった僕は恐る恐る声の主を見る。
絶望だ。とめどなくあふれていた涙も一瞬で乾く。
カラカラと喉を鳴らして僕を嘲笑するレオンがいた。一年前と同じように真紅の双眸が僕を見据える。
「君では私を殺せない」
レオンが僕の頬に触れる。
「……ヴィオラはどうしている」
声が震える。
「ヴィオラは今どうなってるか答えろよ!」
精一杯声を荒げた。だが僕程度がレオンを威圧することなどできやしない。
辺りが静まる。
「……ヴィオラ? ……ああ、あのダアトのことか。彼女なら元気にしているよ。今では自ら私に懇願するほどにね」
ヴィオラはレオンに何を懇願しているのだろうか。僕の頭が高速回転する。考えたくもないことがいくつも浮かび上がった。
背中を嫌な汗が伝う。
「部下の職務怠慢にはうんざりしていたところだが、私のために彼女はよく働いてくれているよ。まだ一年しか経っていないが、すでに君のお仲間さんを五十人は殺したそうだ」
殺した──食ったのではないのか。
そこが引っかかるが、これ以上は今の僕では考えが及ばない。そして僕の思考は停止した。
頬に触れている手に力が入る。爪を立てられ、皮膚が裂けそうだ。
「それにしてもまさかだよ。君も運が悪いねぇ。あのときに死んでいたらこれから幾千もの苦痛を味わうこともなかったのに……」
頬から鮮血が一筋の線となり流れ、地面を赤く染めた。
──痛い。
レオンが冷酷無情な表情で口を開く。
「心優しい私は君に選ばせてあげよう。一つ、ここで私の血を摂取して吸血鬼になるか。二つ、血を摂取するが体が細胞分裂に耐えきれずに爆発四散するか。三つ、ここで私に食われて死ぬか。どれをご所望かな?」
口が渇く。全身の神経が麻痺したかのように動かない。目の焦点が合わない。頭が働かない。
ここで死ぬのか。
そう覚悟すると、レオンの後ろから女性の声が聞こえた。彼女は、
「どうしたのですか? ギルバート様」
と言った。
脊髄反射のようにとっさにハンカチをアウターから取り出すと、素早く僕の頬の血液を拭った。
レオンが振り向いて、
「こちらのお嬢さんが泣いていまして。どうにも放っておけなかったものですから声をかけていたのですよ。しかしもう大丈夫なようですから行きましょうか」
僕の元に銀の弾丸を置くと、レオンは女性の腰に手を回し、街へと歩いていく。すぐに人混みに紛れて見失う。
弾丸にはスノードロップの絵が彫られていた。
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