第5話 レジスタンス入隊試験
一年はあっという間に過ぎ去った。
僕は今、貸し出されたクレイモア片手にインテリゲンツィアの施設の地下にいる。
エレベーターに乗り込むと、それは地下深くへと降りていく。それを降りれば、先が見えないくらい長く暗い廊下を歩いていく。
突き当たると、そこには重厚感のある扉があった。
インテリゲンツィアの職員がカードキーでロックを解除すると、それはゆっくりと音を立てて開く。
一歩踏み込むとそこは大きなテラリウムのような空間で、地下にもかかわらず植物は地上と同じように生えていた。
──レジスタンス入隊試験の会場である。
周りには同じ訓練生の制服を身につけた同期が五十人おり、各々が一つずつ武器を握りしめている。
現在、午前八時三十分。あと三十分で試験が始まる。
シェリルによってこの試験の説明がされた。
「あなたたちには吸血鬼蔓延るこの空間でこれから三日間、計七十二時間を過ごしてもらうわ。携行食と銀の武器と己の体と経験で頑張って生き残ってね。ちなみにこの空間は地上よりもかなり日照時間が短いから、吸血鬼の活動時間が長いわ。気をつけてね」
一呼吸置いて、
「武運を祈るわ」
と悲しげに言った。
シェリルは来た道を戻っていく。後ろ姿は暗闇に消え、重く分厚い扉がゆっくりと閉じられた。
支給された時計には八時五十五分と表示されている。
息を大きく吸い込む。脈が上がり、指先は震え、末端の感覚が薄れる。背中を嫌な汗が伝う。
緊張するなんて柄でもない。
「ねえ、セシリア。……いっしょに行きませんか?」
そう言ったのは深緑色の髪を緩く三つ編みしたノエルだった。短剣を握る手が震えている。小柄なのも相まって可愛らしい小動物に見える。
「ああ、僕でよければ」
一人で動くつもりだったが仲間がいるに越したことはない。索敵を分担できればそれだけ負担を減らせる。
周りを見渡すと、皆も僕たちと同じように二、三人で組んでいる。当然、一人で誰とも組まない人もいた。
支給品の腕時計が地獄の始まりを告げ、それぞれが行動を開始した。散り散りになって森に消えていく。
「じゃあ僕たちも行こうか」
そう言って僕は歩き出す。すると引っ張られて後ろに戻される。ノエルが僕の制服のショートパンツの裾を握っていた。目には大粒の涙を浮かべている。
「始まったものは仕方がない、頑張ろう」
僕は妹に接するように励まして頭を撫でた。
「手……繋いでください。私……怖いです。もうすぐ日も暮れて……吸血鬼に……死にたくないです」
僕は天井を見上げる。一体どれほどの高さがあるのかはわからないが、少なくとも照明などの機材は確認できなかった。
九時を境に徐々に明るさが失われているのを感じる。
「僕が守る……なんてかっこいいことは言えないけど、お前はひとりじゃない、僕がついてる。だからきっとなんとかなるから泣くな」
突然ノエルが僕に抱きついた。頭一つ分以上の身長差がある。彼女は僕の無に等しい胸に顔を埋める。
「……お兄ちゃん」
ノエルは小さくそう呟いた。
このチビを今すぐ地面に埋めて犬神家の刑に処してやろうかとも思ったが、なんとかその感情を抑え込み、
「大丈夫、大丈夫だから」
と根拠のない励ましをして手を繋いで森の中へ歩を進めた。
周りよりも少し高い、見晴らしのいい場所に着いた。近くの木に持たれて腰を下ろす。辺りは既に暗くなっており、そろそろ吸血鬼が活動を始めるだろう。
──残り七十時間。
ノエルが震えながら短剣を握りしめる。
近くから吸血鬼特有の死臭と血液が混じった臭いがする。レオンよりも幾分か薄い臭いではあるが、僕の殺意を掻き立てるには十分だった。
自然にクレイモアを握る手に力が入る。
「ようやく人間が来た」
そう言って吸血鬼は舌舐めずりをし、僕たちを値踏みするようにねっとりとした不快極まりない目で見つめる。
赤い瞳をギラギラと輝かせ、
「その小さいのから食ってやろう。若くてもちもちしていて非常に美味そうだ」
と言って姿勢を落として戦闘態勢に入る。
ノエルの顔から血の気が引く。
「おい、吸血鬼! ノエルより僕の方が美味しいと思うぞ! まったく、そんなんだからこうやってレジスタンスに捕らえられるんだ、この馬鹿め!」
とっさに僕は声を荒げ、攻撃対象ノエルから僕に移るように煽った。
事前にシェリルから聞いた情報によると、この地下施設は以前インテリゲンツィアが特異体を収容するために使っていたが、必要なくなったためレジスタンスが買取、年に一度の入隊試験用の施設にしたらしい。おまけにその試験のために吸血鬼を殺さずに収容するという非常に面倒なことをしているそうだ。
吸血鬼が僕を睨みつける。
「お前……主に胸が痩せてて美味しくなさそうだから嫌だ」
どうしてどいつもこいつも僕の気にしている部分をつつくんだ。たしかに僕は貧乳だ。それは認めよう。だがしかし、それを本人に向かって言うか、普通。
ノエルが怯えながら僕の胸を見る。
──この吸血鬼を殺したあとにこのチビを犬神家の刑に処してやろう。
クレイモアを両手で持ち、吸血鬼を見据えた。
「そんなに言うならお前から食ってやるよ、このアマ」
吸血鬼が僕の方へ飛びかかる。
人間とは比べ物にならない速度でこちらとの間合いを詰めてきた。
こちらも駆け出し、頸部を狙いクレイモアで薙ぎ払う。
吸血鬼は空中でヒラリとそれを躱し、こちら脇腹に回し蹴りを入れた。数メートル後ろに吹っ飛んで地面に叩きつけられる。
「この程度、痛くもなんともないな!」
──痛い。当然ながらレオンに蹴られたときよりは痛くはないが、それでも痛い。脇腹が抉れそう。
すぐに地面から起き上がり、拳の追撃を横に避けた。さっき叩きつけられた場所の地面が抉れる。
向き直り、再び駆け出す。
体勢を低くし、足を掬うように下段を薙ぎ払う。当然、吸血鬼は宙に逃げた。次の動作に繋げる。こちらも宙を舞い、相手の脳天めがけて力の限りクレイモアの刃を叩きつける。
頭蓋骨を叩き割り、祈りを込めた銀で脳幹を破損させた。
吸血鬼は地面に叩きつけられ、うつ伏せで痙攣した後、絶命した。それと同時に死体は黒い煙を出して消えていった。
気配は消え、そこには少しの灰だけが残された。
ノエルのことを思い出した僕は辺りを見渡す。すると目があった。彼女は木の陰からひょっこりと顔を出していた。
プルプル震えながらこちらに来る。
「今……セシリア……吸血鬼を倒しちゃった……すごいです」
緊張の糸が切れ、どっと疲れと痛みが押し寄せる。思わず刃先を地面に突き立て膝をついた。脇腹が熱を帯びるのが感じられる。
小刻みに呼吸をし脇腹を押さえる。
「大丈夫ですか? 蹴られた脇腹もそうですけど、転がったときにほかの場所もぶつけたりしていませんか?」
ノエルは心配そうに僕の顔を覗き込む。
「大丈夫だ。これぐらいどうってことはないよ。幸い、骨は折れてはなさそうだからさ。……ヒビぐらいは入っていそうだけれど」
僕はノエルの手を掴み、木陰に足を運ぶ。周囲から気配は感じられないのでそこで腰を下ろし、ノエルに話しかける。
「ノエルはどうしてここに志願したんだ?」
ひと段落し、空腹感を感じた僕はウエストポーチから携行食を取り出し、一つ開封した。それを一口に割って口に入れる。
「……きっとみんなと同じ理由ですよ」
「家族が吸血鬼に食われた、ってことか」
暗くなった天井を見つめて言う。
そしてこの携行食、寮の食事にはおとるが、それでもかなり美味しい。少なくともスラム街にいた頃には食べられなかった味だ。もう一つ口に入れる。
「半分正解です」
短剣の刃を指でなぞる。
「半分と言うと?」
「……私が七歳のときにそれは起きました。父は私が生まれてしばらくして亡くなりました。そして母も体が弱くて働けず、代わりに私と兄で家を支えていました。そしてある日、仕事が終わり、兄と家に帰ってくると母は玄関で首から血を流して死んでいました」
声が震える。
「そして……近くの椅子に白髪で赤い瞳の……若い男が腰掛けていて……私たちに『遅かったじゃないか』って」
ノエルは制服のスカートを強く握りしめている。
「兄はとっさに近くにあったほうきでその男を殴ろうとしましたが……それは一瞬でへし折られて……怒ったあの男が兄の体に注射器を刺しました。黒い液体を入れられた兄は地面をのたうち回っていました。そして……」
一度区切り、
「……吸血鬼になってしまいました。兄は私に『逃げろ、早く逃げろ。俺から離れてくれ』と言いました。兄の背後で男がせせら笑っていて……」
と言った。ノエルの瞳から光が失われる。
「私は無我夢中で逃げました。兄が今も吸血鬼としてどこかで生きているなら、レジスタンスとしてならもう一度会えるかもしれないと思ったからです。だから志願したんですよ」
「僕と似たような境遇だな」
沈黙が訪れる。
──残り五十時間。
吸血鬼の首を切断した。
──残り四十時間。
吸血鬼の脳幹を貫いた。
──残り三十時間。
吸血鬼の頭を粉砕した。
──残り五時間。
満身創痍。体から痛まない場所が消える。筋肉が悲鳴をあげる。クレイモアを握る手に上手く力が入らない。
「ここまできて……こりゃないだろ」
僕は限界だった。日照時間はわずか四時間。ここでしか休むことができず、それ以外は常に起きている。
僕の前に笑顔の幼い吸血鬼が立ちはだかる。その面を剥ぎ取れば中から殺意を具現化したものが現れるだろう。
血まみれのロリータ服を着た幼女だ。愛らしい見た目とは裏腹に、これに何人もの同期が命を落とした。断末魔の叫びを聞いた。路傍で無残に食い散らかされた死体を見た。
後三時間耐えれば、日が昇る。それまでなんとかしなければならない。だが、逃げられない。戦闘にはまるで役に立たないノエルを連れ、この体で逃げられるはずがない。幼女とはいえ身体能力も高く、すぐに追いつかれて背後から食われるのがオチだ。
──ならば選択は一つ。
僕はクレイモアを握る。
幼女はにっこりと笑い、歩いて近づいてくる。
僕はノエルを近くの木に隠れているよう、ハンドサインを送る。
「お前は同期を何人食った?」
会話で少しでも時間を稼ごう。
「んーっと……」
幼女は持っていたバッグをひっくり返した。中からプラスチック製のものが三十個以上出てきて地面に音を立てて落ちた。
──訓練生の名札だった。
「こんだけ」
表情は小さな子がお手伝いをして親に褒めてもらおうとするものだった。嬉しそうに、自慢げに言う。
──オリビア、ソフィア、エミリー、ルーシー、クロエ、ロージー、エルシィ、ジェシカ、シエナ、イザベル。
顔見知り程度ではあるがどれも僕が知っている名だ。
──ミカエラ──この名は見たくはなかった。
あのとき謝ればよかった。そうしたらわだかまりは残らなかったはずだ。いや、そもそもあのとき失言しなければ。
──後悔しても仕方がない。
時間稼ぎはやめて、今すぐこいつを殺す。今できる最高に惨たらしい方法で殺す。せめてミカエラへの手向けになるように。
僕はクレイモアを構えた。決意を原動力に体に鞭を打つ。
素早く幼女との間合いを詰め、一撃で仕留めようと薙ぎ払った。幼女は笑顔のまま動かなかった。
刃が幼女の首に当たる。ただ当たるだけだ。切ることができない。子ども特有の水分量が多い柔らかそうな皮膚になのに。
「ダメだよ。そんななまくらじゃわたしは殺せない」
手で刃を押しのけるように払う。クレイモアは僕の手から離れ、少し離れたところに突き刺さる。
続けて幼女は呆気に取られた僕のみぞおちに拳を叩き込んだ。体が宙に浮き、十メートル以上後方に吹っ飛んだ。胃が圧迫され、押し出されるように口から消化液をこぼす。
岩に激突して停止する。後頭部をしたたか打った。
視界が歪む。
僕はノエルに短剣をこちらに投げるようハンドサインを送る。すぐに銀の短剣がこちらの足元に投げられる。
それを握り、立ち上がる。視界の歪みが悪化した。吐き気が込み上げる。それを抑え込み、駆け出した。
幼女を上手く認識できない。視界には入っているが、歪むせいで正確な位置が分からない。
一度立ち止まり、視界の歪みを解消しようと片膝を立てる。突然、足元の地面が盛り上がり、土や石で形成された拳が僕の顔面を捕らえた。
宙を舞い、うつ伏せで地面に落ちた。今度は額をしたたか打つ。
頭が割れるように痛い。
幼女が僕に一瞥を投げると、嘲笑してノエルに近づいていく。
ノエルの武器は僕が持っている今、彼女には攻撃手段がない。短剣を投げ返そうと思ったが、体が動かない。指一本動かせない。意識が混濁する。黒色が侵食する。
幼女はノエルに
「わたしが食べてあげる」
と指を差す。
周辺の地面が盛り上がり、土は鋭利な槍へと形を変え、剣山のように一斉にノエルを襲う。
僕は暗闇で複数の映像を同時に見ていた。蜘蛛の糸が映像と同じ本数垂れている。
──槍が心臓を貫いて死亡。
──槍が脳を貫いて死亡。
──槍が首を切断して死亡。
──槍が腹部を貫いて死亡。
──槍が股関節を貫いて脚を切り落とした。血液が噴き出す。
──槍が左肩関節を貫いて腕を切り落とした。血液が噴き出す。
──槍が脇腹を抉る。血液が噴き出す。
──槍は当たらなかった。
糸を掴み、たぐり寄せる。
ノエルが絶望した表情で尻餅をつき
後ずさりした。剣山は彼女を避けるように突き出した。
幼女が目を見開く。
その瞬間、銀の弾丸が幼女の頭を貫通した。
血と脳漿をぶちまけると同時に黒い煙となって消えていく。
日が昇る。残された灰は蒸発していった。
僕は這いずってミカエラの名札を回収するとそこで意識は途切れた。
──腕時計がこの地獄の終わりを告げた。
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