親子丼の形 前篇


 母親の顔は知らないけれど、おふくろの味というものは知っている。


 僕の育った施設では、誕生日にケーキなんてものは用意出来なかったけれど。その代わりが、炊き込みご飯だった。いつもと違う色のついたご飯は、自分が特別なんだって思えてしまえる程、美味しくて暖かかった。


 別に今日は誰かの誕生日とかじゃないけれど、親が居ない人間にとっては親子丼っていうメニューを作る価値なんか無いんじゃないかって思ってくる。


 土鍋には昨日の晩に浸けておいたモチ米が二合入っていた。ここに醤油の入った出し汁を入れて、弱火に掛けて四十分放置する。


 鶏むね肉を一口大に切り、ニンジンとゴボウをササガキにする。米を三合研いでから、ニンジンとゴボウを入れて、ついでに冷蔵庫に残ったキノコも全部入れる。鶏肉を入れて、先ほどの出し汁を三カップ。炊飯ジャーの蓋を閉めて、ボタンを押した。


 基本的に僕は麺つゆというものを使わない。あれば便利というものは、不便だろうと無くても充分。僕の考えでは麺つゆというものは、醤油と出汁で出来ているって思っている。ならば、その二つさえあれば事足りる。それにそっちの方が、比率を自分で決める事が出来る。


 炊き込みご飯というものは時間はかかるけれど、準備さえしてしまえば楽の出来る代物だ。コンロが一台開いているので、汁ものを作ってもいいかもしれない。


 ネギを見つけたので、味噌汁を考えたけれど。元々は卵が有り余っているからという理由で、親子丼って話になったのだ。折角なので、卵を使ったスープにしよう。


 これに関しては、何の工夫なんかする必要はない。ネギを刻む、茹でたら乾燥わかめを放り込む。顆粒の鳥ガラスープを入れて、醤油と塩で味を調える。卵を割って、かきたまにする。いとも簡単に出来上がってしまった。


 まだ炊き上がるまでニ十分はあるので、僕はバンドのこれからの方向性について考えてみた。


 メンバーは現在三人で、メインギターが大友悠。通称、ゆーちゃん。ハルカって読むけれど、女みたいな名前だから「ゆう」と呼ぶように小さい頃に言われたのが定着した。


 ゆーちゃんの父親は有名バンドのギタリストで、小さい時から音楽に関する英才教育を受けている。故にギターやベースは勿論、ドラムや管楽器なんかも出来る。その上、絶対音感まで持っている優れた男子。


 しかし弱点が一つだけある。それは物凄く、頭が悪いということだ。どのくらいの練度かと問われると、ピスタチオを殻ごと食べてしまう程だ。


 もう一人は板垣央、通称ヒロ。高校に入ってからのメンバーだけれど、寮が同室なので浅い付き合いとは思えない。


 パートはドラムだけれど、実はピアノの方が上手い。家がお金持ちだからか、幼少期から姉と一緒にピアノを習っていた。ドラムを覚えたのは、本当につい最近の話なのだ。


 つまり、このバンドにはギターとベースとドラムが出来る人間と、ドラムとキーボードが出来る人間が居る。本当はヒロより、ゆーちゃんの方がドラムが上手い。


 にも関わらずヒロがドラムをやる理由は、単純に人手不足なのだ。本当ならもう一人居れば、ヒロにキーボードを担当させてあげられるのだ。


 僕のパートはベースだけれどギターも出来なくはないから、ギターかベースかドラムが出来る人間が一人入ればいいだけ。


 今のご時世、楽器が出来る人を探すだけでも難しいのに、ゆーちゃんの馬鹿に目を瞑れる人間でないと駄目とかハードルが高すぎるのだ。


 やはり、今は現状維持しか無いのかもしれない。


 キッチンタイマーが鳴り響き、夢想の世界から現し世に戻される。僕は土鍋の蓋を開け、強火にして水分を飛ばした。


 再び蓋をすると、今度は蒸らし時間としてタイマーを十分かける。炊飯器と違って土鍋で米を炊く場合は、加水と蒸らしも考慮して作らなきゃいけない。


 炊飯器の方も、間もなく出来るだろう。僕はタオルを手に土鍋をどけて、空いたコンロの方にフライパンを置いた。油を引いて、中火にかける。


 温まったフライパンに、昨晩千切りにしたタマネギを入れた。前の日に作って冷凍した理由は、その方が早くアメ色になるからだ。ある程度火が通ったので、コンロを止めて卵に取り掛かることとする。


 卵を二つに割ると、片方の殻に黄身が入っている。白身を御椀に入れながら、左右の殻に黄身を交互に移動させる。これが一番シンプルに、黄身だけを残すやり方だ。


 二つに割れた僕の殻に、キミだけが残る。って書けば、何か歌詞っぽいって思った。ゆーちゃんの頭と、ヒロの表現力は弱いので、バンドの歌詞は全て僕が担当している。


 黄身の入った皿と白身の入った御椀に分かれたので、お椀の白身だけを適当にかき混ぜる。メレンゲを作るって訳ではないけれど、ある程度空気を入れておいた方がフワフワする。


 フライパンを再び火にかけると、お椀の白身をそこに投入。タマネギを混ぜるように、クルクルと白身をかき混ぜて、炒り卵みたくなったら終了。


 炊飯器の鳴る音がした。すごくいいタイミングだって思った。


 僕は土鍋の蓋を開け、しゃもじで引っくり返すように混ぜる。いい感じにおこげがついているので、よだれが出てしまいそうになる。


 そして、その土鍋の中に炊飯器の中身をぶち込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る