第8話 師を仰ぐは

 暫くして、コンコンと扉が強くノックされる。


「どうぞ」


 三杯目のコーヒーを啜る鈴がそう言うと、すぐに扉が開かれた。薄暗い室内に、明るい廊下の光が差し込む。埃が宙を舞っているのが見えた。


「ハァイ、皆のお姐様が来たわよ」


 扉を開けたのは、若い長身の女性だった。高い鼻は日本人らしさが薄く、瞳の奥に、青みを見る。彼女は座っている葛城を見下ろすと、鈴に目をやった。


「この子が夜刀神ジュニア? 大人しそうね。本当に神器を使えるの?」

「使えるかどうかはまだわかりません。だが、触れて、抜いて、炉にくべた」


 だからきっと、と、鈴は呟く。女はクスりと笑って、葛城と目線を合わせた。唐突に視界が動いた葛城は、肩をびくりと震わせる。


「そう、貴方が……あぁ、ごめんなさい、私は日下部くさかべ舞依まい。この陰陽寮で、学生達を鍛える博士の一人で、天文博士と呼ばれているわ」


 そう言って、彼女は葛城の前に手を差し出す。おずおずと葛城が手返すと、その手を握った。握手にしては強引にして豪快であった。舞依はよろしくと笑い、手を放す。


「貴方はこれから天文学生よ。天文博士の学生だから天文学生。わかりやすいでしょう? 他には暦学生、陰陽学生、刻学生がいるわ。それぞれその冠する博士に付いて学んでいるの」


 一つ置いて、彼女はまた柔らかく笑う。


「私は主に将来討伐部や調査部に所属する子を見ていることが多いの。貴方は能力の適性こそ討伐部に向いているようだけど……ま、他の天文学生の子とは適当に仲良くしてやって。荒々しい子が多いけど、私が直々にちょ……何とか宥めたりはしてるし、根は優しい子ばかりよ」


 頑張ってね、と舞依は微笑んだ。彼女はそうして、今度は鈴を見る。


「まだ暫くは治療をしつつみたいだし、私の方で陰陽師について座学をするつもりだけど、いいかしら」

「それで良いと思いますよ。医療部から貰ったカルテの写しあるんで、持って行ってください。カウンセリングはまだですけど、そっちも終わったらすぐに」

「わかったわ。状況もちょっと特殊みたいだし、この子のお父様の方ともお話をしながら考えてみるわ」


 よろしくお願いします、と、鈴は言う。嫌に礼儀が正しい。管理課のトップであるという陽明にさえそれなりの態度であった彼が、妙に背筋を伸ばしているように見えた。舞依はそれじゃあと言って、入って来た扉を開ける。


「あ、そうそう、鈴! 貴方、またコーヒー濃くしてるでしょ! マー君に言っておくからね! 今日のカフェイン摂取はそれくらいにしておきなさい!」


 ひょっこりと顔だけを出して、彼女は言った。パタンと扉が閉まると、はいはいと言っていた鈴が、眉間に皺を寄せた。


「あー、クソクソクソ。何が皆のお姐様だクソババア。俺が何飲んでようと勝手だろクソが」


 荒れた喉で、がさつく声を張って鈴は呟く。どうやら彼はあの日下部舞依という女性が苦手らしい。途端に不機嫌になる鈴は、四杯目のコーヒーに手を付けようとした。だが、すぐにハッとして、葛城を見る。


「あー、そうだ、ババアに引き継いだんだ、次だ、次」


 空になったマグカップを置いて、鈴は葛城から目を離さないまま部屋の扉を開ける。その後ろ、ゆらりと大きな影が動いた。


「とりあえず医療部に……」

「あの……」


 葛城が声を上げた瞬間、鈴の首が、後ろから掴まれる。その手の赤いネイルは、鈴の首に食い込む。


「クソババア、ねェ―――—暫くは夜道には気をつけな、クソガキ」


 淡いピンクの唇で、ドスの利いた声で、日下部舞依がそう言った。独特の微笑みも、柔らかな口角も無く、彼女は鈴を脅す。するりと指が離れると、鈴が咳きこんだ隙に、彼女はふらりと消えた。


「……アレが本性だ……お前も気をつけろ……」


 喉を摩りながら、鈴はそう言って、葛城に立つように迫る。どうやら場所を移動したいとのことで、顔を青くした葛城は、鈴の後ろを歩く。

 白い廊下では、黒服の者達以外に、一部の少年少女が目に付いた。彼等は葛城を見ると、ひそひそと話たり、物珍しそうに見えていた。

 ふと、そのうちの一人が、二人に並走する。


「鈴さん、医療部に行くんですか」


 少年は朗らかにそう言った。安心感と安定感の強い彼の声色が、頭に響く。少年は葛城を見ると、にっこりと目を細める。


「お前も医療部に用か」

「いえ、医療部に、というよりも、彼と彼の御友人に」


 少年の銀の瞳が光る。葛城は右目を開けて、ひっそりと彼を己の赤目に写した。少年と鈴が声を重ねると、その度に周囲がざわつくのが、耳に刺さった。


「調査結果、もう出たのか」

「口伝えと、文献的に推測出来るものがありまして。結論は本人と関係者を検証しなければいけないので、それで」


 ふうん、と鈴が興味無さそうに呟く。クスリと少年が笑った。


「貴方なら既に答えは出てるのでは?」

「……どうかね、お前だって文献以上にわかってるんじゃねえのか」

「さあ、どうでしょう」


 グッと目を細める少年に、鈴はニタリと笑った。それは何処か悪人染みていて、葛城の背に冷気が走る。そうして暫く歩いていると、医療部と書かれた札が垂れているのが見えた。どうやら医療部はこの先の廊下と、そこから繋がる扉全てを指すらしい。鈴と少年は迷いなく多くの扉から、一つを選び、鈴が手をかけた。音も無く開く扉と共に、白さ際立つ強い光と、消毒液の匂いがした。


「どうよ、様子は」


 鈴が声をかけたのは、部屋の中心で蠢いていた白衣の男であった。隣に付く着物のの女性が頭を下げるのと共に、彼は地を這うような声で言った。


「別にどうもこうもねえよ」

「大変安定していますよ。拒絶反応も起こしてません」


 その二人は、葛城が目覚めた時出会ったあの二人であった。


「唯さん、お疲れ様です」


 少年が鈴の後ろからひょっこりと顔を入れる。すると、男があぁ、とだけ呟いた。三人が部屋に入ると、最後に入った葛城を確認して、鈴が口を開く。


「葛城、こっちのデカいのが大津唯一郎。一緒にいるのは助手の薬師寺花郷夢。唯一郎は医療部の陰陽長で、ホオリと呼ばれたりもする。お前と荻野を治療した男だ。今後も荻野を診る手筈になってる」


 彼がそう言うと、男――唯一郎は葛城の前に立った。長身と顔の威圧感、存在感に、葛城は腰を引く。


「あ、えっと、その……ありがとうございました……」

「うっせえ。ハッキリ喋れ」


 唯一郎はそう言って葛城の頭をぐしゃぐしゃと掻きまわす。混乱している葛城に、花郷夢が駆け寄った。


「照れてるだけですよ。落ち着いて喋ってくれれば良いですから」


 彼女の言葉を入れる容量が無かった葛城は、ポカンと目を見開く。その表情を見た少年が噴き出した。


「唯さんは言語表現が独特なんで、本当は凄い優しい人だよ。花郷夢さんは翻訳も兼ねてるんだ」

「は、はあ……」

「大丈夫。ゆっくり慣れれば良いよ。初めての人にしては、君は肝が据わってる方だと思うよ」


 ね、唯さん、と、少年が笑う。少し剥れたように、唯一郎は頬を膨らませていた。よく考えれば、確かに彼は、葛城や他の人間に害を与えている様子が無い。警戒心こそ解けきれないものの、グッと緊張だけは解けていった。


「それじゃ、面会時間が終わる頃にまた来ますね」


 ふと、花郷夢がそう言った。唯一郎と共に彼女達は部屋を出る。パタンと扉が閉じて、空間に音が減った。


「それじゃ早速、と洒落込むか」


 鈴が扉に背を預けて、葛城の足元を蹴りつける。よろけた葛城は、目の前にあったベットの端に手を落とした。節ばった自分の手が目に付く。その隣、僅かに何かが触れ、そちらを見た


 手が、あった。白くて、細くて、今にも折れそうな少女の手だった。指先から、肩、首、そして顔に辿り着く。


「小鳥ちゃん」


 少女、荻野小鳥は寝息も立てずに静かに、葛城の目の前で横たわっていた。

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