第7話 牙を研ぐ
眼球が震える。体温が上がって、体への意識が、指の一つひとつにまで行き渡っている。今なら血液の循環さえ操れる気さえした。
「俺が従うのは皇族ではなく
頭上から、きっぱりばっさり、その男の言葉を斬り捨てるのは、目の前の銀髪の青年――月夕であった。既に、彼の自身に対する殺意は、葛城には見えなかった。緊張の糸が、プツンと切れる音が、頭の中で響く。
葛城は脱力感のままに、弱々しく口を開いた。
「あの、すみません、こういうのって、僕の意見は反映されますか?」
まるでクラスの担任にでも質問するように、彼は不安そうに笑う。唐突な発言に、その場にいたほぼ全員が葛城を驚きや呆れ、または好奇心を含んだ目で見ていた。ただ唯一、陽明だけは、変わらず熱のこもった視線で笑っていた。
「うむ。そうだな! 君の処遇を決めている時に、君の言葉を聞かずして何が審議か! 答えてくれ!」
陽明は自ら席を立ち、長机を飛び越えて、ツカツカと真っ直ぐに葛城に近づく。待ってくださいと、月夕と、歳の近そうな青年が制止するが、二人の手を避けて、彼女は葛城と数センチの距離まで詰め寄った。グンと顔が近付く。葛城の首と肩が、硬直した。
「葛城夜執。君は民の為に戦えるか。民の為に神を屠り、この世の正しい道を探し求める覚悟はあるか」
一転して冷静に、陽明は唇を震わせる。反して、その眼はより熱を帯びる。
葛城はギリギリと歯を鳴らした。陽明が何か、次の言葉を紡ごうとしたとき、葛城は息を大きく吸った。
「覚悟は無いけど今します。戦います。だからその方法を教えてください」
突然、自分のような、自分ではないような、そんな意志が沸き上がった。それが、ポンと言葉になって、口から飛び出たのだ。意識的にどんどんヤケクソになっていく。感情が跳ね上がる。自分であって、自分ではない。破壊衝動が、自分に向いた。だが、悪い気はしない。
「僕の力を使ってください」
葛城が吐き出した言葉を、陽明は咀嚼するように唸った。眉間に皺をよせ、少しだけ難しそうな顔をする。しかし、答えはもう決まっているように見えた。
「この審議の結論は私が出す。皆、それは間違いないな?」
陽明は葛城を背に、その場にいる全ての人間を見渡す。それに対し、皆が各々で頷いた。
「では結論を出そう」
一度息を整えるように、優しく呼吸をする。それに合わせて、葛城も酸素を取り込んだ。くるりと陽明が半回転する。彼女は葛城を見下ろして微笑んだ。
「――――陰陽師になれ、少年。君の力は民の為に使われるべきだ。ここで損なうべきものではない」
陽明が手を差し伸べた。その手は女性にしてはしっかりとした、骨と肉の詰まった節のある手。葛城はそれを迷いなく取った。促されて、立ち上がる。少しだけ、月夕からの視線が痛かった。それでも、視界が広がって、葛城は目を見開いた。
「うむ、良い目だ。
葛城の赤い瞳が、その場の全員を捉えた。その瞳に驚く者、好奇を見せる者、様々に、一人一人の動向が見える。
「では今後の方針を示そう。これから彼は管理課に保護された能力者として取り扱う。よって、通常通り交渉部が中心になって動いてもらう。今回の場合は特に丁重に。それと、指導博士の手配も。アマテラス、世話をよろしく頼む」
「はいよ」
陽明の指示に、鈴が答える。その表情は呆れと飽きを内包していた。
「次に医療部。心身の変異動向に注意して定期的なカウンセリングと検査を」
「御意」「御心のままに」
地を這う低音で、白衣の男が短く言った。それに合わせて、付き添う女性が、陽明に微笑んだ。
「そして討伐部は修業生の受け入れ準備をしておいてくれ。一番適性があるだろう。基本的な防衛方法を早急に叩きこむように」
「りょーかい」
軽々しく応えたのは、佐島だった。彼は葛城と目を合わせて、よろしくねー、と笑う。葛城は困惑のまま、手を小さく振った。
「それでは、解散!」
陽明の声と共に、空間が動いた。伸びをする者、隣と話を始める者など、堰を切るように情報が濁流となって会議室を覆う。
その中で、葛城が立ちすくんでいると、ぽんぽんと誰かが肩を叩く。
「おい、行くぞ」
鈴が、振り返る葛城の肩を掴んだ。目線の先、会議室の扉は開いていた。鈴の隣には真王もいて、葛城と目を合わせると、苦しそうに笑う。鈴は葛城が自分を認識したことを確認すると、背を向けて歩き出した。葛城と真王がそれを追いかける。会議室を出て、廊下を歩く。次第に、ざわざわと人の気配が増えていった。
「ここにいるのは全員ここの職員だ。大抵は何らかの能力を有する陰陽師か、無能力者の事務職員。餓鬼がいたら陰陽学生。学生はここで能力の使い方を学び、社会に溶け込むか陰陽師になるために修業と調整をしている奴らだ」
歩きながら、鈴が説明を重ねる。葛城がふらふらと周囲を見ていると、真王が肩を叩いた。
「細かいことはそのうち覚えられるし、今は気にしなくて大丈夫ですよ」
真王の言葉に、葛城はホッと胸をなでおろす。
「学生のことくらいは今覚えろ。お前は今から学生、修業生になるんだから」
「修業生?」
「修業生は学生のうちから実践で学ぶ奴らのことだ。大抵は本人の希望と担当している博士……あぁ、師匠のようなものから推薦もしくは許可されてなるもんだ。が、お前は陰陽頭直々に『討伐部で学べ』と言われてしまったからな。腹くくれ。餓鬼でも周りの大人と同じことをやらされるぞ」
そう言って、鈴は目の前の扉を開く。古い鉄の扉には、『天照執務室』と書かれたプレートがかけられていた。中に入ると、インクと紙の匂いに当てられる。見渡せば、幾つもの書類が重なって出来た塔が部屋を埋め、足の踏み場を失くしていた。元々はそれなりに広い部屋ではあるのだろうが、高い紙の束とファイルで埋められた背の高い本棚が、圧迫感を生み出していた。
「おい、座れ。そこ踏むな。俺の布団だ」
そう言われて葛城が足元を見ると、薄汚いせんべい布団が床に放り投げられていた。部屋の中心に置かれていたソファを目指して、葛城は足元を見つつ歩く。足取りは思っているよりも軽やかで、簡単に革製のそれに辿り着いた。
「鈴さん、俺、布団クリーニングに持って行っていいですか」
「ならクリーニングセンターにストックがあるから受け取ってこい」
「いや、ここで寝ないでくださいよ……」
「しょうがないだろここで仮眠取らないと仕事終わらねーんだから」
まるで漫才のように、鈴と真王が言い合う。早々に折れた真王の表情からは、この状況が常であるということが伺えた。足元にあった布団のセットを抱えて、真王は走り去る。
方や鈴は、妙に高級感のあるデスクの上で、マグカップに黒い粉を入れる。そして、何かに気づいたように、棚から紙コップを取った。
「コーヒー飲める?」
「え、あ、はい」
「あっそ。ここコーヒーしかねえから。砂糖ミルク適当に入れろ」
そう言って鈴は葛城の前に、シュガースティック数本、コーヒークリームを数個投げた。紙コップとマグカップそれぞれに湯を入れる。香ばしい苦みを含んだ匂いが、部屋に漂う。湯気の立った紙コップが、葛城の目の前に置かれる。葛城はスッと鈴の顔を見る。気難しそうな表情に、黒く反射の無い瞳が映えた。鈴はコーヒー以外に何も入っていないマグカップを啜ると、腰をデスクに預けて、葛城を睨む。
「今、お前に力の使い方を教える人を呼ぶ。四人いるうちから一番良さそうな人選んでおいたから。それ飲んで待ってろ。色々諸手続きが終わったら、次に移る」
鈴は葛城の相槌も表情も無視して、そう語った。そうして、もう一杯、と、再び手慣れた様子でコーヒーを入れる。二度目に入れる黒い粉の量は、コーヒーをあまり飲まない葛城でも、異常な量だと思えた。しかし、何も言えないまま、葛城は紙コップに入ったコーヒーを啜った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます