第6話 宴

 白い廊下でコツコツと革靴を鳴らす真王の背を見ながら、葛城は心臓の動きを沈めようと必死だった。恐らくは緊張が顔に出ている。腕の拘束が、異常に緩い気がして、グッと手に力を籠める。

 葛城は静かに開かれた大扉に気づかないまま、ふと少し暗く、空気の籠った空間に入っていった。ぞくりと背筋が凍って、葛城は顔を上げた。周囲に散らばる幾つもの視線。それらが一様にこちらを見ている。


「これで全員揃ったな」


 よく通る女性の声だった。しっかりと芯の通った、熱の籠る赤い声。生命力の塊のようなそれを耳にして、恐る恐る葛城はそちらを見る。そこにいたのは、淀んだ空気の中で唯一、熱くも清涼な空気を纏った、女性だった。着ているもののサイズが合わないのか、胸元は開けている。


「うむ!」


 女は葛城と目を合わせると、快活な表情で笑う。周囲の品定めのような目に比べれば、何処か癒しにすら見えた。


「君が葛城夜執君だな!」

「は、はい」

「あぁ、すまない。私の名を忘れていた。私は安倍あべ陽明ようめい。ここの頭だ。よろしく頼む」

「……は、はあ……?」


 勢いに押されつつ、葛城は自分と同じ高さにある目に、そこそこガタイの良い女性なのだと感じていた。魑魅魍魎の如き雰囲気を醸し出す周囲と比べればこそか、随分と、人らしく、人間たるべしという存在だと思える。


「立ち話も何だ、椅子があるだろう、座って良いぞ!」


 そう言われて、やっと傍に置かれたパイプ椅子に気づく。カタンと足に触れた金属が、冷たかった。


「ボーっとしていないで座りなさい。審議が進まないだろう」


 ふと、座る陽明の隣にいた初老の男がそう言い放つ。威圧感の中に、何処か疲れを感じるそれは、葛城を突き刺して、椅子の上へと腰を落とさせる。


「それでは審議を再開しよう。やっぱり、本人と話をしない限りは何も始まらない」


 どうやら、先程まで空気が煮詰まるほどには、会議を行っていたようだった。周囲から来る目線の一部に疲労感や焦りがあるのは、そのせいなのかもしれない。葛城は周囲を見渡す。葛城を囲っている人間は、ざっと数えて二十を超える。その中には、先程ベットで葛城を睨んだ男と、その傍にいた女性もいる。

 ふと、強烈に覚えていた人物を三人ほど並んで見つけた。染めた金が疎らになって劇的に体調が悪そうな三善鈴と、不機嫌そうな大友宗十郎。そしてウキウキと楽しそうにこちらを見ている佐島。

 最後、後ろをちらりと見た時、葛城をここまで連れて来た真王が、未だ立っていることに気づいた。一瞬だけ目が合うと、困ったような表情で彼はぎこちなく微笑む。


「それでは、俺はここで」


 静かに真王はそう言うと、身を引いた。少しばかりの寂しさと心細さが、葛城の中にあったが、すぐに前を向いた。


「おい、マー、俺の後ろで良いから、お前もここにいろ」


 突然そう言い出したのは、鈴だった。彼は顎で真王を呼びつける。すると、真王はより一層困ったように顔をひしゃげながら、鈴の後ろについた。何処か不良のような体勢で、鈴はこちらを睨む。背丈のある真王が後ろにつくと、より威圧感が増した。


「それで、何聞くんですか? 何も状況がわかってない、ぽけぇとした顔をしているみたいですけど、葛城クンの方は」


 一人の男がそう声を立てた。見渡し中では、じろじろと品定めする目が、最も強く印象に残る男だった。何処か鈴とも似た雰囲気を持っている彼は、急ににこやかに笑う。


「君、今自分が置かれてる立場聞いてる?」

「えっと……その、ここは管理課っていうところで、僕は保護っていうか……捕まって? それで、審議にかけられて、場合によっては死ぬ、とだけ……」

「うん、的確だね。でも今ここがどういう場所か自体は聞いていないようだ」


 男はそう言うと、陽明と目を合わせる。陽明が、うむ、と頷くと、彼は静かに語り始めた。


「ここにいるのは殆どが管理課の幹部だ。管理課の頂点に立つ陰陽頭、人事などの中枢を担う大属、政府要人などとの交渉や頭大属の補佐などを行う少属、そして各実働部署のトップであり陰陽師の中でも屈指の才能や技術を持つ陰陽長達」


 ずらりと並ぶ者達の肩書が示される。それぞれ皆、地位と力を兼ね備えた者達らしい。特に、陽明というあの女性は、自ら頭と名乗っていた。つまりは、彼女こそが、管理課の頂点である。


「普通、十五歳の子供相手にこんなことはしない。時間も何もかもが無駄だからね。でも今日、僕達は集まった。いや、今日だけじゃなくて実は君が目覚める少し前から何度も話し合いをしている。君と、もう一人の女の子と、君のお父さんについて」


 ――――女の子、お父さん。


 ぴくりと、葛城の指が動いた。反射的に、手が動いてしまった。がしゃんと音がして、何かが床に落ちた。驚いて、下を向くと、そこに落ちていたのは、砕けた手錠だった。指先から血がぼたぼたと流れている。冷たい血だった。

 驚いているうちに、唐突に天と地が逆転する。何が起きたのかわからなかった。ただ、いつの間にか天井から床へ、顔を叩きつけられていた。肩と腕を押えられ、更には頭を床に踏みつけられる。


「今何をした」


 視界の端に銀の糸が見えた。黒く濁ったような、それでいて幼さも見える若々しい男の声。


「答えろ。どうやって手錠を外した」

「な、何も……何もしていません……! 急に壊れたんです!」


 どうにかして、潰されかけている喉から声を絞り出した。ただ、手が動いただけだったのは確かである。とめどなく指先から血液が流れているのがわかった。


「何もせず丹念に作られた呪具が壊れてたまるか阿呆」

「本当です!」


 どんどん強くなっていく男の足の力を振り切ろうにも、周囲からの観察が、確実に自分の攻撃性を探っているものであることを察して、葛城は何も出来なかった。それでも、声を絞り出す。どんどん絞められていく喉を、床と足の間で潰されようとする顎を、どうにか動かした。


「ただ、その、荻野さんが、どうなったのかって、その、心配で、びっくりして……それで、体がちょっと、動いただけで」


 死への意識の移行。視界のぼやけが、死を目前だと唱えている。葛城は息を吸うだけで精一杯になっていくのを感じていた。男が体重で肋骨と肺を締め付けている。


「――――真、だ」


 ふと聞こえたその言葉で、男の踏み込む力が止まった。吸えるようになった空気を一気に吸い込み、葛城の肺は過呼吸に転じる。


「そいつは嘘は吐いてない。放してやれ。そいつはただの臆病な蛇だ。今ここの誰にも、手を出すようなことはしない」


 その声は鈴だった。鈴が、見た目に似合わず、眉間に皺を寄せつつそう唱える。


「貴様が嘘を吐いている、という可能性は」

「お前は過去を振り返れないような馬鹿じゃないはずだ」


 鈴の言葉に、男はコンマ数秒沈黙する。そして、パッと、葛城から手を放し、身を引いた。解放された肺と喉が、更に過呼吸を悪化させる。それでも、意識を次第に手元へ戻し、葛城は自分を締め付けていた男を見上げた。

 銀の糸のような髪に、金の瞳、高圧的だが麗しい顔。それは、あの少女を彷彿とさせた。


「小鳥ちゃん」


 その言葉に、銀髪の男は顔を顰める。


「俺がそんな可愛らしい名前に見えるか」

「あ、いや、その、すみません……」


 再度、男は葛城を見て蔑むような表情を見せた。男は倒れていたパイプ椅子を立て直すと、葛城の首根っこを掴み引きずって、椅子の上へ落とした。


「背を伸ばして胸を張れ」

「すみません……」

「息を吸うように謝るな。お前の言葉には重みが無い」


 男がそう言って葛城を睨んでいると、ぽつりと、声が聞こえた。


「やっぱり、僕は危ないと思うな」


 それはあの、事細かに状況を説明していた、濁った黒曜の目を持った、男。彼は再びあの品定めをするような、ねっとりとした目線で葛城を見ていた。


「怪異として再認定し、再度調査を進めた方が良い、と、進言します」


 男がそう伝える先、陽明がふむ、と何か考え込むような表情へと切り替わっていた。すると、男の隣、緑がかった髪と瞼から覗く金が印象的な、一人の女が笑う。


「僕としては、『ただの臆病な蛇』が全てを内包してるとおもうんだけどなあ」


 彼女はちらりと鈴を見る。鈴はそれに応えるように、陽明へ目を合わせた。


「俺は断固変わらず、葛城夜執及び荻野小鳥を能力者として登録し、管理課で保護、修業生として編成し、陰陽師になってもらうという他に、意見は無い」


 鈴の言葉に合わせて、女はまた笑った。


「僕は鈴の目を信じるよ。長達は大体皆そうなんじゃない?」


 そう言われて、宗十郎やその近くにいた数人が顔を見合わせる。宗十郎がまあな、と呟くと、佐島が葛城を指し示す。


「怪異認定受けちゃった系なんて、それこそ、この場で試してる側にもいるんだから、そんな気にすることじゃないでしょ。何より怖いものにただ蓋をするより、本人が扱えるようにした方が、安全なんじゃないの」


 佐島が葛城を見て、ねえ、と呟く。葛城は何も答えられずにいた。扱う、というのが未だ自分でもよくわからないでいる状態で、答えることは出来ない。グッと葛城は下唇を噛んだ。


「――――否、今すぐ処分だ。賀茂かも月夕げっせき、それを今すぐ殺せ」


 突然、そんな言葉が空間を切り裂いた。男であることは辛うじてわかるが、何処か合成音声のような、不気味な声。それは葛城を指さして、ただ殺せと言葉を流し続けた。顔は布で覆われていてわからない。異様な雰囲気を持つ男。

 ただ、その存在を認めた葛城は、自分の中で、破壊衝動が膨れ上がっていく感覚を押し殺していた。殺せ、と言われる中で、葛城もまた、殺す、と頭の中で叫び続けた。

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