第5話 施設
白い空間が狭い視界を歪める。喉が酷く乾いている。いつも通り寝起きの水を飲もうと、葛城は上半身を起こそうとした。
「あれ?」
力を入れてベットから出ようとしたときである。力を入れても、何かひも状のもので阻まれて、上手くいかない。息を吸い、周囲を見渡した。白い空間は、自分の知るそれではなかった。
白い窓のない小さな部屋。扉が一つだけあった。葛城自身は部屋に備え付けられたベットに横たわり、両腕両足、そして胴をベルトで固定されていた。服も、質素で見たことも無いものになっている。
葛城は記憶を引き出す様に、息を吐く。井戸の底、謎の怪しい集団に、懐かしい怪物。そして、生まれて初めて感じた父性と、荻野への欲望。
そうだ、と、葛城はもう一度周囲に目を向けた。荻野の鮮血が、自分が刺したあの剣が、鮮明に思い起こされる。荻野がどうなったのかを、知る必要があった。
「あ、あの、あの! 誰かいませんか! 誰か!」
身動きの取れない葛城は、叫ぶ。非日常に対する恐怖心が、その声を荒げさせていた。
暫くして、唯一外界と繋がっている扉が、ギイと音を立てた。そこから入って来たのは、白衣を着た、長身の男性だった。長い黒髪を一つ束にして、後ろで揺らしている。その男性は険しい顔で、葛城を見下ろす。
「あ、えっと、その、ここは何処ですか」
葛城が問うても、彼は何も言わずに、ただ睨み続ける。ふと指先を拘束具のはめられた葛城の右腕に添え、唇を動かす。
「暴れるな。迷惑だ」
端的にそう吐くと、彼はそのまま葛城の体側をなぞる。すると、葛城は自分の呼吸が今まで苦しかったことに気づいた。四肢の一つ一つ、毛細血管の一本一本が、整えられていく感触が、不気味さを伴う程に理解出来る。
白衣の男が指を離すと、また扉が開いた。
「あぁ! 唯くん! 駄目じゃないですか! 勝手に施術しちゃ!」
そこからひょっこりと現れたのは、小柄な着物と白衣を着た少女だった。否、声の落ち着きや顔からは、可愛らしさこそあるが、成人女性であることが伺える。
「あ、おはようございます。目を覚ましてらっしゃったんですね」
彼女は溌剌と笑った。暗い顔の男と比べると、相対して明るい女性だった。
「あの、えっと」
「落ち着いてください。まだちゃんと回復出来ているわけではないはずですから、暴れると体によくありませんよ」
彼女はそう言って、葛城に繋がっていた管の先、何かしらの液体が入ったパックを取り換えていく。彼女の背丈では手が届きそうにない高さのものは、黙々と男が代わりにやっていった。
「いや、あの、ここは何処なんですか」
粛々と仕事をしている二人に、葛城は呂律の上手く回らない舌を動かした。二人は顔を見合わせる。男が半開きだった口を閉じて、眉を下げると、女性がころころと笑って、葛城に目を合わせた。
「ここは国内能力者管理課――陰陽寮という組織の、本部施設です。そして、この部屋は、施設の中でも、保護した能力者を一時収容する保護室です」
彼女はそう笑って、葛城の拘束具を指さした。
「貴方はこの"管理課"に保護されたのです。亥島の柳沢邸で起きた、異界発生事件の重要参考人兼怪異として」
話の突飛さは、あの井戸の底で対峙した出来事に比べれば何ら衝撃的ではなかった。しかし、意味の理解度という面において、それは非常に難解である。葛城は彼女の目を見て、ゆっくりとまた口を開く。
「その、すみません、色々と、よくわからないんですが、僕が拘束されているのは、それが理由だと」
「はい。そうですね。怪異に認定されているので、どうしても」
「怪異というのが悪いものだとするなら……僕は何か、悪い事をしたんですか」
「現地に居合わせた陰陽師達からは、貴方が荻野小鳥という少女を、鉄の塊で突き刺した、ということは報告されていますね。それを悪い事と捉えるのは、少しだけ早すぎる気がしますけど」
にっこりと、表情を崩さずに彼女は答え続ける。すると唐突に、男の方が、女性の肩を叩いて、その腹の底から鳴るような低音を吐く。
「記憶がハッキリしている。思考も正常。もう審問に出せる。さっさと吐かせて楽にさせよう」
淡々と、男はそう言って、葛城を睨んだ。
「人を呼ぶ。静かにしていろ」
怒調の籠った声で、男は言う。少し困り気味の表情になる女性の手を引いて、二人で扉の奥へ消えていった。
そろそろ、白が眩しくなる。目の端にも、何も映らない。結局彼等は水の一つもくれはしなかった。静かにしていろと言われても、静かにする以外に出来ることが無かった。
暫くすると、扉が三度開かれる。ガチャンという音に反応して、葛城がそちらを見ると、今度は、黒いスーツの男だった。その姿を見るに、やはり彼も先程の二人も、あの井戸の底で出会った黒服の集団の中まであるということが伺えた。
「あ、良かった。ちゃんと起きててくれたんですね」
少し疲れたような表情。白い髪が、目にかかっていて合いにくい。猫背気味だがそれなりの長身で、体躯は良い方に見えた。
「数日眠っていたんですが、歩けそうですか」
体は怠くないか、腹は減っていないかと、その男はずっと声をかけながら、葛城の拘束具を解いていった。葛城が解放され、上半身を起こす。少し蒸れて擦れた手首を見ていると、男は申し訳なさそうに顔をのぞかせた。
「すみません、一応、これをつけさせてもらって良いですか」
彼の手にあったのは、刑事ドラマなどでよく見るような、頑丈そうな手錠だった。所々錆びついていて、古くから使われていたことが分かる。
葛城が大人しく、はい、とだけ呟いて、両手を差し出す。男は床に膝をついて、手錠をかけた。
「では、これで、会議の方に出てもらいますね」
彼はそう言うと、一息に立ち上がる。
「あの」
葛城が口角を歪めながら、男の顔を見上げた。
「どうしましたか。やっぱり歩けなさそうなら、車椅子を持ってきますけど」
「いえ、そうじゃないんです」
「じゃあ、何処か痛みますか」
「あ、あ、あの、そうじゃなくて」
煮え切らない言葉を発する葛城に、男はもう一度膝をつく。そうして目線を合わせると、もしかして、と呟いた。
「誰からも、何も説明を聞かされてないんですか」
男の落胆に、葛城は、はい、とだけまた零す。男はその返答に、数秒口をつぐむと、また口を開いた。
「あまり時間をかけると色々な人に心象を悪くするので、手短に説明させてもらいますね」
男はそう言って、葛城に淡々と、事務的な言葉を向けた。
「俺は国内能力者管理課に属する陰陽師で、交渉部という部署に所属している
同時に、と、男――真王はまた息を吸った。
「貴方は研究部と調査部という二つの部署に管理・収容・観察されている怪異という存在としても扱われています。これは、貴方が保護された現場の状況や、居合わせた他の陰陽師達の証言からそのように決定されました」
真王は少し申し訳なさそうに、そのまま続ける。
「これは、貴方の存在が貴方自身が思っているよりも暴力的で破滅的、且つ、危険であると、管理課として認識されているということです。そして、そのような存在を、管理課……非能力者である多くの民を守る我々としても、どう扱うべきか……それを決めなくてはいけません」
手錠を撫でる。葛城の手は、己では気づかなかったが、汗で酷く濡れていた。
「能力者として、怪異として、貴方をどう管理するか……今からその審議が始まります。最悪の場合、処分、ということになってしまいますが、その、それを回避するためにも、貴方の口から言葉が必要なんです。俺達交渉部としては……長である鈴さんの意思もありますが、能力者として、この管理課に貢献して欲しいと」
そう思ってるので、お願いします。真王はそう言って、ぎこちなく笑った。心の底からの言葉ではない。彼にも立場というものがあるのだろう。最初から、断るつもりも何も無かったが、淡々とした声に、少しだけ頭の整理がついた。
葛城はへにゃりと笑って、ベットから立ち上がる。
「とりあえず、死にたくはないので、その会議室とか、連れてってもらえませんか」
その言葉を聞いた、ホッと胸をなでおろした様な真王は、立ち上がって葛城を見下ろした。落ち着いて、それでも少しだけ早歩きで、二人は白い部屋の、白い廊下を歩く。幾つもの鉄扉が廊下に並んでいた。僅かなその隙間から、ヘドロのような何かや、獣のような人の瞳が見えた気がした。
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