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3月17日の午前中に樋口宏伸の遺体は樋口家に返された。渋谷区松濤の樋口邸の前には朝から降り続く雨にかまわず多くの報道陣が詰めかけている。
「鬱陶しいわね。この雨も、あのマスコミ達も」
樋口雅子は三階の自室のカーテンの隙間から外を見て忌々しく呟いた。雅子は宏伸の母親であり、樋口コーポレーションの現会長だ。
『しょうがないさ。兄貴が死んだだけであれだけマスコミが集まるってことはそれだけうちが有名ってこと。マスコミの数は有名税みたいなものだよ』
雅子の部屋で
「あんたが宏伸を殺ったの?」
『息子を疑うなんてひでぇ母親だな。残念ながら兄貴を殺ったのは俺じゃない。でも俺以外にも兄貴を殺したかった人間は山ほどいる』
俊哉は飲み終えたコーヒーのカップをそのままにして立ち上がった。雅子はまだ訝しく俊哉を見つめる。
「4時に役員会議よ。遅れないようにね」
『わかってるよ。俺の社長就任が決定する大事な会議に遅れるはずないだろ?』
口笛を吹いて彼は雅子の部屋を出る。軽い足取りで長い廊下を進む俊哉はある扉の前で足を止めた。そこはもう何年も封鎖されている空き部屋だ。
(アイツが生きていたら24になるのか……いや、生きてるわけないよな)
漏れた溜息はすぐに自嘲の笑みにすり替わる。メイドの杉田奈々がこちらに歩いて来た。
「俊哉様、どうされました?」
『別に。……奈々、少し付き合えよ』
俊哉が奈々の細い腕を掴む。奈々は頬を赤らめてかぶりを振った。
「あの、今はいけません。雅子様もいらっしゃいますし私もまだ仕事が残っていますから…」
『家政婦長の婆さんには俺に仕事言いつけられていたって言っておけ。俺の相手をするのもお前の仕事。採用の時にそう言っただろ?』
メイド採用に応募してきた奈々の面接をしたのは俊哉だ。採用されたその日に奈々は俊哉の愛人になった。
奈々を自室に連れ込んだ俊哉の部屋から鍵のかかる音が聞こえた。
*
――降り続く雨の音が次第に強まる。貴嶋佑聖の屋敷の一室。スパイダーはパソコンに接続したヘッドホンを外して苦笑した。
『兄が死んだばかりなのに次男はお盛んですね』
パソコンの画面は四つの枠に区切られ、それぞれの枠内に樋口邸のリビングや玄関、各部屋の様子が映し出されている。画面右下には俊哉の部屋が映り、半裸になった俊哉とメイドの女性が抱き合う映像が流れた。
『女の方は杉田奈々、21歳。2年前からメイドとして雇われています。あのメイド、お兄さんのことが好きらしいですよ』
「俊哉兄さんは顔だけは良いからね」
部屋のソファーでは莉央が優雅に紅茶を飲んでいた。他人の情事を覗き見る趣味はないスパイダーは右下の画面を俊哉の部屋から別の部屋に切り替える。
スパイダーは再びヘッドホンを装着した。樋口邸のいたるところに仕掛けたカメラと盗聴器を通して樋口家の様子はこちら側に筒抜けだ。
(そろそろ第三ステージの準備をするかな)
彼は高速のブラインドタッチで次の計画の準備に取りかかった。
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