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 上野から樋口コーポレーション前会長、樋口祥一の愛人について調査を頼まれた早河はその夜に六本木に出迎いた。


 六本木ヒルズや東京ミッドタウン、けやき通り……きらびやかな街の表側とは一線を画す六本木の裏通りにそのキャバレーはある。

地下に通じる階段を降り、金の取っ手のついた木製の扉が彼を出迎えた。取っ手を回して扉を押し開けるといつものあの、甘い花の香りが漂ってくる。


「あらぁ。ジンちゃんいらっしゃい」


 この店の主人、みき子ママが早河に気付いて笑顔を見せた。ローズ色の口紅に紫色のラメのアイシャドウ、金髪の巻き髪。化粧と髪型は女性だが声と体格は男性のまま。

年齢は推定で50代。名前はここではみき子と名乗っているが本名が三紀彦みきひこであることを早河は知っている。


「珍しい。今日はひとり?」

『ママとゆっくり話がしたくてね』

「まぁ嬉しい。最近全然顔を見せに来てくれなかったから寂しかったのよぉ」

『ごめんごめん』


カウンター席に落ち着いた早河は店内をざっと見渡した。客は早河を除けば五人。ステージでは扇情的な動きでポールダンスを披露する女性が二人。客は皆、酒を片手にトランプをしたりステージに釘付けになっている。


「何にする?」

『烏龍茶』

「まったくぅ。うちに来てノンアルコールの烏龍茶を頼むお客さんはジンちゃんくらいなものよ」

『仕事中だからね』

「今度はプライベートで来てよねぇ」


みき子はグラスに氷を入れ、烏龍茶を注ぐ。早河の接客だけは他の従業員には任せずにいつもみき子が行っている。それは早河がここを訪れる時は必ず、みき子に用があるからだ。


 六本木界隈のことならみき子に聞け、と言われているほどみき子は六本木の裏事情に詳しい。みき子なら樋口祥一のことも知っているかもしれない。


「要件は?」

『樋口コーポレーションの前会長の樋口祥一、知ってる?』

「もちろん。有名な方だもの」

『じゃあ樋口祥一に六本木のホステスの愛人がいて、愛人が祥一の子供を産んだって噂を耳にしたんだけど、これは本当の話?』


早河は冷たい烏龍茶に口をつけた。彼の目はみき子の表情の変化を捕らえている。

みき子のわずかな目の泳ぎはかつて刑事として鍛練を積んだ早河だからこそ見抜けた動揺だ。


「ジンちゃん。その一件があなたの仕事に必要なことなのね?」

『俺も依頼されてこの件を調べているんだ。何か事情があるのかもしれないが、ママが知っていることを話してくれると俺も助かる』


みき子は肩を落として目を伏せた。それから煙草をくわえて一服する。


「ジンちゃんに頼まれたら仕方ないわね。……祥一さんの愛人って言うのはサクラちゃんのことよ」

『サクラ? 本名?』

「サクラは源氏名。あの子、冬生まれだからサクラって名前に憧れていてね。本名は……寺沢美雪」


 みき子は店のコースターの裏側にボールペンで寺沢てらさわ美雪みゆきと記入した。達筆なみき子の文字で書かれた名前を早河が手帳に書き写す。


『寺沢美雪はいつ頃、樋口祥一の子供を産んだ?』

「えーっと……私がこの商売に鞍替えしてからになるから20年以上は前になるわね。美雪ちゃんとは故郷が同じでね、よく私のお店に遊びに来てくれたの」

『ママは寺沢美雪と親しかったんだ。ママの故郷って北海道だよね?』

「あら、よく覚えているじゃない。故郷なんてもう何年も帰っていないのだけどね」


 常連客が会計を済ませて店を出る。客の見送りでみき子との会話はしばし中断した。

茹でた枝豆を食べながら早河はみき子の戻りを待つ。枝豆を自分で購入して家で茹でることはほとんどない。出先で食べる枝豆とはどうしてこんなに美味しいのか、長年の疑問だ。


 みき子がカウンターに再び戻ってくるとまた話を再開した。まだ肝心のことを聞いていない。


『産まれた子供の性別は?』

「女の子。10月産まれの子よ」


樋口祥一の隠し子は娘だった。カオスのクイーン存在説がより濃厚になってくる。


『寺沢美雪は今どこにいる? 東京? 北海道?』

「美雪ちゃんは亡くなってるの。もう10年は経っているかしらね。彼女は故郷の北海道で出産したの。でも元々身体が丈夫じゃなくて、疲労から病気になっちゃって……」

『そうか……それで母親の寺沢美雪の死後、娘はどうなった?』

「それがわからないの。美雪ちゃんのご両親は美雪ちゃんが幼い頃に亡くなっていて身寄りがないのよね。私は娘さんに電話をもらって美雪ちゃんが亡くなったことを知らされたわ」


 店内に流れる音楽が女性ヴォーカルのメロウな曲調になる。ステージで踊る女の腰が妖しくうねり、客達を楽しませた。

人に聞かれたくない話をする時は逆手をとって賑やかな場所でする方がいい。特にこういったキャバレーはその手の話の場に向いていた。


『娘はその時何歳だった?』

「中学生だったかな。あの年頃にしては大人びてしっかりした口調のお嬢さんだったのよ」


 早河は考えた。寺沢美雪が病死したのは約10年前。その当時に中学生だった娘は今は成人して23歳~25歳程度になっている。

ちょうど、なぎさと同年代だ。


「美雪ちゃんが亡くなる少し前に美雪ちゃんから手紙が送られてきたの。娘さんの写真も一緒に入っていてね、美雪ちゃんにそっくりの綺麗な子。あれを美少女って言うのかしらね」

『その写真まだ持ってるなら見せて欲しい』

「探せばあると思うけど……ねぇジンちゃん。依頼で調査しているのはわかるわよ。でも一体どうして今さら美雪ちゃん達のことを調べているの?」

『それはこの業界では聞きっこなしだろ?』


訝しく探りの目を入れるみき子とやんわりと受け流す早河。どちらも人を欺くことに関してはだ。

今回はみき子が折れた。


「ま、いいわ。探しておく。武田さん(※)に情報料はつけておくからね」


(※ 武田健造財務大臣。キャバレーの事実上のオーナー)


『頼むよ。で、娘の行方がわからないって言うのはどういうこと?』

「娘さんに美雪ちゃんの訃報の電話をもらった1ヶ月後に北海道の美雪ちゃんの家に伺ったの。お線香をあげにね。でも美雪ちゃんの家には誰も住んでいなかった。そりゃあ中学生の娘さんひとりで住まわせてはおけないからどこかに引っ越したのかと思って、近所の人に聞いてみたわ。そうしたら娘さんは突然姿を消したって言うのよね。祥一さんが娘さんを引き取ったんじゃないかな」

『警察の調べでは祥一に愛人がいたことも子供の存在も祥一の妻に否定されたらしいけど』

「そんなの当たり前よ。美雪ちゃんは祥一さんの奥さんのせいで故郷に帰るハメになったんだもの」


みき子はあの頃の記憶を思い出して悲しげに目を細める。


「美雪ちゃんが祥一さんの子供を身籠った時、奥さん怒り狂っちゃってね。あれは凄かった。美雪ちゃんが働いているお店嫌がらせして美雪ちゃんを東京から追い出したの。その嫌がらせがあまりにも酷かったものだから祥一さんも娘さんを認知するのを諦めるしかなくてね」

『だけどママは祥一が娘を引き取ったと考えているんだろ?』

「祥一さんは娘さんを溺愛していたのよ。樋口家の子供は男の子しか居ないから唯一の女の子でしかも美雪ちゃんによく似ている娘さんが相当可愛かったんでしょう。祥一さんは美雪ちゃんと娘さんに会いに頻繁に北海道にも行っていて、帰りは私のお店によって北海道のお土産を持ってきてくれたの。あの人は本当に気前のいい紳士だった。彼が娘さんを引き取ったのは間違いないと思う」


 いつの間にかみき子は早河の隣の席に腰掛け、ぼんやりと頬杖をついている。生前の寺沢美雪と樋口祥一の歴史の1ページにはみき子の存在もあり、みき子は二人の行く末を見守っていた。


『娘の名前、覚えてる?』

「待ってね。今思い出すから。んー……リサ……リカ……マオ……違うなぁ。べっぴんさんによく似合う綺麗な響きの名前だったんだけど……」


こめかみに手を当ててしばしく唸っていたみき子がパチンと指を鳴らした。


「そうだ。りお! りおちゃんよ!」

『寺沢りお、か……』

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