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3月16日(Mon)午前9時半
早河探偵事務所のテレビ画面が丸の内にある樋口コーポレーション本社ビルを映している。マイクを握ったリポーターが同じ内容のリポートを熱っぽく繰り返していた。
所長の早河仁のデスクに香道なぎさはコーヒーを置く。彼女も早河の視線の先にあるテレビを見る。
「この事件、凄く騒がれてますね」
『樋口コーポレーションと言えば建設業界大手だからな。そこの社長が拉致されて殺されたんだ。騒がれるのも無理ない』
早河はコーヒーカップを持ち上げ、ブラックのまま一口飲んだ。樋口コーポレーションと言えば3ヶ月前の女子高生連続殺人事件の際にも耳にした社名だ。
『この手の事件は捜査が長引くと厄介なんだよな』
頬杖をついてテレビを眺めていた早河の携帯電話が鳴った。着信は刑事時代の上司の上野恭一郎。
『……はい、早河です。……はい、いえ今日は何も。……わかりました。……はい。……なぎさ、今から上野さんがここに来るそうだ』
「ここに?」
『急ぎの要件のようだけどなんだろうな』
彼は無意識にテレビに視線を向ける。リポーターが熱弁を振るっていた樋口コーポレーション本社前の中継は終わり、映像はCMに切り替わっていた。
「樋口コーポレーションの事件の関係だったりして?」
『……なぎさの当てずっぽうも意外といい線行く時があるからな』
上野恭一郎はそれから30分後に早河探偵事務所に到着した。上野の顔には疲労の色が濃い。彼は指を目に当ててまぶたを揉んだ。
『上野さん大丈夫ですか? 寝不足のように見えますけど……』
『あの樋口コーポレーションの事件にかかりきりで寝る暇もない』
『あの事件ですか。さっきもニュースで中継やっていましたよ。犯人の手掛かりが掴めないとか』
『今の段階で有力な被疑者はいない。だが正式発表はしていないが犯人の手掛かりになりそうなものは見つかった』
上野は数枚の写真を早河に渡す。
『これは酷いですね』
『俺も久しぶりにこんなに無惨な死体を見たよ』
『大企業の社長を狙った金銭目的の誘拐ではなさそうですね。明らかに殺すことが目的ですよ、これは』
『犯人は最初から樋口社長を殺害するつもりだったんだろう。こっちの写真も見てくれ』
二枚の写真をテーブルに並べた上野は片方の写真を指差した。
『これが樋口社長の遺体から検出された銃弾、こっちが……香道から検出された銃弾だ』
『香道さんの? ……それって……』
デスクでパソコンを打っていたなぎさの手が止まり、彼女が顔を上げた。上野と早河はなぎさの存在を気にしつつ、話を続ける。
『あの時、香道を撃った貴嶋の銃と樋口社長を撃った銃の弾のタイプが一致した。どちらも9ミリパラベラム弾。去年の女子高生連続殺人事件の犯人が所持していたベレッタ92に装填されていた弾もパラベラム弾だった』
上野がここを訪れた理由を早河は理解した。なぎさを見ると彼女の顔は強張っている。
『樋口社長殺害にカオスが関わっているかもしれないと?』
『確証はない。弾のタイプも偶然の一致とも考えられるが、2年連続でカオスの人間が犯した事件の銃に同じ弾が使われているからな。去年の事件のようにカオスが裏で指揮している可能性はある』
『カオスに所属する何者かが樋口社長を殺した』
『あるいは幹部自らが手を下したか……。深読みのし過ぎかもしれないが』
しばらく静寂の時が流れる。上野はぬるくなったコーヒーをすすり、早河は二枚の銃弾の写真を見て押し黙る。
パソコンに向かうなぎさはミスタイプを繰り返していた。
『案外、深読みでもないかもしれませんね。現在わかっているカオス幹部は貴嶋を入れて四人でしたね』
『辰巳時代の幹部の構成を考えても、名前が挙がるのはキングの貴嶋、ケルベロス、スパイダー……おそらくスコーピオンもいるだろう』
「キングがいるならクイーンがいてもおかしくはないですよね。トランプでもチェスでもキングとクイーンがいますし……」
デスクにいるなぎさが唐突に呟いた言葉に早河と上野はハッとして顔を見合わせた。
『確かにクイーンがいてもおかしくはない。クイーン……とすると女?』
『樋口社長の女関係はどうなんです?』
『それが呆れるくらいに女関係は派手なものだった。愛人は四人、他にも女子高生との援助交際までしていたものだから、小山なんかは吐き気がするとボヤいていた。しかし関係があった女は全員が樋口社長が拉致された時刻のアリバイがある。人を雇って実行させたとも考えられるが、何せ樋口社長は金のなる木だ。わざわざ彼を殺して金銭的援助を失うことはしないだろう。ただひとつ、気になることはある』
上野は手帳を取り出してページをめくった。目的のページを見つけた彼はまた眉間にシワを寄せる。
『樋口社長の愛人のひとりに六本木のホステスがいるんだが、そのホステスからの情報だ。樋口社長の父親……つまり樋口コーポレーション前会長の樋口祥一の子供を産んだ六本木のホステスがいたとか。六本木では有名な話らしい』
『樋口家の家族構成では子供は長男と次男の二人だけですよね。隠し子ですか?』
『あくまでも噂だ。もう20年以上も前の話で樋口祥一は9年前に病死している。事実を確かめようにも祥一の妻の雅子には根も葉もない噂だと否定されたがな』
『正妻としては否定するしかないでしょうね。もし本当に前会長の愛人が子供を産んでいたとすれば子供は20歳以上というとこですね』
すべては憶測。火のない所に煙は立つか、立たないか。
『愛人か子供が樋口コーポレーションを恨んでいるとすれば、カオスと繋がって何かをやらかそうとしているとも考えられます』
『これはカオスが関わっている事件かもしれない。お前に樋口祥一の愛人の調査を頼みたい』
『わかりました。やれるだけのことはやってみます』
今回の依頼人:警視庁捜査一課警部、上野恭一郎
依頼内容:樋口コーポレーション前会長、樋口祥一の愛人捜し
元上司から舞い込んだ依頼。この事件が早河仁と香道なぎさにとっての転換期となることを、彼らはまだ知らなかった。
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