裁きと
それを目にした時、私は内蔵が全て腹からぼとぼとと落ちきって、死んだように力が抜け落ち落胆し、私はもう、それを意外にも受け入れていた。
やはり、という言葉が全てを勝った。もう半ば、諦めていたのだろう。
落選。
いつもと同じ、一次すらかすりもしない。口からは言語は発せられず、ただ笑い声が、滔々と溢れ出ていた。それでいて、街をふらふらと歩く様は、傍から見たら、半狂人のように見えただろう。
私はどこへ行くのだろう。
煌びやかな街道ですれ違う人々は、水底の藻のようにゆらゆらと上半身を揺らしながら歩く私を振り返る。
私、今初めて特別になったのかもしれない。
そう思うと、少し愉快だった。
何となく、スマホの電源を付けてみた。いつから見ていないのだろう。ラインを開いてみると、結奈からの、それなりの数の通知が溜まっていた。トークを開くと、二日起きくらいに数件ずつ、「大丈夫?」「生きてる?」などのメッセージが送られてきていた。遡っていると、「ごめんなさい」、「私が悪かった」など、懺悔の言葉もちらほら見受けられた。これも全て、私の弱さが悪いと言うのに。
罪悪感からか、それとも孤独感からか、私は結奈に電話をかけた。結奈は反射的に、とでも形容したくなるほどの早さで電話に出た。
「藍羅!?」
「うん、久しぶり……」
「……うん」
そして、小さく啜り泣く声が聞こえ始めた。私は罪悪感で胸が絞められ、その上針を何本も刺されるかのように、痛く、苦しかった。
「……藍羅、ごめん……。私、あんな事言っちゃって……あんな事言うつもりなんて無かったんだ……なのに、何でか……口が滑って……ごめんなさい……そして、私を許さないで」
「……何馬鹿なこと言ってんの」
流れてくる音声は悲しく泣く結奈の乱れた息しか聞こえなくなった。
「……あの時は完全に私が悪いし、言われておかしくないし、その通りだし、その通りだったし、結奈は正しかったんだよ……そして、それを言ってくれた。なのにあの時はあんな態度しちゃって、突っぱねて、でも私、今では感謝してる。自分をよく知れた。……ねぇ、今から会える? 」
夜空には満月が登ってきた。それを見ながら、ブランコを漕ぐ私。錆びた鎖がキイキイと鳴く。結奈は酷く息を荒らげて、私の前に現れた。
「そんな慌てて来なくてもいいのに」
私はくすりと一つ笑った。溢れ続けていたあの不気味な笑い声は、もうとっくに治まっていた。
「……ごめんね」
私は、結奈の潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめ、そして頭を下げた。本意だった。今すぐここで心臓を刃物で突き刺して誠意を証明したい程には。だが、そんなのは意味がないと、自暴自棄から私は卒業した。これは紛れもなく、結奈のお陰だった。
「そしてありがとう」
「……ばか」
顔をあげると、ちょうど結奈の目の端から一滴、涙が輪郭を撫でるように落ちて、それは満月の冷たい光を受けて揺れ輝いた。そして、結奈の表情は泣くのを精一杯我慢して頬が震えながらも笑みを作ろうとしていて、その必死な様が微笑ましかった。こんな儚いまでに綺麗な人間に私は何てことを言ってしまったのだろう。私は取り返しのつかない罪に、聖らかな十字架で貫かれたいとまで思ったが、私も彼女も笑っている、これはこれで良いんじゃないだろうか。流石にこれは楽観し過ぎだろうか。だけど、そんな風に思えてくるのだ。
「ねぇ、小説……読んでもいい? 」
「ああ……家に帰らないといけないかな。PCの中に入っているから」
「じゃあ家まで行っていい……? 」
「あー、うん、そのかわり……親にばれないようにね」
積極的な結奈が意外で、そして興味を持ってくれたのが嬉しくて、私は結奈の前を先導し、家まで案内した。
結奈に靴を持たせて、忍び足で階段を上り、自室に潜り込むと鍵をかけ、そして、私は結奈の白のスニーカーをひっくり返して床に置き、結奈を椅子に座らせた。PCを起動させ、いつもは一連の流れで削除、だが今回は初めての読者が私の駄作を読む。それに戦々恐々しながらも、歯を噛み締めて、いつもより重く感じるマウスをクリックして、ファイルを開く。
「……『世界』」
二人の微かな吐息と、下の階から響く食器のぶつかり合う音、そして外から聞こえる虫の歌だけが今の世界の全てで、その中で小一時間、私はただ結奈とディスプレイを交互に、繰り返し繰り返し見つめていた。結奈は一言たりとも喋らなかった。その事がまず、嬉しかった。そして、読了した結奈は胸に溜めた空気を大きく吐き出して、次に発せられる言葉が恐ろしくて俯き気味だった私の顔を、上目遣いで覗き込んだ。
「……醜い。この単語が何回も何回も出てきたけど、私、この小説、全然醜いとは思わないよ。むしろ、綺麗だって思った」
「……綺麗?」
その言葉に私は愕然として、そして膝から崩れ落ちそうになった。
私という醜い人間をそのまま写し出そう。自分へ送る憎の歌。
だが、私はやはり、ただの女だったようだ。やはり自分を美化してしまう、浅はかさ。笑いがまたふつふつと腹の底から込み上げてきた。
「……綺麗……綺麗かあ。私、自分の醜さを……そのまま書き出したかったのになぁ……何でなんだろう……馬鹿みたいだ」
「ほんとに馬鹿。だって藍羅、どこが醜いって言うの?」
「え……? 」
「……自分を説明出来ないでしょ? 醜い、その言葉に、縋ってたんだね……」
「縋ってた……?」
「醜い、その言葉に寄りかかって、思考停止して、自分を刺すことで逃げていたんだね。他の痛みを軽減する為に。だけど、やっぱり逃げきれないんだ。わかるよ、私も死に囚われていたから。いや、今でも。だから心臓の絵を描くの。そして、心のどこかでそれを気づいているの。で、また自分を刺してしまう。でも、藍羅は何も醜くなんてないよ? 藍羅は、必死なだけなんだ。皆、当たり前って範疇の内に居るんだけど、藍羅はそこから脱却しようと必死だった。それだけなんだよ。足掻く様は醜いかもしれない、けど同時に美しいんだよ。……私、その美しさが形になった藍羅の小説が好き。それにね、藍羅は特別だよ、私にとっては」
私はもう溜め息を吐くしかなかった。
――特別になりたい。
その理念は浅ましく醜いものだと思っていた、無理だよと彼女は言った。だか、その姿勢を美しいとも言った。
――ぶっ殺すような文学を。
私は自分を器用に美化するただの女、特別などではない。普遍、凡庸、誰も殺せない。自分さえも。
――どこに行くのだろう。
別にどこにも。だってこの世はどこも等しく地獄なのだから。
――芸術と呼んでほしい。
誰だって、生きている以上芸術なのだ。ただ、それを形にし新たに生み出すのが作家。それだけだ、それだけなんだ。
「……ねぇ、藍羅の夢は?」
私の夢。それは、
「小説家になる《好きな事して死ぬ》こと」
「……そうだよね。私は絵描きになるよ。あの日の約束はきっかけ。私が好きだから、絵を描いて生きていく。そして、私の夢はね、藍羅といつか合作を作る事なんだ。名が売れたら、ね。だからまず……」
そして結奈は私の手を引き、大輪の笑みを咲かせながら言った。
「二人で一緒に世界広げていこうよ」
世界を広げる。
それはあまりに大仰な、人がかつて空を羽ばたくことを夢見たように、まさしく夢物語で私は笑いが零れた。
だが、面白い。
変に意固地になって、己を刺して、全て無くそうとしてしまうなら、いっそ己が馬鹿だと嘲笑うような前向きな夢ばかり見て。
この世は地獄だ。皆が皆、揃いも揃って私を刺し、蹂躙し、無意味にする。だが、それは私だけじゃない。皆が皆、そうなのだ。
私は、自分が特別だと勘違いしてきたんだ。まさしく、夢を見ていたんだ。愚かな夢を。
――私はどこに行くのだろう。
どこにでも行こう、生きている以上。それにどこだって地獄だ。どこにも純白など無く、食い合い、塗り潰し合い。これが世界、私たちの悲しい性。
もしも、理想郷、天国があるならば、そこは私をただ生きるだけの肉塊と変え、そしてゆっくりと殺すのだろう。どうせどこに居ても、死ぬ。
だが、生きなければ。一度きりの人生だ。どうせ全ては最後、灰となる。全て、どうせ終わる。ならば、今を生きなければ。全て無意味であるならば、せめて、意のままに。
「特別になろうね」
「もちろん」
その三年後、結奈はあっけなく、夢も叶わぬ間に、しかも心臓の病気では無く癌で死んだ。
「藍羅と必死にやってこれた。悔いは無いよ。見ててね、笑って死んでみせるから」
そう言っておきながら、最期は泣きながら意識を失って死んだ。
それからまた三年後、私はまだ筆を握っていた。
なんの為に書いているのか。それは結奈を殺さぬように、そして私が死なぬように。
結奈を殺さぬよう書くようになった私は遂に、賞をとるようになった。皆が知るような大きな賞もとった。私は特別になった。
だが、特別となった今は、映る景色全てに虚しさを覚える。そこに彼女は居ないのだから。
だから私は筆を握る。その時だけ、そこには彼女が居るのだ。
今日も私は彼女を生かし続ける。
彼女の魂が綴られた小説はさぞかし売れた。
だけど、その全てが酷く虚しい。
人はいつか、死ぬ。だからせめて、後悔の無きよう、大いに狂って、生きていこう。
世界は無慈悲なのだから。
私達はどうせ死ぬのだから。
お前もどうせ死ぬのだから。
世界 緑夏 創 @Rokka_hajime
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