第1話


 ある春の暖かな日。

 家の外には引っ越しのトラックが止まっている。

 そのトラックに、隣の家から業者の人によって運び出される家具が次々に積み込まれていた。そして俺の隣には、近くで家具が運び込まれるのを悲しげな表情で見守っている少女がいる。

 ………。この景色は見覚えがある。

 どうやらこの風景は……俺が小学三年生の時、隣に住んでいた幼馴染が引っ越すときの記憶、夢の中の様だ。

 後ろを振り向くと俺の両親が、これから遠くに引っ越してしまう少女の両親が話をしているのが見えた。視線を少女に戻すと、今迄泣かないと我慢していたのが堪え切れなくなったのか、少女が涙を流し始める。


「グズッ……グズッ……いやだよう……ひっこしたくないよ……ようすけ……うわぁぁぁあん………!」


 俺はオロオロとしながらも必死で慰めようとしたのを今でも覚えている。

 慰めようとして、泣きじゃくる少女の頭をやさしく撫でた。


「そんなになくなよ。もうぜったいにあえなくなるわけじゃないんだから、ね。」

「グズッ……で、でも……いやだよぅ……グズッ……うっうっ……」


 なかなか泣き止んでくれない少女に、この時の俺は色々精一杯考えて泣き止ませる方法は確か、写真だったか。

 確かまだ小さい妹の弥生を抱きかかえている母親の代わりに、父親に家にあったインスタントカメラを持って来て貰い、別れの一枚を取ることにしのだった。


「ほら、ゆいかちゃん。はやくなきやんで。ないているとさびしいしゃしんになっちゃうよ。」

「………っ……うっ、うん……!」


 服の袖で少女は涙を拭い、今できる精一杯の笑顔で俺の父親の構えているレンズの方を見る。

 そして俺は隣に並び父親にシャッターを切って貰うのを待つ。

 シャッターの「パシャッ」と言う音が聞こえた。


「ようすけ、またあえるよね……?」

「うん。やくそくするよ、ゆいかちゃん―――」


……………………………………………………


 その瞬間に夢の世界から現実の世界に戻った。

 体を起こして両手を上に伸ばして伸びをする。


「……んっ。もう朝か……ふぁぁあ。なんか、夢を見てたような気がするような……」


 …………。なんの夢だっけ?

 ベットから起き上がってぼーっとしていると、何処どこからか「ピピピピッ」とスマホの目覚ましアラームの音が小さく鳴り始める。

 どうやら枕の下に埋まって音が小さくなってしまっているようだ。

 枕の下からスマホを出してアラームを止め、充電ケーブルを抜き、スマホを持って部屋から出て階段を下りていく。


「あら、おはよう。今日は珍しく早いのね。」


 下に降りてリビングに行くと、母親が朝食のトーストをテーブルに運んでいた。


「おはよー……何だか今日は何故かアラームがなる数秒前に目が覚めた。」


 洗面所に行き、水で顔を濡らし、石鹸を泡立てて顔を洗う。

 すると起きてまだ間もなく、残っていた眠気も無くなり、サッパリする。さっきまで感じたもやのようなものはすっかり消え去った。

 顔を洗った後、リビングに戻って椅子に座り、一口コーヒを飲み、トーストにマーガリンを塗って口に運ぶ。


 トーストを食べながら、ふとテレビに流れているニュースに目を向けた。


『四月十日。春の暖かな日差しの中今日が学校の入学式と言う方も多いでしょう。今日一日は晴れる予報で、お洗濯物もよく乾きそうですね。』


 ああ、そうか。

 別に忘れていた訳じゃないけど、やっぱり今日が高校の入学式の日だったな。


 リビングのカーテンレールには、新しい学校の制服がハンガーに掛けられている。

 実際のところ、行きたい高校に受かったと言う実感がまだ湧いていない。

 何と無くで選んで、何と無くで受かってしまったのだから仕方無いだろう。


 朝食を食べ終え、歯を磨いて、家着兼寝間着ねまきにしている中学校の青ジャージを脱ぎ、新たな学校の制服の袖に腕を通す。

 少し青みがかったワイシャツを着て、ネクタイを慣れない手つきで締め、左胸に学校のシンボルの縫いつけられたブレザーを身に纏う。

 中学校の時は学ランだった為、何とも言えない新鮮な感じがする。

 腕時計を引き出しから取り出して左手首に付けて時間を確認すると、思っていたよりも着替えに時間が掛かっていた事に気づいた。

 そして急いで電車の定期の入った財布とスマホを制服のズボンのポケットにしまう。すると母親に呼び止められた。


「あっ、ようー、今日凄いニュースがあるんだけど―――」


 正直、こんな急いでいる時に止めて欲しい。

 こういう時の母さんの言う凄いニュースという話は長いときがある。


「ごめん母さんっ! 今急いでいるから帰って来てからにしてっ!」


 そう言い残し、少し急いで玄関に出て行き、慣れない新しい学生靴ローファーを履いて外に出る。

 玄関の鍵を閉めて自転車の鍵を外し、そして高校に向かう為の最寄り駅まで自転車を一気に漕ぎ始めた。


 陽介の暮らす、この町はこれとって特に何もない。

 あえて言うなら江戸時代前期頃に、どっかのお偉いさんの命令で作られた全長24キロメートルの用水路があったり。

 そのお偉いさんの墓のある、秋になると紅葉が綺麗な寺があるくらいだ。

 他には大学生の小説家さんがこの市の何処どこかに住んでいるとか……


 まだ少しヒンヤリする空気の漂う道を自転車で進んでいく。

 朝が少し早いと言う事もあって駅に向かう道の人通りは少なかった。


 駅に向かう途中交差点の信号待ちで偶然、俺と同じ制服を着た親友、松下まつしたなつが信号で止まっているのが見えた。


「おっ陽介。おはよう。」

「おはよう、夏。こんな所で会うなんて珍しいな、折角だし高校まで一緒に行かねえか?」

「いいねー、よし。一緒に行こうぜ。」


 夏と「高校で何部に入る?」や「どんな人が同じクラスになるかな?」「同じクラスになれるといいな。」など、これからの高校生活に期待を込めた話をしながら駅に向かうと、何時いつの間にか駐輪場の近くまで来ていた。

 駅から歩いて数分の距離にある駐輪場に自転車を預けて、歩いて駅に向かって行く。


「にしてもなぁ。通学に電車を使うってのは何か違和感があるもんだよな、ナツ。」

「確かにねー、まぁそのうちヨウも慣れるよ。」

「だな。これから乗り換えなし、急行電車一本で大体三十五分位電車に乗った先に学校があるんだし、直ぐに慣れるよな。」


 俺が今日から通う学校はここの駅から大体十数駅離れたところにある。

 まぁ、そんだけの距離を乗っていくんだ、慣れない方がおかしい。


 六時五十五分発、急行小川町行きの電車に乗り込む。

 朝というだけあって通勤にこの列車を使う人もそこそこいるらしく、席は全て埋まっているようだ。


「意外と人も多いねー」

「確かにナツの言う通り多いと思うけど、東京の方はもっと満員らしいし、この辺はまだ満員電車に乗っている人からすると少ないと感じる方なんじゃないのかな?」

「確かに偶にテレビとかで見たりするけど押し込まれたりして凄いよ、アレは。」


 そんな他愛もない話を吊革に捕まりながらしていると、気付けばもう川越駅に着くところだ。

 川越駅に着くと座っていた人が一気に人が減り、空いた所に座る事が出来た。

 正直、三十分ずっと立ち続けるなんてことは回避できて、少し安心する。

 丁度話のネタも底をつき、お互いスマホを弄ったり好きな事を残りの時間する事になった。

 俺は、前に抱えていたリュックから本を取出して、しおりの挟んでいる所から読み始める。


『次は、東松山。東松山です。お降りの際はお手元のお荷物などのお忘れ物が無いようにご注意ください――』


 ついつい物語に夢中になってしまっていたが、電車のアナウンスで降りる駅の名前が聞こえ、再びしおりを挟んで本をしまう。

 本をしまってから気づいたんだが、この辺まで来るともう殆ど同じ制服を着た学生しか残っていない。


 そして駅に着き、一気に生徒達が改札に向かってホームの階段を、エスカレータを上っていく。


 全員降りる駅が同じなのだからこれからもこういう感じになるんだろうな。


 そう思いながらも、その人の流れに乗って、俺も改札に向かうため階段を上っていった。

 改札を抜けると、ある方向に向かって同じ制服を着た人達が向かって歩いて行くので、まず迷う事はないだろう。

 赤いレンガ造り風の駅から出ると、外のバスロータリにはスクールバス待ちの生徒達のかなり長い行列が出来ていて、その列に夏と並ぶ。この長い列を整えるのに高校の先生が三人ぐらい居る様だ。


「一列に並んでくださーい。歩行者の邪魔にならないように一列に――」


 先生達も頑張っているな、何処か気合が入っているご様子。

 まぁ、入学式の日なんだし当たり前か。


 並び始めて数分が経つと白い車体に緑色の線の入ったスクールバスが二台到着して、それにどんどん生徒は乗り込んでいく。


「なぁ、まっつん。このバス結構詰め込まれるな………」

「電車よりも満員って感じが凄いねー……」


 後から知った事なんだがこの高校のスクールバスにはタイプが二種類あるみたいだ。

 一つは一人席が両サイドに並んでいてほとんどの人が立つ型。

 もう一つはよく学校で借りたりする二人座れる椅子が両サイドに縦に並んでいる型があるらしい。


 因みに今回乗った方は前者の方で、きっつきつに詰められながらも十数分間、学校まで立たされていた。


 コレが電車と比べて交差点を曲がったりするものだから揺れが凄い。吊革に掴まっていても結構きつい。

 なんなら電車で立っていた方がラクと言うレベルだ。


 バスに揺られて二十分程してやっと学校に着いた。

 二つの出入り口が開かれ、生徒達が外に出ていく。

 やっと缶詰状態から解放される。


 この高校のバスロータリーはかなり綺麗だ。だいぶ最近整備されたばかりらしいから当たり前なんだけど。


 バスから降りると、この高校の教師達が何度も同じことをメガホンを使いながら言っていた。


『はーい、新入生の皆さんー。昇降口の方にクラス分けの表が貼られていますので確認次第速やかに教室の方に向かってくださーい。』


 クラスを確認しに昇降口の近くの、人の群がっているボードに貼られたクラス表を見に行く。


 えーっと五十嵐、五十嵐………あ。あった。九組か。 

 おしくらまんじゅう状態のクラス表の貼られたボードから少し離れると夏と直ぐに合流した。


「陽介、何組だった? 俺は七組だった。」

「俺は九組だったよ。」

「隣か。同じクラスになれなかったかー」


 夏は少し残念そうに肩を落とした。


「まぁ隣の隣なんだし結構頻繁に会えるだろう。」

「そうだね。」


 夏と話した後、少し周りを見回す。

 同じ制服を着た人がボードの前で記念写真を撮る人もいるな。

 こうした風景を見ながらやっと少しずつ、「ああ、高校に合格したんだな」という実感がわき始めた。


 そんな風景を見回していると何故かある人に向かって磁石のように俺の視線が引き寄せられる。


 同じ制服を着ていて、茶色いフワッとしたロングヘアー、見た目は清楚系って感じの女子生徒。

 何故そのこの方に視線が吸い寄せられたのかは分からない。

 気づけば目が向かっていた。


 そんなに意識して今の人を見ていたつもりはなく自分の中ではチラ見程度のつもりだったが周りから見ると凝視しているように見えたらしい。実際少しぼーっとしていたから凝視してしまったのかもしてない。

 夏が「おっ、陽介。気になる子でも見つけたか?」と話しかけて来たところでふと我に返った。


「いや、別に違う。なんか変な感じがしたような気が……」

「変な感じ?」


 なんか、不思議な懐かしい感じ……? がしたような気がした。


「ま、やっぱ俺の気の所為っぽいな。夏、そろそろお互いの教室に向かわないか?」

「ああ。そうだね。」


 昇降口で物を履き替え、さっき確認した自分のクラス、出席番号の下駄箱にローファーを入れる。そしてクラスのある一階の三号棟に向かう。

 クラスの教室にはまだ人が一人もいなく、どうやら俺が一番乗りだったらしい。

 一瞬教室を間違えたのか? とも不安になったが教卓の上に置かれた座席表をみると、自分の名前を見つけ、席も見つける。

 座席表の書かれていた席に座り、また暇潰しにさっきの読みかけのページを開く。

 読み始めた数分後、かなりオドオドした様子の男子生徒が入ってくる。

 どうやらあの人がクラスメイトの一人の様だ。

 ま。どうでもいいんだが。


 その生徒は教卓の方に行かずにオドオドした様子である席に座る。

 自分は何故か気付かなかったんだが、様子から察するに、どうやら廊下にも座席表が貼ってあったらしい。


 そしてその数分後、また一人、今度は女子生徒、しかも何故かさっき俺の視線が吸い寄せられたあの子が入って来た。

 その人が入ってくるのをチラッと確認した後、体を入り口の方に向けたまま視線を本に向けるが、あの子も俺と同じで外の座席表に気付かなかったのか、少しうろちょろしていた。

 するとあのオドオドして居た奴に向かってか「あの、コレって自由席なんですか?」と聞いているのが俺にも聞こえた。


 突然そんな事を聞かれたあのオドオド君は緊張でなのか、直ぐに答えられずにいる。俺は何かそのオドオドしている奴に苛立ちを覚え、俺があの女子生徒に向かって「教卓の上に座席今日がありますよー」と優しい声音こわいろで教えてあげた。

 すると「あっ! ありがとうございます。」と感謝した様子で一言言い、女子生徒は教卓の上の座席表を確認しに行く。


 なんで外にもあるかも知れないのに教卓方にあるって言ったかって?

 単純に面倒臭くて外にも有るのかどうか確認してないし、確実にあると分かっている方を教えた方が良いと判断したからだ。

 その女子生徒は座席表を確認すると、「えっ?」と少し小さな声でそう言った。


 この教室には三人しかまだ居ないんだ。

 静まり返っていて小さい音も結構聞こえる。時計の秒針の音すらも聞き取れる。


 何か問題でもあったのか気になったが、どうやらそんな大した問題ではないらしく、彼女は俺の後ろの窓際にある自分の席に着いた。

 一瞬俺が間違えて彼女の席に座ってしまっていたのかな? という謎の不安があったが、どうやら違うようだ。

 それから、俺は再び本の続きを読み始める。

 俺が本を読んでいる間にも、少しずつこれから一年間学校生活を共にするクラスメイト達が入って来ては自分の席について行っていった。

 そして本を切りの良い所で読み終え、周りを見渡すと何時いつの間に全ての席がクラスメイトで埋まっている状態だった。

 そして顔を上げたとき、丁度これからこの一年九組の担任をする事になる人であろう、優しそうな男性教師が少し緊張した様子で教室に入って来るところだった。

 教壇にその男性教師が上がり、教卓に黒い表紙の学級日誌を一旦置き、教卓の上の座席表に一瞬視線を落として顔を上げる。


「え~、みなさん。初めまして。これからこの九組の担任をさせて頂く岡村です。よろしくお願いします。」


 岡村先生は一言挨拶をした。 

 まだ慣れていないこの空間で「よろしくお願いします……」と数人が小さな声で返すのが聞こえる。


 恐らくこういう時に言葉を返せる人は、かなり空気が読めない人物か、かなり真面目な人しか居ないだろう。


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27話中1話目

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