30_彩果音楽室@1

 

 初めての合同練習から一週間、遂に米仲の『先生』に会う日がやって来た。


 自宅最寄り駅から電車で十五分、乗り換え一回でかわはり駅に到着。一番線と二番線しかない小規模な駅だった。改札も北口と南口の二か所のみ。


 僕が北口に一番乗りだった。誰かしら遅刻すると予測していたけど、全員集合時刻の五分前には北口にやって来た。疑ってごめんなさい。


「朝早くからご苦労さんだぜ。先生の教室までは十五分くらい歩くからよろしく」


「了解」


 僕以外は「ふぁーい」と欠伸あくび混じりの返事をしていた。


 革張は駅前にラーメン屋や居酒屋チェーン店がある程度で、歩けば歩くほど住宅街になっていった。移動開始から五分ほどでガードレールが消え、歩道と車道を区切る白線が途切れ、歩道は車道と一体化した。

 民家に挟まれた一車線道路なので通り過ぎる車もすべてゆっくり、安全運転だった。車との距離は近いが生命の危険は無い。


「この時間は殆ど毎日寝てるから、身体がビックリしとるわ」


「この時間寝てるって、斎藤君は一限目の講義とか取ってないの?」


「いんや取っとる。さとるの大学もこの時間一限目なのか」


「そうだけど、一限目の講義はどうしてるの? テスト結果で評価されるタイプの講義?」


「いんや評価の内訳はテストが四割、出席六割」


「でも、この時間は起きて無いんでしょ?」


「出席の後寝ればいい」


「あはは……」


 事も無げに斎藤は言った。


 講義中に眠るのは僕も偶にやるが僕の場合は不可抗力だ。


 例えばお昼食べたばっかりで眠い、昨日夜ふかしして眠い、春だから眠い、だから気づけば寝てしまう。始めっから眠るつもりで講義に臨んだりはしない。


 □


「俺はコンビニでブランチ買ってくるけど、他に来る人いるか?」


 米仲よねなかが立ち止まる。民家のトンネルを抜けるとそこには一軒のコンビニがあった。二車線道路を渡った先で寝ずの営業をしている。歩道にも縁石が復活を遂げていた。


「俺も行く。眠気覚ましに何か酸っぱいもん買うわ」


「俺も行こう。握り飯を食べる」


 こうして米仲、斎藤、鈴木の三人はコンビニへ旅立った。先生の教室に行くには今僕達が居る道を進むようなので、田中と二人で帰りを待つ。






 何かしゃべらないと。





「田中君は朝ごはん食べてきたの?」


「昨日作ったカレー食べてきた。悟は?」


 田中はキーボードを地面に縦に置いた。


「奇遇だね。僕も残りのカレー食べてきた」


「お、悟も朝カレーイケる口なんだ!」


 田中の表情に明かりが灯った。新学年のクラス分けで仲のいい友達の名前を同じクラスに見つけた時の顔だ。


「旨いと言えば、昨日練習帰りに食べたラーメン、あれも美味しかったな。悟はあの店もともと知ってたの?」


「いや。旨い店ないかなぁって探してみたら評価高かったからさ」


 真実から都合のいい事実をくり抜く。確かに昨日のラーメン屋「佐古さこ」は評判に恥じない味だった。


 僕の頼んだ醤油ラーメンは分厚いチャーシューが三枚、丸ネギごっそり、メンマ一山と一杯六百円とは思えぬ装飾がなされていた。縮れ麺はコシがあり、懐かしささえ感じる王道のスープと見事に絡んでいた。


 斎藤は大盛りどころか醤油ラーメンの他に、塩、味噌と追加し「兄ちゃん、うちのラーメン量が少ないかい?」と男店主を不安がらせ「このくらいの方が種類楽しめていいっすよ」と常人離れした回答をした。

 僕達は即座に「一般人には嬉しい大ボリュームです」と伝え店主の勘違い防止に努めた。


「先週、悟が初めてラーメン屋に寄る提案をした時は内心「ナイスッ」ってガッツポーズしてたよ。ラーメン自体も美味しかったけど、何より楽器担いで店に寄るってのが出来た。ずっと憧れてたんだよね。この感じ分かるかな?」


「分かる分かる! すっごい分かる! え!? 田中君も憧れてたんだ!」


 いた。分かる奴がいた。同じクラスに幼馴染でありライバルでもある親友の名前を見つけ、教室に行ってみたら苗字が結構離れてるのに僕の前の席だった嬉し過ぎる

 そんな顔を今の僕はしている。


「おお! 悟も、このちょっとした憧れ分かる人か!」


「分かりすぎるくらい分かる!」


 首を何度も縦に振る。作詞以外でここまでハイテンションになるのは久しぶりだ。


「よかったぁ。変な奴って思われるかと思ったよ」


「まさか! じゃあ田中君これは分かる?」


 楽器背負ってラーメンと同じ種類の羨望。

 最初に思ってから実現までかなり時間がかかったこと。


「なになに?」


 田中が半歩こちらに踏み出す。その表情はより明るくなっている。


「えーとね」



「楽器持って電車乗ると気持ちいい」



 今朝も体験した、些細な快感。

 これがずっとしたかった。

 これからももっとしたい。



「分かるっ!! それ、わかるっ!!」


 田中が右手で僕を指さす。


「分かる!? なんか優越感が生まれるんだよね!」


「そうそう! 人の視線なんかも快感だよね!」


「そうそう! そうなんだよ!」


 親友どころじゃない。結婚だ。運命の人だ。ベッドインだ。

 米仲、バンド内恋愛を許してくれ。


「悟と趣味が合って嬉しいよ。恥を覚悟で言ってみてよかった」


「僕もまさか分かり合える人が居るとは思わなかった。驚いたよ」


 同じことを思っていても、言わなければ伝わらない。もし田中が打ち明けなかったら、この共感は誕生しなかった。その場合、僕が田中へ、この「ちっさな羨望」をいつか打ち明けたのだろうか。


 うん。打ち明けていた。きっとそうだ。きっとそうだ。


 きっと。



「よいしょ」

 田中はキーボードを背負い、もう楽器の値段分は楽しめたかな、と、はにかむ。


「まだまだもっと楽しめるよ」


 きっと、この楽器はもっと沢山の願いを叶えてくれる。


 □

 

 買い物を済ませた米仲達と合流し、先生の元へ歩みを進める。

 しばらく進み大きな公園を横切ると、白く四角い建物が現れた。


「着いたぜ」


「ここが噂の先生の教室か。三階建ての木綿豆腐ってとこやな」


 斉藤がおにぎりの最後のひとかけらを口に入れる。この建物といい最初のスタジオのゴマ豆腐といい、音楽関係の建造物は四角形にする決まりでもあるのか。


 巨大な絹ごし豆腐の二階の大きな窓ガラス一枚一枚には、一文字の漢字が書かれた紙が貼り付けられていた。


 彩果さいが音楽教室 

 

 米仲の紹介でなければ敬遠するおしゃれな名前だ。


「予定より早く着いたけど入って大丈夫だろ」


「一応確認した方がいいよ。僕達は待ってるからさ」


 悟は心配性だなぁ、と残し米仲はガラス扉を引いた。米仲がマイペース過ぎなんだよ。



 ガラス越し見える受付は無人。米仲は右へ曲がりガラスの世界から抜け出した。


 無人の静寂が伝染したわけじゃないが、僕達は言葉を発することなく視線だけを先に入室させた。

 クーラーの涼しさを感じた気がした。


 少しすると、米仲がガラスの世界に帰還し、扉を開く。


「先生、準備できてるってよ。行こうぜ」


 米仲がガラス扉を押さえている。その横を一列になって進む。


 失礼します、とそれぞれ控えめに呟く。


 ひんやりとした空気が体を余計に緊張させた。


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