13_安い蕎麦屋は素晴らしい@1

 駅から歩くこと十分弱、住宅地の果てで「鉄定てってい」は今日も営業していた。


 店の前には「うどん」「そば」と記された黒色ののぼりが二つ立てられている。入り口に「鉄定」の文字が並ぶ赤色の暖簾のれんが掛けられ、その右隣には店内の座敷席を覗ける大きな丸型のガラス窓が一枚貼られている。


 それ以外は、ありきたりでこじんまりとした二階建ての民家だ。


 木材が格子状に組まれた引き戸を開き、入店。BGMもラジオ放送も流れていない店内は静かで、四つのカウンター席にも、三つの座敷席にも客は居なかった。ついでに店主の姿もなかった。


 かすかにかおる新品のたたみの匂いが、空気に和の彩りを添えていた。前回来店した際「畳、新調したんだよ」とおやっさんが自慢していたのを思い出す。


「おやっさん、おじゃましまーす」


 店内は広くないのでさほど声を張る必要はない。


「おーい、おやっさん」


 店の奥へ向けて再度呼びかける。しかし返事はない。


「おーい。おやっさん、いないのかー?」


 俺の声は受け手を見つけられずむなしく消えていく。

 声の消失点から沈黙が湧き広がる。店が開いてるんだから店主不在、ってことはないだろう。


「おやっさーん、団体客が来たぞー」


「ホントか!? らっしゃい!」


 カウンターの陰から、青い作務衣さむえを着たオヤジが飛び出てきた。


 白い頭髪を短く切り揃え、目じりには笑わずともしわが刻まれている。顔立ちは、昔は二枚目だったのかな? と、触れるべきか否かを相手に悩ませる作りをしている。


「おい、あんちゃん、三十名超えの団体客はどこだ?」


 と、釣り上げられたことに気付かない魚が陸地をぺんぺんと跳ねる様に、顔をきょろきょろさせ架空の客を探しているこの人こそ、俺が数年間通っている「鉄定」のあるじ


 前倉まえくらさとし

 通称、おやっさん。

 御歳六十三歳。


 年齢まで知っているのは、年齢が記載された大盛り無料券を誕生月に配布しまくるからだ。


「おやっさんが遅いから、『小師匠で済ませる』って行っちゃったよ」


「なんだと!? あのチェーン店め……。次は勝つからな!」


 とリベンジを誓うおやっさんは置いといて、俺は改めて、店内に視線を巡らせる。カウンターは四席、座敷には四人用のテーブルが三つ。しかも、あのテーブルは四人分のメニューが何とか乗る面積。残念ながら三十人のお客もてなす器量を、この店は持っていない。


どんぶり持って、立ち食いでもしてもらわなきゃ、とても入りきらないんじゃねぇか?」


「やっぱり立ち食いありならいけるよな! あんちゃん、案外商売向いてるんじゃねぇか?」


「悪かったおやっさん。この話はもうやめよう」


 会話を切り上げ、指定席である奥から二番目のカウンター席に座る。おやっさんは、気づけば作務衣と同じ青色の小判帽を被っていた。


「んじゃ、改めてまして、らっしゃい。今日は何にする?」


 おやっさんが布巾ふきんで手を拭う。


「今日は」


「ざるそばだろ?」図星だった。


「何でわかった? 勘?」


 俺の疑問におやっさんは作業の手を止める。


「勘なんてもんじゃねぇよ。これは願望だ」


「願望?」


「かけそば用のつゆ、切れてんだわ」


 □


「ってなわけで、俺はあの映画が嫌いなんだわ」


 そばを箸で取り、汁に浅く付けを勢いよくすする。しっかりとコシのある麺、鼻から抜けるそばの香り。思わず頬が緩んでしまう。


「またあんちゃんの悪い性質たちが出たな。この手の話は何度目だ?」


 おやっさんが右手を指折り数える。


「いいよ数えなくて。たぶん両手じゃ足りないし」


「それもそうだな。しっかし、あんちゃんの流行り嫌いにも参ったもんだ。この前は何だっけ? えーと」


 梅干しの酸味に口内を蹂躙じゅうりんされた様に、おやっさんは顔中皺だらけにして記憶を探る。


「『ノゴリノガ』。ラノベ」


「そうそう。そのラノベってヤツだったな」


 おやっさんはもう作業が終わったらしく、厨房の蛇口からコップに水をくんで俺の目の前にやってきた。そしてコップをカウンターの死角に置くと「さぁ若造よ、語り給え」と、若干暑苦しいオーラを放つ。


 おやっさんが完全に俺との雑談モードに入った証拠だ。


「でも、おやっさん、勘違いしないでくれ。俺は全ての流行りものを嫌っている訳じゃない。掛谷かけやの巨大なパンケーキは勝手に巨大になってろと思うし、パンダの赤ちゃんの名前がロンロンになろうが喜一郎になろうが構わない。要するに、俺は乗らないからどうでもいい。無関心、無関係だ。ただ、俺は俺の立ちたい土俵で流行り、担ぎ上げられている作品だけ、嫌悪してるんだ。とりわけ面白くないくせに、アホなにわかを騙して人気を獲得した汚ねぇ作品たちだ。言っちまえば、あんなのは赤色の風船だ。認められて高みに昇ったわけじゃない。中身がねーからぷわぷわ浮くんだ。そこを色が目立つからって空しか見てねぇ頭空っぽの大多数が話題にする。ただの赤い風船をだぜ? お前らそれで良いのかって言いたいね俺は。空じゃなくて日陰を見ろ、日陰を」


 好き放題しゃべり、胸が空く。そして、空いた分だけそばがずるるっ、と気持ちよく入る。やっぱり旨い。


 おやっさんは腕組しながら、自分が打ったそばの行く末を見届けている。食い入るような視線に「一口どうですか?」と、思わず勧めたくなる。正直、食べにくいが、もう慣れた。


「あんちゃん。それはいけんね。人様が何に興味を持って何を感じようと、それは他人がとやかく言うもんじゃねぇ。言っても仕方ねぇって方が正しいか」


 おやっさんが腕組しながら話出す。


「それに、たとえ赤い風船だろうと、ブリキの猿だろうと、それで楽しんだり幸せな気持ちになる人がいるなら、それはそれでいいじゃねぇか。黒い意思で茶々をいれて、わざわざ嫌な奴になるこたぁねぇよ。まぁ、いい歳こいた奴が赤い風船できゃっきゃしてる姿を見たら、一声かけたくなる気持ちも分からんではないがな」


 おやっさんは叱るでも、さとすでもなく、自分の考えを素直に述べる。そこは俺と同じだ。


 おやっさんとの雑談の良いところは、最低限の礼儀さえ忘れなければ、自分の考えを自分の言葉で吐けることだ。


 俗世では、自分の考えや感情を、砕いて、削って、燃やして、滅殺して、原形がほうむり去られて、風味だけになってやっと『自分の考え』として発信できる、


 そうしなければ原稿用紙一枚分も喋れぬまま、社会から排除されてしまう。


 しかし、ここではそんな生存戦略としての自殺は必要としない。愚痴でも相談でも何でもいい、話のタネと一番安いメニュー「ざるそば」の代金三百円を持っていれば、値段以上の時間を過ごせる。

 こちらがよっぽどをしない限り。


 会話については、おやっさんもこちらの気持ちを承知しているらしく、故に、ただの説教や口論にはならない。はたから見ればそうは映らないのかもしれないが、それは俺達が善しとする飾らない会話の体現だ。


「でもさ、おやっさん。考えてみてくれ。自分とは縁もゆかりも何の関わりもない、自分に一片の得も生じない同類項が、こっちから見ればすごくしょうもないことで、世間からちやほやされている。どう? はらわたが煮えくり返らない?」


 俺はそばを取る箸を休め、おやっさんに質問する。おやっさんは上手くイメージ出来ないのか、またしても渋柿顔を浮かべている。


「うーん。そうは言ってもうちはうちだしなぁ。世間の評判より俺は俺に恥じない蕎麦を打てりゃあ充分よ」


 おやっさんは右腕をぽんぽんと叩いた。

 その背後に俺は海をみた。地平線すら飲み込んでしまうほどの青く果てのない海。


「そっか。おやっさんには確固たる自分、ってのがあるのか。ならつえーや。通りで他人に左右されないわけだ」


「伊達に半世紀近く生きてないってことよ」


 この度量があるから、俺は安心して本音を叫べる。その叫びをおやっさんは、大きく受け止め、さざ波の様に穏やかに返す。


 ざるからそばを取り、啜る。さざ波に似た音がする。美化しすぎか。


「ま、大抵のブームなんてのは物珍しさに人が群がってるだけだからよ。気にしすぎるだけ損だぜ。あんちゃん気晴らしに一緒画でもどうだい?」


「行かねぇよ」


 提案を即座に破壊する。どうせコスセロのお誘いだ。純度百パーセントのからかいだ。


「そんなに嫌いなんだな。コスセロ」


「おう」やっぱり。そばを啜る。


「そんな悪いもんじゃなかったぜ。コスセロ」


 ぶっふぉっ


 気道に寄り道しかけたそばを、全身全霊のせきで食道に吹き戻す。


 今何か、変な言葉を聞いた気がした。


 唾を飲み込み、喉回りの点検をする。

 特に、違和感はなし。

 次いで、耳で感知した違和感を調査するため、顔を上げる。


 違和感の正体、そして聞き間違いか否かは一目瞭然だった。


 キモチワルクニヤツイタオヤジが、そこには居た。

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