12_コスセロ

 混雑時を過ぎた大学の食堂。四人掛けテーブルを俺たちは占領していた。芳川の隣に陸溝、陸溝の正面に俺、俺の隣に西汽という布陣だ。


 近づいてきたテストの対策や、バイトの愚痴、何で彼女が出来ないのかなど、数分後には忘れる雑談を楽しんでいる。誰も料理は頼まず、水の入ったコップが四つ、テーブルに光る。


「今期はやっぱり『コスセロ』がナンバーワンだなー」


 今期のアニメ格付けの最中、芳川が笑顔で爆弾を投下した。


 基本、親の悪口以外何を言っても許される場所だ。しかし、今の芳川の言葉は不快度高めだ。出来ることなら誰もその話題に触れずに消滅して欲しい。


「コスセロ」


 今一番、耳にしたくないし口にもしたくないアニメ映画。


 公開前からやたらに広告が打たれ、耳障りなテーマソングがノイローゼになりそうな程そこかしこで流され、公開後も


「感動した!」

「泣ける!」


 などの白々しい感想CMが流され、それが人を呼び、興行収入が上がり、テーマソングが売り上げチャートを駆けあがり、更に話題になり、もっと人を呼び、上映期間が延び、ますます人を呼び、日常的にアニメを視ない人もアニメを道端に捨てられた吸い殻程度にとらえてた人も巻き込んで一大ブームとなった作品。


「まだ観てない」

 と口にすれば

「え~まだ観てないの!?」

 と

「え~自国開催なのにオリンピック観てないの!?」

 みたいなリアクションをとられ、人間性を疑われる。


 そして、ちょっとでも批判しようものなら、その人の社会的立場は失墜、凋落ちょうらく、抹殺。

 そんな一般人に愛された作品だ。


 このアニメ映画に関してはアニメ好きな俺と、アニメを下水中にひしめく不衛生生物より嫌悪している常識人とが同じ感想を抱いている。


 ――――きらい。


 例えばテレビを見ていてコスセロのCMが流れたとする。それは俺からすれば、テレビから唐突に下水道の映像が流れてくるのと同義。

 映像の無差別テロだ。気分を害さないわけがない。


 けれど、厄介なことに他の人にはその映像が素晴らしい作品に見えるようで、口を揃えてたたえるのだから手に終えない。


 もう何を信じていいか分からない。目がチカチカする。

 狂っているのは、敵か自分か。

 テーマソングが倍速で流れる。

 何が「明るく光る彼方へ~」だ。


 勿論、俺はそのアニメ映画を観ていないし今後観るつもりもない。


 アイツ等に落す金などないし得になる働きはしたくない。


「コスセロ」は俺の嫌いな言葉ワーストテンにも、鳴り物入りでランクインしている。


 現在一位は「俺でも出来たんだから」

 二位は「駅から歩いて三分」

 三位が「コスセロ」


 社会には嘘が溢れ、反対に想像力は欠落している。


「俺もコスセロに一票。あのアニメは映像もストーリーも質が高かったな」


 西汽が芳川に同意する。

 西汽、そこはスルーしろよ。

 俺は無表情を作り、感情を隠す。


「だよな西っち! 登場人物達もみんな魅力的で単なる萌えアニメとは格が違ったよな!」


 萌えアニメ至上主義を唱えていた芳川から、毎期毎期嫁をとっかえひっかえしているおとこらしい芳川から、萌えアニメを食って生きているような芳川の口から萌えアニメを軽視する発言が出るとは。


 コスセロには修正テープが文字を消す様に人の価値観を上塗りする危険な視覚効果が仕込まれているのではないか。映倫は何をしているのだ。


「エロやポロリなしでもいいアニメは作れるんだよな。キャラクターの裸にしか興味を持たなくなった俺達に『目を覚ませ』と純粋な気持ちをよみがえらせてくれた」


 力強く述べた西汽が水を一口飲む。その口ぶりは新興宗教に洗脳された信者のそれに酷似していた。西汽、早く目を覚ましてくれ。


「陸っちも見たよな?」


 芳川が左を向く。

 俺は正面を向く。

 陸溝は観てないよな? 


「僕はね」


 陸溝はアニメよりもマンガが好きな奴だ。映画に行く金があるなら、その分新刊を買うよな? そうだよな?


「僕は、明後日で四回目かな」


 その表情は少し誇らしげだった。


「うおおおマジか! 明後日で四回目か! ってことは、もう三回も観てるのか!」


 芳川は席を立たんばかりに興奮していた。


「俺でもニ回なのに、上には上がいるんだな!」


「そんな大したことじゃないよ」


 同感だ。俺は危うく首肯しゅこうしそうになる。


「謙遜するなよー。そうだ、次は一緒に行かないか? 話してたらまた見たくなってきた」


「そうしよっか」

 陸溝は芳川の提案を承諾する。


「高柴、どうした? スゴイ顔して」


 隣の西汽が声を掛けてきた。


「いや、別に平気だ」


 横顔だけでスゴイ顔と言い切れるほど、俺はただならぬ表情をしていたらしい。


「そうだ。折角だから西汽君と高柴君もどう? 一緒に行かない?」


 陸溝が善意の一発を見舞ってきた。鼻先を拳がかする。


「いいじゃん。行こうぜ」


 西汽は迷うことなく参加を表明。


「高柴君はどう?」


 陸溝が俺に標準を定める。俺も迷うことはなかった。


「俺はやめておく。三人で楽しんできてくれ」


 この誘いが変態特区巡りだったら、答えは真逆になっていた。


「マジかー。みんなで行きたかったなぁー」


 芳川が机に突っ伏す。


「なんか用事でもあるのか?」


「用事というか、まぁそんな感じのもんだ」


 かたきに貢ぐ金と時間は無い。


「なんか怪しいなー。さては高っち、彼女でも出来たか?」


 芳川が投げやりな疑惑をかけてきた。


「確かに怪しいね。高柴君」


「確かに。高柴、怪しい」


 陸溝は大言止めで、西汽は人語を覚えたての異種族のような口調で便乗してきた。


「馬鹿なこと言うなよ。俺に恋人がいるわけねぇだろ」


 自分で断言し、その悲しさにはっとする。


「聞きました西っちさん。コイビトですって!」


「ええ、聞きました聞きましたとも! 私、言葉の若々しさに顔が火照ってきましたわ」


 芳川と西汽の茶番に陸溝が笑う。


「お前らなぁ。とっとと映画行って来い」


 映画は明後日だよ、陸溝がやんわりとツッコんできた。



「このあと講義までどうするよ? トランプでもやるか?」


 西汽が誰となしに投げかける。


「そうだね。何かして遊ぼうか」


「はい! 俺はトランプならジジ抜きがいいです!」


 芳川が元気よく挙手をした。


「すまんが俺はパスだ。レポートがあるんでな」


 というのは事実ではない。本当は小説が書きたいからだ。無性に書きたくなる時がある。そしてその時は大概筆がとても乗り、良い成果が出せる。


「そうなのか。なんのレポートなんだ?」


「学芸員のレポート。提出近いんだ」


 芳川の質問をかわす。こういう時、この三人と被っていない学芸員の講義を履修していてよかったと思う。


「レポートなら仕方ないね。三人で遊ぶトランプって何だろう? 神経衰弱とか?」


「神経衰弱は頭使うからやだなー。ここはやっぱりジジ抜きだろ!」


「モンスターモンスターのマルチプレイにしねーか? 緑の宝玉集め手伝ってくれよ」


 暇をつぶすのも大変なのだ。


「じゃあ、俺はちょっくら行ってくるわ」


「行ってらっしゃい。また講義でね」


「次の講義ではお前の席はないと思え」


「レポート頑張れよー」


 三人の声を聞きながら食堂を後にする。あいつらとの時間は楽しいが、俺にはこっちも大事なんだ。


 夢を見るのは俺だけだ。


 □


 講義後、大学の最寄り駅「環律かんりつ駅」で三馬鹿と別れ、夕暮れ時の電車に乗る。


 帰宅ラッシュ時には亡命先へ向かう最終便のような混雑に見舞われる電車内だが、今の時間は比較的空いている。乗客は皆、人の顔をしており、ラッシュ時には消失してしまう社会的生物としての尊厳を保っていた。


 そして、これも日常風景だが、乗客の八割方が両隣に空席を従えている。パズルゲームよろしく「同じ属性が四つ並ぶと消えてしまう。だから一つ飛ばしで座っているのだ」とでも言いたげな光景だ。


 俺はリュックを肩から外し、乗車口から一番近い空席、大学生らしき茶髪の女性と、文庫本を読んでいる学ラン姿の青年の間に座る。着席時、両者は腰を浮かし、五分の一ケツ分俺から遠ざかった。


 今はもう慣れたが、都会に来たばかりの頃は「もしかして田舎者ってバレてるのかな?」とあらぬ不安を感じたものだ。膝の上に置いたリュックに手を回す。背もたれに体をゆだね、目を閉じる。


 降車駅の「きゅうじゅう」までは約三十分。鉄のかごで、しばし眠る。夕飯はおやっさんのところで済まそう。


 □


 あぶねぇ。寝過ごすとこだった。


 一度、久十の二駅前で目が覚め「もう起きなきゃ」と思ったら寝ていた。乗車終了を告げるメロディで目が覚め、車内モニターに表示された「久十」の文字で完全に覚醒。

 扉に食べられる覚悟で駆け降りた。


 幸いにも無傷で、ホームグラウンドである久十駅のホームを踏むことができた。


「危険ですので、発車間際の降車、ご乗車はご遠慮下さい」


 駅員さん。人ひとりが幸せになったんだ。ファンファーレでも流してくれや。


 駅員のマイクも、周囲の視線も独占だった。ここにいる理由は一つもなかった。


 リュックを右肩にかけ、上昇した心拍数を抑えつつ、北口改札を通る。駅前のタクシー乗り場は広く、周辺にのっぽなマンションもない。そのため、空がよく見える。六月の見事な晴れ空だ。


 久十は下町と誇れるほど下町ではない。かといって、都会と言えば笑われる。俺を含む田舎民に「田舎舐めんな!」と怒られるだろうから、田舎とも定義できない。


 事実、都会に来て俺の住んでいた土地がどれだけ辺鄙へんぴで未開拓な地帯だったかを思い知らされた。よくもまぁ、コンビニまで徒歩四十分の場所で生活できたものだ。


 東京で徒歩三分の場所に二十四時間煌々こうこうと光るコンビニエンスストアを発見した時は、感動よりもいぎどおりがまさった。


 こんな生活が本当にあるなんて知らなかった。


 国土交通省にだまされた気分だった。教えないのは騙すのと同義だ。


 タクシー乗り場を横切り、住宅街へと続く道を歩く。住んでいるアパートからは少し逸れるが、良い店とは得てしてみょうちくりんな場所にある。


 腹の虫が鳴く。昨日の夜は何食ったっけ。思い出すつもりもない、どうでもいいことを考える。また、腹の虫が低く鳴いた。


 住宅地ばかりの地方的なに、都会の機能性を備えた地方もんに親しみやすい街。


 俺は久十をそう捉えている

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