10_光の午後@5


「この歌、いいなぁ。元気出てくるわ」


「『優しいくず』初めて書いた歌詞だね」


 完成した時の達成感は今でも覚えている。


「この歌詞、人生の核心を突いてるな」

 米仲が深く頷く。


「それは『終わりたがり星人』だね」


 バトル漫画の脇役みたいに、僕は情報を補足する。


「これは……心が切なくなるな」


 米仲が溜息に言葉を乗せる。


「『のすたるじっくすたいる』ですね」


 聞かれもしないのにワインの年代をさりげなく述べる、静かな面持ちの下にドヤ顔を隠したウェイターもしくはバーテンダー風に言う。


「これ! これは想像力を刺激してくるな。情景描写が見事だ」

 米仲が遠くへ視線を飛ばす。


「『百七十と少し』最新の曲」

 やっと素の僕に戻れた。


「やっぱ悟の歌詞、良いわ」


 米仲の視線は左から右へ文字をなぞり、口元には笑みが浮かんでいた。その姿にたまらずニヤける。


 そうだろう、良いだろう。


 僕の歌詞に共感、楽しさを覚える人がいた。夢のようだ。


「やろうぜ。オリジナル」


 米仲はこちらに顔を上げてそう言うと、返事も聞かず視線を歌詞に戻す。


「うん。絶対やろう」


 僕は米仲から視線を動かさない。


 ツンツン頭と白い紙と、寝ているギター。


 未来への設計図に見えた。

 明るく、光る、未来への。


「米仲、実は」


 内緒話をするように、体を前傾させる。


「どうした?」


 返事はするが、米仲の目線は依然歌詞と結ばれたままだ。


「えーと、あのね」


 右手で後頭部を撫でる。勇気を絞れ。


 あの設計図に、混ざるんだ。


 未来への設計図に、エンジンを描き足せ。


「その歌詞、アカペラがあるって言ったら、聴きたい?」


 米仲の動きが止まる。歌詞を追っていた眼球の運動も停止していた。


「スマホに入ってるんだけどさ」


 緊張が込み上げてきた。相手は緊張と縁遠い男なのに。なんだか損した気分だ。米仲が一度、大きく瞬きをする。


「おお! 聴く聴く! 早く言ってくれよ!」


 そこからの米仲は早かった。両手をふさいでいた歌詞を白い山に返し、尻を置いていた固いソファを引きずりって限界までテーブルに近寄り、ランダムに選んだ頭の突起を両の指で尖らせ、締めに鼻の穴を膨らませ息を噴射した。


 僕はその早さに呆然としていたが、米仲が最後に吐いた鼻息の「ふしゅー」という排出音で我に返った。

 負けてられない。急いで準備に取り掛かる。


 スマホからボイスメモを起動し、その間に高校三年生の誕生日に買ってもらった一万円のイヤホンをジャックに繋ぐ。


 録音専用のソフトの購入も考えたが、その値段に絶句した。録音ソフトを買っても言葉を失ってしまったら元も子もない。その点、ボイスメモはスマホに最初から搭載されている機能だから余計な出費はかからない。


 反面、音質はご察しだが、僕の声質もご察しなのでこの低音質はむしろ僕に有利に作用している。

「マイナス×マイナス=プラス」の要領だ。高音質で自分の歌声を聞く意気地は、僕にはない。


「じゃあ、流すよ」


「ああ、頼む」


「音量、うるさかったら言ってな」


「おう」


「イヤホン、流れで僕の渡しちゃったけど、米仲のに替える?」


「いらん」


「じゃあ、流すよ。『優しいくず』でいい?」


「ああ、頼む」


「音量小さかったら、言ってな」


「分かった! 分かったから、早く聴かせてくれってもう流れてる!」


 くどい確認に右手に振り回さんとした米仲だが、闇討ち的にイヤホンから音が聞こえたからか、それともその世紀末的声色にひるんだのか、一瞬体をビクッと揺らした。


 その後、米仲は急いで歌詞を取り顔の前に広げ、再生箇所を探し始める。照れ隠しの悪ふざけはここまでにして、僕はリスタート操作をし曲を頭からかけ直す。


 英和辞書から「SEX」の文字を探す中学生のような真剣さで歌詞を追っかけていた米仲も、曲がリスタートされたことに気が付いたらしい。親指をこちらに立てる。


 僕はいつの間にか乾いてた喉に、オレンジジュースを流し込んだ。この乾きは冷房のせいじゃない。


 目と耳で、米仲は僕の歌を吟味している。真剣な表情。その光景は僕に初めての感覚をもたらした。


 高揚とも緊張ともワクワクともつかない。自分でも何を求めているか分からない。

 だけど、何かを欲して闇雲に手を伸ばす。きっとその何かは、曲を聞き終えた米仲が与えてくれるだろう。


 未来の先導者は目を閉じ、今は聴覚のみで歌を確かめている。時折、眉をひそめるのは歌詞のせいなのか、それとも歌声のせいなのか。大方、後者だろう。


 ボイスメモに歌を録音するのは、隣人の出払ってそうな平日昼間の自室。歌うことは昔から好きで歌唱力もあると自負していたのだが、中学校の合唱コンクールで


「悟君、音痴じゃないけど歌下手だね」


 とクラスの主力グループの女子に指摘された。


「まさかそんな。あはは」

 と絵に描いた動揺をしてしまうくらいショックだった。

 僕が長い間背負っていたものは自信ではなく勘違いだったのだ。


 自分がイケメンではない、と知った時以来の衝撃だった。あれは世界が揺らいだ。数日間はマスクと口づけしながらの生活だった。


 僕のイケメンの仮面を粉砕したのも女子だ。


 女子がロマンチストなんて誰が言った。


 女子が繊細なんて誰が言った。


 彼女等はいつもひどく現実的で、冷酷だ。


 でなければスカートの下にスパッツを履いたり、ワイシャツの下にTシャツを着たり等の希望をむしり取る所業はしない。


 思わせぶりに微笑んだり、何気なくボディタッチしてきたり、メールにハートマークをやたら使ってきたり、気づけば目で追ったり、彼女が吸ったストローに手が伸びかけたり、布団の中で悶々としたり、彼氏がいないことを知り、平然を装いつつ、心中でしっかりガッツポーズをしたり、徹夜でラブレターと格闘したり、それを出しちゃったり、放課後、西日に傾く校舎の影で愛を告白したり――――。


 けど、女子に歌下手認定されても、咲ちゃんに振られても、歌うことが好きなのは変わらなかった。イマイチな歌唱力も、そして咲ちゃんへの気持ちも。


 そんな一人カラオケ御用達の僕は、歌っているとどうしようもなく気分がハイに、ナルシスティックに、ついには全能感すら感じてしまう。

 端的に言えば「俺の歌、いけんじゃん」と錯覚してしまう。


 そのため、「優しい屑A」「優しい屑B」といった形で、一曲に対し同工異曲のアカペラが数曲付くことが頻繁にある。


 録音完了時にはこの上ない達成感に飲み込まれるのだが、冷めた頭で聞き返すとその出来に頬がひくつき、体温が二度程低下する。


 現在のエアコンの設定温度は二十五度。現在進行形で体温が低下している米仲には、この部屋は初夏の市民プール並みに冷たいものとなっているだろう。


 あ、今少し震えなかったか?


 けど、僕は自分の歌詞に価値があると自負している。だから、アカペラが多少、もとい随分アレでも隠したりしない。発信し続ける。


「悟君、音痴じゃないけど歌詞下手だね」と、誰かに言われても全然平気だ。もう揺るがない。


 根拠は無い。作ろうと思えばいくらでも作れるが、必要が無かった。それほど作詞に関しては全力で肯定できた。自分を誇ることが出来た。


 米仲を見る。彼はまだ目を閉じ、高難易度の間違い探しのように、先程と同じ格好をしていた。


 しかし、間違い探しには、必ず違いがある。彼の場合は右足だった。右足が規則的に上下し、リズムを刻んでいた。「優しい屑」のビートだ。


 根拠のなかった自信に、かすかな根拠が生まれようとしていた。

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